107 狂った魔法
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「大変よミネハル君! 魔法が狂ってしまったわ!」
魔法システムを改変した翌日の昼過ぎ、早速レイテシアさんが怖いくらい真剣な顔をして冒険者ギルドの中に飛び込んできた。
冒険者達がざわめいて、特に魔術師達がレイテシアさんに訝しげな顔を向ける。
「レイテシア・オランドだ……」
「あれがあの若さで博士号を取ったっていう魔法学の権威か」
「魔法が狂ったって、どういう意味だ?」
ドルタードの町に滞在してそれなりに日が経つし、度々こうして俺を訪ねてくるから、冒険者達にも大分顔と名前を知られるようになっているのと、本当に一部では魔法学の権威として有名らしく、与太話と思って無視するような魔術師はいないようだ。
「レイテシアさん、取りあえず座って」
今日、魔法を試すことになっていたから、その結果を教えに来てくれるだろうとは思っていたけど、予想よりも随分と来るのが早かったな。
この短時間で、果たしてどこまで検証したのか興味がある。
席に着いて椅子を勧めると、レイテシアさんは気が急いているのか、椅子に座ろうともせずにテーブルをバンと叩いた。
「呑気に座っている場合じゃないわ、魔法が狂ってしまったのよ!?」
「魔法が狂ったって、どういう意味ですか?」
「言葉で説明しても信じられないと思うから、付いてきて、百聞は一見にしかずよ」
俺の腕を掴むと、強引に椅子から立たせるレイテシアさん。
一緒に付いてこいとばかりに、側に居たティオル、ララルマ、ユーリシスと順番に見て、それから、ギルド内の自分に注目していた魔術師を始め、冒険者達全員の顔を見回して声を張り上げた。
「わたしはレイテシア・オランド。ご覧の通り上級魔術師で魔法学の権威よ。冒険者諸君聞きなさい、わたしが気付いた魔法の異常について説明するわ。これは貴方達にとって死活問題になるはずよ。全員、裏の広場へ付いてきなさい!」
どよめきが上がったのを背中に聞きながら、レイテシアさんに腕を引っ張られて建物を出ると、裏の広場へと向かう。
ユーリシス達、それとその場にいた冒険者達も、ゾロゾロと付いてきた。
揃ったところで、レイテシアさんが全員を見回す。
「まずは実演して見せるから、よく見ておきなさい」
レイテシアさんはそれだけを前置くと、右手を高々と突き上げた。
「『炎槍よ顕現せよ――』」
右手の平の上に集まった魔力が『アイシクルランス』のような形状の、一本の炎の槍に変わる。
途端に、魔術師の冒険者達を中心にどよめきが走った。
若い初心者冒険者達の中にはピンときてない者も多いみたいだけど、ベテランほど動揺してどよめいている。
「『その速き飛翔より逃れる術あらず、その切っ先を防ぐこと能わず、ただその身を穿たれ我が前に倒れ伏すのみ、射貫けファイアランス』!」
レイテシアさんが右手を振り下ろすと、『アイシクルランス』同様に『ファイアランス』が飛び、練習用の丸太に突き刺さり、大きく焼き焦がした。
「馬鹿な! 『ファイアランス』なんて使えるはずがない!」
「あり得ない! ランスの形状になるのは『アイシクルランス』だけのはずだ!」
ベテラン達の動揺に、初心者達もようやく少しは状況を理解し始めたみたいだ。
そんな冒険者達を尻目に、レイテシアさんは次の呪文を唱え出す。
「『凍える氷よ、我が元に集え、三つの矢の形となりて、我が敵を貫け、飛べアイシクルアロー』!」
さらに、三本の氷の矢が焼け焦げた練習用の丸太に突き刺さった。
「『ファイアランス』だけじゃなくて『アイシクルアロー』までだと!?」
「これまではどんなに呪文の語句を変えても使えなかったはずだ!」
口々に驚愕や否定の言葉を口にする魔術師達に、レイテシアさんはくるりと振り向くと挑むように睨み付けた。
「信じられないのも分かるわ。でも事実よ。どの学派の呪文でも、これまで全く使えていなかった語句を用いた魔法が、何故か急に使えるようになっているわ」
理解が追い付かず、ああだこうだと言い合う魔術師達や冒険者達をそのままに、レイテシアさんが俺達の前にやってくる。
「どうかしらミネハル君。それとユーリシスちゃん。信じられないでしょうけど、これは事実よ」
「そうみたいですね、驚きました」
「……本当に驚いている?」
「も、もちろん、すごく驚いてますよ!? 驚きすぎて、どんなリアクションをしていいか分からないくらい!」
