105 アップデート『天より来る魔狂星』
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アルノメニア大陸東部沿岸の小国、その最東端の海に面した砦にて。
「おい、あれを見ろ!」
太陽が西の地平に沈み、夕闇に包まれていく東の水平線を指さし、見張りの兵士が同僚達へ向かって声を張り上げた。
「なんだあれは!?」
「虹色に光る星……だと!?」
見張りの兵士達の視線の先に、水平線より現れた一際強く輝く星があった。
それも、尋常ではない虹色の光を放つ星だ。
誰一人として、そんな星は見たことも聞いたこともない。
その虹色に輝く星が、水平線より現れたばかりの頃はゆっくりと、しかし次第に速度を増しながら、虹色の尾を引いて天高く上っていく。
「流れ星……にしては変だな」
「なあ、あの星、どんどん大きくなってきてないか?」
不審は不安に変わり、話し声はどよめきへと変わっていく。
他の夜空の星と変わらない、小さな点のようだったその星が、まるで太陽を追いかけるように天空を移動し、次第にその大きさと輝きを増していっていた。
誰もが、流れ星など星が降ってくることは知っていた。
少しでも学がある者であれば、毎年決まった時期になると流星群が見られることも知っている。
だが、その虹色に輝く星の描く軌跡と、次第に大きくなっていくその姿は、それらとは違うことくらいは誰もが理解出来た。
「あっ……!」
そんな誰もが空を見上げる中、突如としてその星が砕けた。
幾つもの巨大な岩塊となったその星は、それぞれが虹色の尾を引きながら、そのまま天空を通過し西の空へ太陽を追って飛び去っていく。
しかし小さな欠片はその軌道を外れて、見る間にその大きさを増していった。
やがて聞こえてくる、大気を震わせる轟音。
「星が……星の欠片が降ってくる!?」
誰かが上げた引きつったその声に、降ってきた虹色の星の欠片に砦が打ち砕かれ、崩れた砦の瓦礫が自分達に降り注いでくる光景を幻視する。
「みんな逃げろ!」
「逃げろってどこにだよ!?」
「知るかそんなもん!」
恐慌に陥った見張りの兵士達は悲鳴を上げて逃げ惑い、砦の奥深くへと逃げ込み、また砦の外へと飛び出していく。
そんな恐慌状態へ陥ったのは、その砦の兵士達に限った話ではなかった。
「ひいぃ! こっちに落ちてくんな!」
「わあぁっ! 助けてくれぇ!」
近隣の村や町でも、また周辺諸国でも、全ての人々が同じように、まるで世界の終わりかと思うような光景を目撃し、悲鳴を上げて逃げ惑い、うずくまって泣き叫び、パニックに陥っていたのだ。
それら星の欠片が村や町を、砦や城を越えて、自分達の上に落ちてこない、それが分かって安堵しても、時を置かず、砕けた星の欠片が大地へ激突する。
星の欠片は直径数十メートルから百メートルにもなるクレーターを生み出し、大量の土砂を巻き上げ周囲へと飛び散らす光景が、遠目からでもハッキリと見えた。
そしてわずかに遅れて、大地が揺れ、大地を穿つ轟音が響く。
幸運にも星の欠片が落下した場所は、町や村、そして街道を避けた無人の地ばかりで、人的被害は皆無だった。
しかし、落下地点にほど近い場所に住む人々、特に地震とは無縁の土地に住む人々にとっては、震度がわずか二や三程度でも、不動の大地が揺れるのは恐怖でしかなかった。
「うわぁっ、地面がひっくり返る!?」
「終わりだぁ! この世の終わりだぁ!」
まさに世界の終わりが訪れたも同然で、再び悲鳴を上げてうずくまり、少しでも安全な場所を求めて逃げ惑い、パニックは拡大するばかりだった。
しかも、パニックの原因はそればかりではなかった。
「きゃっ!? 今の強い光は何!?」
「杖が、いや魔石が光ったぞ!?」
