106 不安の一夜
◆
虹色に輝く星の欠片が降り注いでからしばし、すでに日が沈み、いつもなら酒場や風俗店など歓楽街以外は静かに寝入っていく時間になっても、ドルタードの町は明かりが消えることなく騒然としていた。
「なんだったんだ、あの星は」
「また落ちてきやしねぇだろうな」
「あのゾワゾワした感じ……怖かったわ、死んじゃうかと思った」
「魔石が夜中にまた勝手に光るんじゃないかって思うと怖ぇよ」
「近くの村や街道は大丈夫なんだろうか」
「うちの村に落ちてやしねぇだろうな……」
道行く人々も、食堂や酒場に集まった客達も、誰もがその話題で持ちきりだった。
日が西に大きく傾き空が茜色に染まる中、ドルタードの町から東南東方向になる草原地帯、北西方向にある低い山々が連なる一帯、南西方向にある魔物に奪われた領域の森林地帯、そしてさらに遥か遠く離れた地へ、幾つもの欠片が次々に落下していく様子が、町の至る所から見えていた。
ただ、町の外にいた行商人や冒険者達ならまだしも、町中にいた人達は町を囲む防壁に視界を遮られて、星の欠片が具体的にどの辺りに落ちたのかよく分かっていないんだと思う。
だから余計に不安を感じているようだ。
「万が一、街道に落ちて荷馬車が往来出来なくなってたら、食料やら生活必需品やら足りなくなるぞ」
「こんな時こその冒険者だろう。領主様なり代官なり、調査依頼を出してくれりゃいいんだが」
中には不安を口にするばなりじゃなく、現状を確認しようと話し合っている人達。
「もっと北の方はほとんど落ちてないらしいじゃねぇか」
「ドルタードを離れて北へ逃げるか?」
早々に安全な場所へ逃げようと相談する人達。
その話題は様々だ。
幸いなことに、ドルタードの町はどの落下地点とも距離があって、落下時の轟音や振動はあまり伝わってこなかった。
当時町中は大混乱で、人々が悲鳴や怒号を上げて、逃げ惑ったり建物に隠れたりしていたから、辛うじて伝わってきたそれらも聞き取れなかったり感じ取れなかったりした人も多いんだろう。
おかげで、町を直撃して破壊されたり、地面が揺れて世界がひっくり返ったり、といった恐怖や混乱を感じずに済んで、時間をおいた今、一応表面上はパニックも収まって騒ぎは沈静化している。
それでも、また別の虹色に輝く星が降ってくるんじゃないか、今度こそ町に被害が出るんじゃないか、みんなそんな不安を抱いているらしい。
誰でもいいからとにかく話をして、不安を紛らわせずにはいられないのかも知れないな。
宿の食堂で、混乱のために遅れに遅れたかなり遅い夕食を食べながら、他の宿泊客達のそんな話を聞いて彼らの不安が伝染したのか、ララルマが身を乗り出してきた。
「ミネハルさん~、アタシ達もぉ、のんびり晩ご飯を食べてていいんですかぁ? どこかに逃げた方がいいんじゃないですかぁ?」
不安で食事が喉を通らないのか、ほとんど手を付けていない。
猫耳が周囲の会話を拾ってピクピクして、尻尾が元気なく不安げに揺れている。
それを可愛いと思ってしまうのは、今の状況だと少し不謹慎かな?
「街道沿いの大きな町だから落ちる、田舎の小さな村だから落ちない、なんて類いのものじゃないと思うから、逃げるのに意味はないんじゃないかな?」
「そうかも知れないですけどぉ……」
益々不安になったのか、ララルマの猫耳がへにょってしまう。
確かに、今の言い方だと、安全な場所なんてどこにもないって言ったも同然か。
「ミネハルさんもユーリシス様も落ち着いてますね? 空からあんな星が落ちてくるなんて、怖くないんですか?」
俺がフォローしようと口を開くより先に、木のコップを両手で握り締めて、ティオルが俯き気味に聞いてくる。
ティオルもソワソワと落ち着かないようで、ほとんど料理に手を付けていない。
対して、ユーリシスはいつも通りじっくり味わいながら食事を楽しんでいた。
「今もまだ落ちてきてるならともかく、もう終わったみたいだし、なんの被害もなかったんだから平気じゃないか?」
「もう終わったってぇ、どうしてそんなことが分かるんですかぁ? また落ちてくるかも知れないですよぉ?」
「どうしてって……」
だって、俺が計画して、ユーリシスが実行した、アップデート『天より来る魔狂星』のイベントだからだ。