「……そう、まあいいわ」
ふぅ……誤魔化せたか。
ちゃんと驚いた演技をしたはずなのに、訝しがられてしまったな。
「それにしても、なんで急にこれまで使えなかった魔法が使えるようになったんでしょうね?」
訝しがられないように、腕組みして難しい顔で考え込む振りをする。
俺が答えを言うと余計に怪しまれるから、レイテシアさんに口にして貰いたい。
「そうね、わたしも色々と可能性を考えてみたのだけれど、どう考えても思い当たるのは一つ、昨日の虹色に輝く星が降ってきて、ムズムズと……要は魔力が乱れたのと、魔石が光ったこと。それしか思い当たる節がないわ」
「そうですね、俺もそう思います」
「ユーリシスちゃんはどうかしら?」
「あれだけのことが起きたのです、他に可能性はないでしょう」
「そうよね、やっぱり二人ともそう思うわよね」
俺達の会話を聞いて、他の冒険者達は魔術師も含めて、やっぱりそれしかないって空気になっていく。
このまま冒険者達には、その見解と今の事実を広く広めて貰いたい。
「まさかこんなことが起きるなんてね……これは論文にまとめて学会で発表すべき驚愕の事態だわ。それには、あの星についても書かないと駄目でしょうけど、名前がないと不便ね。いずれ公式に名前は付けられるでしょうけれど、仮の名前を何か今付けてしまおうかしら」
おっと、それなら暫定でも使って貰おうかな。
「じゃあこういうのはどうですか? 魔法を狂わせた星、『天より来る魔狂星』」
「『天より来る魔狂星』……なるほど、言い得て妙ね」
いい感触みたいだな。
公式記録に残る名前は別の呼び方になってもいいけど、俺と話をする場合は『魔狂星』を使ってくれると間違わずに済んでありがたい。
「オランド博士、他にはどんな魔法が新たに使えるようになったんですか?」
「この事態での、呪文の語句についての見解を聞かせて貰えませんか」
何人かの魔術師達が、レイテシアさんに近づいてきて意見を交換する。
話の内容が呪文の語句についてだから、それをユーリシスが冷ややかな目で見ているんだけど、だからってさすがに真面目に話し合っているのを邪魔する気にはなれない。
ここで俺が割り込んで、『呪文なんて仕様はないんですよ』ってぶっちゃけるわけにもいかないし。ただでさえ『呪文なんてなんでもいい』って学説は、魔法学会じゃ暴論として見向きもされないらしいからな。
やがて意見交換を終わらせた魔術師達は、自分のパーティーに戻って、パーティーメンバーと何やら話し始める。
それを見て、レイテシアさんが懊悩するように溜息を漏らした。
「こんなことになってしまった以上、呪文に使える語句と使えない語句、それと新たに使えるようになった魔法についての研究は、一からやり直しになりそうね」
確かに、何もかもがひっくり返ってしまって、レイテシアさんに限らず魔法学の学者達にとっては、何年、何十年と積み重ねてきた、これまでの研究成果の全てが水泡に帰したに等しい。
まあ、元から呪文の語句の研究については無意味で、成果も何もないわけだけど。
それでも、それを突きつけた身としては、罪悪感を覚えるわけで。
ここは、積極的にフォローを入れた方がいいだろうな。
何より、また間違った常識を元に研究されて、それを改変した魔法システムとして論文にまとめて発表されて広められたら、元の木阿弥だ。
「レイテシアさん、その呪文の語句の研究、俺も一緒にさせて貰えませんか?」
「ミネハル君も? いいわね、貴方の着眼点や発想は、魔狂星で狂わされてしまった魔法の法則を解明するのに、いい刺激になりそうよ」
よし、これで正しい知識に誘導しやすくなった。
「じゃあ、その代わりと言ってはなんだけれど……」
レイテシアさんが、俺達の顔を順番に見回す。
「貴方達の受けた依頼にわたしも連れて行ってくれないかしら?」
「えっ!? レイテシアさん、付いてくるんですか!?」
「ええ。ミネハル君との研究成果を、実戦で試してみたいじゃない」
まさか、そんなことを言い出すとは……。
大丈夫なのか? 冒険者として登録すらしていないのに。
「それと、ミネハル君が実戦で魔法を使っているところを観察してみたいわ。どんな場面でどんな発想でどんなイメージをして魔法を使うのか、研究のいい刺激になりそうよ。そういうわけだから、よろしくね」
レイテシアさん、実にいい笑顔だ。
どうやらこれは決定事項らしい。