虹色に輝く星とその欠片が上空を横切り、星の欠片が降り注ぐのに合わせて、まるで共鳴したかのように、杖や発動体、魔法道具や魔法陣に仕込まれた魔石が一際強く虹色に輝き明滅したのだ。
王都や領主の城下町、主要な交易都市、城塞都市など、都市部や大きな町の大通り沿いには、魔石と魔法陣を利用した街灯が設置されていて、起動されていないにも拘わらず煌々と辺りを照らし、それら魔石も一斉に強く輝き不規則に明滅を繰り返す。
それは街灯ばかりではなく、貴族や商人の屋敷、高級店や宿屋などで用いられている明かりの魔法道具も煌々と辺りを照らし、水を出す魔法道具からも勝手に大量の水が噴き出すなど、凡ゆる魔石が町全体で一斉に輝き明滅を繰り返し、魔法道具が勝手に起動していた。
そのため、町の全てが狂い崩壊してしまうのではないか、そんな恐怖が混乱に拍車をかけたのだ。
「くっ、なんだこの感覚は!?」
「肌が、身体の中がムズムズする……!」
さらに、魔術師達は周囲の魔力が乱れるのを感じ、魔術師ではない普通の人々も、体内で何かの奇妙な感覚……魔素が共鳴し魔力が乱れる感覚を覚えていた。
意図せぬ力の暴発で自身を吹き飛ばすのではないか、身体の内側から突き破って何かが飛び出してくるのではないか、そんな直接的な死の恐怖すら湧き上がり、泣き叫ぶ人が続出した。
しかし、その現象はそう長くは続かなかった。
ほんの数十秒程度で収まり、魔石の輝きも魔力が乱れる感覚もすぐに消えてしまう。
勝手に起動していた魔法道具も全て停止し、まるで何事もなかったかのように元に戻っていた。
それでも、これまで一度として起きたことのない共鳴現象は、人々に長く恐怖と混乱を与えたのだった。
直径数キロメートルにもなる虹色の光を放つ小惑星。
その飛来と崩壊は、アルノメニア大陸の東部沿岸から始まった。
まだ大陸上空に差し掛からない外海の上空で突如として砕け、幾つもの巨大な岩塊へと変わる。
巨大な岩塊となったその小惑星はそのまま一切高度を落とすことなく、西の空へと飛び去っていった。
その代わりに小さな破片がその軌道を外れ、地上へと落下していく。
細かな欠片は東部沿岸諸国および大陸東方から中央にかけて位置する大国の領地へ、そして一際大きな欠片は魔物の生存領域へ、虹色の尾を引いて降り注いでいった。
さらに、大国同士を分断する魔物に奪われた領域へ一際大きな欠片を降り注がせながら、巨大な岩塊はアルノメニア大陸上空を横断していく。
やがて大陸西部から西部沿岸に位置するリグラード王国上空付近へと差し掛かった時、まるで人々に見せつけるように、さらに砕けて小さな岩塊へと代わり、小さな欠片だけをリグラード王国とその周辺諸国の領土内へ、そして一際大きな欠片は必ず魔物に奪われた領域へと降り注がせていった。
こうして大陸西部から西部沿岸に位置するリグラード王国と西部沿岸諸国、そしてその周辺の魔物の領域へ欠片を降り注がせた小惑星の岩塊は、大陸間の広大な海を避けるように欠片を降り注がせず、アルノメニア大陸西方に位置するフロノイマ大陸へと至る。
そしてフロノイマ大陸上空へ差し掛かったところで、再び砕けてその欠片を大地へ降り注がせ、さらに海を越えてから同様にカルドス大陸の大地へと降り注がせた。
こうして、世界中の人々が等しく世界の終わりのような光景に恐怖し、混乱へと陥ったのだった。
しかし、混乱はそれで終わりではなかった。
やがて人々は知ることになる。
その日、一つの価値観が崩壊したということを。
「まさかこんなことが起きるなんてね……これは論文にまとめて学会で発表すべき驚愕の事態だわ。それには、あの星についても書かないと駄目でしょうけど、名前がないと不便ね。いずれ公式に名前は付けられるでしょうけれど、仮の名前を何か今付けてしまおうかしら」
「じゃあこういうのはどうですか? 魔法を狂わせた星、『天より来る魔狂星』」