今回の騒ぎは、魔法システムの仕様を改変するにあたって、『こんなすごい事件が起きたんだから、魔法システムが大きく変わってしまっても仕方ない』って人々に納得して貰うための周知、もっと言うならゲームのイベントムービーみたいなものだ。
だから、実は魔狂星の落下それ自体に深い意味はない。
何しろ魔法システムの改変なんて、ユーリシスが数式をちょちょいと書き換えればそれで終わりだ。
でもそれじゃあ、あまりにも唐突で不自然すぎる。
数千年か数万年か分からないけど、それだけ長い期間使われて浸透していた魔法システムが、ある日を境に突然変わってしまったら、何か切っ掛けや説明が付く理由がないと人々は理解も納得も出来ないだろうし、無用な混乱を引き起こすだけだろう。
何より、『新たな試練と恩寵』による新スキルの追加で不遇武器の底上げをするのとはまた、アップデートの方向性や規模が違うんだ。
魔法を使うルールや計算式そのものが変更されるんだから、人々や世界への影響は非常に大きく、『天より来る魔狂星』は大型アップデートと言ってもいい。
だから公式からのアナウンス代わりに、とにかく派手で、世界中の誰もが目撃して、大きな話題になるだろう、そんな周知方法を選んだというわけだ。
当然、世界中を巻き込む大混乱になるから、最初ユーリシスとは揉めた。
でも、全ての魔物が突然いなくなるとか、ドラゴンを余裕で倒せるようになるとか、そういった理由や説明が付かない実害を被る大混乱とはまた意味が違う。
極端なことを言えば、実害さえなければ『あ~ビックリした』で済む話だし。
その上で、ユーリシスがちゃんと軌道計算して、町、村、街道などは避けて、人がいない場所ばかりを選んで落としたから、物損および人的被害はゼロだ。魔物討伐中の冒険者達の付近にだって落ちないよう、ちゃんと配慮されている。
もちろん、これだけ派手なことをするんだから、周知だけで終わらせるのはもったいないんで、他にも幾つかメリットを考慮した上でのイベントに仕上げてある。
というわけで、周知自体は一回で十分だからもう安心してくれていいんだけど……さすがにこんなこと言えないよなぁ。
だから代わりに用意しておいた、それっぽい理屈を説明する。
「あんな虹色に光ってる星が落ちてくるなんて、聞いたこともなければ、本で読んだこともないんだ。多分、一生に一度、出会うかどうかも分からないくらい珍しい天体ショーじゃないかな? そんな世紀の大イベントに出会った以上、俺達が生きてる間に、またあんな星が降ってくることはないと思うぞ」
「そういうものなんですか?」
「ああ、そういうもんだ」
なんの根拠も示せないけど、二人を安心させるように断言しておく。
そもそも、創造神たるユーリシスの証言で、人類が滅亡するのは魔物のせいだって判明していて、小惑星の落下って天体ショーのせいじゃないからな。
だから自信を持って断言出来る。
「……ミネハルさんがそう言うなら、きっとそうなんですね。やっぱりミネハルさんはすごいです。学者さんだけあって、物知りなんですね」
なんちゃっての学者だけど、その肩書きのおかげで説得力が出たらしい。
少しは不安が和らいでくれたみたいで、ティオルはほっとしたように肩の力を抜くと、握り締めたコップの水を飲む。
「そうですねぇ……本当にまだ危ないならぁ、ミネハルさんもぉ、ユーリシス様もぉ、もっと慌ててどうにかしようとしてるはずですよねぇ」
「ああ、そういうことだ」
ララルマも、少しは落ち着いて食欲が出たのか、フォークでソーセージを突き刺しかぶりついた。
二人の不安を取り除けて良かった……と思ったら、ティオルがまた不安げに表情を曇らせてしまう。
「お父さんとお母さん、お姉ちゃんとお義兄さん……大丈夫かな? リセナ村に落ちたりしてないかな……?」
ああ、なるほど、そういう心配か。
これはさすがに絶対大丈夫だって俺が断言するのは不自然だな。
「確率を考えれば、滅多に村や町に落ちるとは思えないけど、心配なら一度リセナ村に戻ってみるか?」
片道二週間以上かかるけど、それでティオルが安心するなら戻るべきだろう。
「うーん……ちょっと、考えてみます……」
距離があるから、そう易々と行ったり来たり出来ないからな。
でも、何故、一瞬恥ずかしげに頬を赤らめたんだ?
そんな話の流れだったか?
ともあれ、悩むように頷いたティオルから、ララルマに視線を向ける。
「ララルマも、心配なら部族のところに様子を見に戻ってみるか?」
「そんなの別にいいですよぉ」
随分とあっさりと首を横に振る。
部族を追い出された身では、戻れないし、戻りたくないのかも知れないな。
「ティオルちゃんがリセナ村に戻りたいならぁ、ティオルちゃん優先でぇ」
「ララルマさん、ありがとうございます」
「そうか、分かった。どっちにしろ、王都方面への街道が無事に通れることが分からないと動きようがないからな」
まあ、無事で問題なく通れるんだけど。
「これだけ大きな事件が起きたんだ、ドルタードくらい大きな町なら、あちこちから色々と情報も入ってくるはずだ。しばらく情報を集めながら様子を見てみよう」
「はい、もしリセナ村に落ちてたら、王都の方から噂話が来るはずですよね」
町から町へ移動していたら、そういった各地の混乱の状況を聞き逃すかも知れないし、肝心の改変した魔法システムに人々がどれだけ気付いたか、把握出来ないからな。
それに、万一、魔法システムが変わったことが噂にならないようなら俺が積極的に広めないと駄目だし、何より、せっかくレイテシアさんって魔法学の権威と知己を得たんだから、その人脈を活用させて貰わないともったいない。
というわけで……。
同じテーブルに着いている五人目に顔を向ける。
「レイテシアさん、随分大人しいですけど大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫よ。このくらいのこと、なんてことないわ」
大人の女の余裕、みたいな顔で微笑むけど、ちょっと頬が引きつっている。
近隣に魔狂星が落下して町が混乱している最中、突然俺達のところまで駆けてきて、それからずっとこうやって一緒だ。
最初こそ他の人達と同じようにかなり取り乱していて、落ち着かせるのがちょっと大変だった。
ようやく落ち着きを取り戻してくれた後は、らしくなく無口だったわけだけど。
多分、一人じゃ心細かったんだろうな。
「ミネハル君は、全く慌てもしなければ動揺もしていなくて、どっしり構えている……というよりも、鈍いのかしらね?」
「鈍いって……それはあんまりじゃないですか?」
「だって、星が降ってきたのはそういう流れ星が落ちて来ただけだとしても、魔力が乱れて肌や身体の中がピリピリするような感覚や魔石が勝手に光った現象は、原因不明でどんな影響が出るのか分からないのよ? 不安に思うことはないのかしら」
その魔石が魔狂星に共鳴して光ったのも、肌や身体の中がピリピリしたのも、ただの演出で周知以外に特に意味はない。
一応、魔石の発動体としての役割において効率がアップするように、鉱石の特性としての数値を上方修正はしたけど。
要は、魔石が光ったのは、その理由付け程度だ。
「特にいま変な感覚はないですし、どうってことはなさそうですけど。それでも心配なら、夜が明けてから魔法を使って確かめてみればいいんじゃないですか?」
「そうね……もうこんな時間だから、確かめてみるのなら明日になってからね」
よし、これでレイテシアさんがちょっとでも魔法システムが改変されていることに気付いてくれれば、その後がやりやすくなる。
是非とも、魔法学の権威らしく、色々と検証して欲しい。
「それなら今夜はもう遅いからそろそろ……と言っても、今から女一人で宿に戻るのも危ないわね、町中もまだ騒がしいから。今夜はこちらの宿に部屋を取ろうかしら」
何気なく、といった口ぶりで言いながら、チラチラとティオル、ララルマ、ユーリシスの顔を見る。
「レイテシアさん、それならあたしの部屋に泊まりませんか? まだ一人じゃちょっと心細くて……」
それに気付いたのか気付いてないのか、ティオルがレイテシアの手を握る。
「そう? そうね、そこまで言われたのなら仕方ないわね。ティオルちゃんのためにそうしようかしら」
レイテシアさん、ほっと表情が緩んで声が弾んでいるな。
「な、何よミネハル君」
「いえ別に、何も言ってませんよ」
やっぱりレイテシアさんも、今夜は一人になりたくないらしい。
「それならアタシもぉ、部屋にベッドを運び込んでぇ、一緒に寝てもいいですかぁ?」
「ええ、いいんじゃないかしら」
「はい、ララルマさんも一緒に寝ましょう。大勢いた方が心強いです。ユーリシス様も一緒にどうですか?」
「私は結構です。一人でゆっくりと寝たいので」
「ユーリシスちゃんって、逞しいのね」
今回のことでユーリシスが心細く思うことなんてないし、当然の反応だな。
でも、せっかくだから、女の子同士一緒に寝て親睦を深めればよかったのに。
それから、騒動のせいでかなり遅くなった夕食を終えると、ティオルとララルマとレイテシアさんは、ララルマの部屋からベッドを動かす必要もあるんで、早々に二階へと上がっていった。
俺もベッドを運ぶのを手伝おうと席を立つと、ユーリシスに呼び止められる。
「本当にお前の思惑通り事が進むのですか? ただ混乱して終わりでは改変した意味がありません」
「なんとかレイテシアさんを誘導するよ。レイテシアさんが上手くやってくれれば、かなりの早さで正しい情報が広まるはずだ」
それから数日はどこもかしこも魔狂星の話題で持ちきりだった。
だけど、再び魔狂星が降ってくるわけでもなく、近隣の町や村から大きな被害の報告も入らず、街道の通行も支障がなく、人々の不安と混乱は次第に薄れていった。
その代わり、日を追うごとに、人々は魔法システムが変わってしまったことに気付き始めたようだ。
今度はその混乱が、人々の間に広がり始めていた。