104 新システム導入前夜
「ティオル、ララルマ、準備はいいか?」
「はい!」
「いつでもいいですよぉ」
気合いの入った返事と緊張気味の返事を聞いて、杖を前に突き出し構える。
「『その身に素早き力を、アジリティアップ』!」
魔石の前に集めた魔力の塊を二つに分けて、武器と盾を構えたティオルとララルマの身体に染み込ませ、敏捷度が上昇するイメージをする。
「いきま……きゃっ!?」
いつも通り駆け出した瞬間、ティオルが前のめりにつんのめって、なんとか体勢を立て直そうとしながら、わたわたと駆けてそのまま藪の中へと突っ込んで転がってしまう。
「ひゃあぁっ!?」
ララルマに至っては、思い切り転んで転がると、木の幹に激突してしまった。
「二人とも大丈夫か!?」
「大丈夫じゃないですぅ……身体が言うこと聞きません~……」
「んっ……くっ……身体が速く動きすぎて、丁度いいところで止まらないです」
痛みに顔をしかめながら、慎重にノロノロと起き上がろうとするララルマ。
機敏に身体が反応してしまって、上手く藪の中から身体を起こせないティオル。
確認するまでもなく、敏捷度が上がった身体をコントロール出来ていない。
そんな騒ぎを起こして、毒鉄砲蜥蜴が気付かないわけも、見逃してくれるわけもない。
小さな地響きを立てながら、一人だけ突出してしまったティオル目がけて近づいてくる。
「くっ……このっ……!」
ティオルは勢い付けて飛び起きるように藪の中から抜け出し地面を転がると、なんとか半身だけは起こして剣を構えた。
毒鉄砲蜥蜴が噛みつこうと首を伸ばしてきたところに、横一線に剣を振るう。
「『アクセルカット』! うああぁっ!?」
剣を振り抜いた瞬間、ゴキリと嫌な音が響いて、ティオルが悲鳴を上げる。
「ティオル!?」
右肩を押さえて悲鳴を上げ続けるティオルに慌てて駆け付けると、脱臼したのか右腕が肩からぶらりとぶら下がり、しかも筋肉が断裂して内出血も起こしたのか青黒くなっていた。
まさかこんなことになるなんて!
「危ないですぅ!」
ララルマの悲鳴と、俺とティオルの上に落ちてきた影。
振り仰ぐと、『アクセルカット』で首を切りつけられた毒鉄砲蜥蜴が怒りに任せて、大口を開けて今にも俺に噛みつこうとしていた。
「ストーーーップ!!」
慌てて叫ぶと、毒鉄砲蜥蜴が眼前でピタリと止まる。
そよいでいた風も、揺れていた草も葉もだ。
そして、悲鳴を上げていたティオルも悲鳴を途中で途切れさせて動かなくなり、俺達を助けようと慌てて立ち上がりつんのめった格好で、ララルマも宙に身体を浮かせたまま止まっていた。
俺の身体も、指一本動かすことも瞬き一つすることも出来ずに止まっている。
内心でほっと胸を撫で下ろしつつ、意識を本当の身体に戻した。
「ふぅ……ちょっと焦った」
この身体では浮いていない額の汗を、思わず手の甲で拭う。
目の前には、きっかり五十メートル四方で区切られた森が広がっている。
そしてその中央付近には、複製の毒鉄砲蜥蜴、複製のティオルとララルマ、そして複製の俺が、戦闘途中で動きを止めていて、まるで等身大のジオラマのような光景を展開していた。
その森の外側には疑似神界が広がっているせいで、余計にそれっぽく感じる。
「いきなり実戦で使うのは論外だとしても、練習でも試さなくて良かったな……まさか加速した腕の動きに負けて脱臼したり筋肉が断裂したりするとは思わなかったよ。本人で試していたら、下手したら剣士として再起不能になって、ティオル英雄化計画が頓挫するところだった」
「事前の練習はおろか、身体の動きの確認や慣らしもしないで、いきなり戦闘しようと動けば誰でもこうなります。不用意すぎるのではないですか」
隣に立っているユーリシスが冷たい眼差しを向けてくるけど、俺も言わせて貰いたいことがある。
「まさか、バフの身体強化系が、こうまで扱いにくい仕様になってるとは思わなかったんだよ」
言い終わる前に、ユーリシスの眉が吊り上がって表情が険しくなる。
「敏捷度の上昇も、そして多分筋力の上昇も、術の対象者が身体のコントロールを出来ないんじゃ、意味がないだろう? しかも、常に術者が集中して魔素を対象に供給して維持し続ける必要があるなんて、労力に見合わなすぎる。この仕様だと、多分デバフも術者が維持し続ける必要があるんだよな? 道理で、極端に使用率が低いわけだ」
ユーリシスに詳細を説明して貰ったところ、バフ系の仕様は次のようなことらしい。
敏捷度でも筋力でも、対象の身体に内包している魔素に影響を与えて、謂わば新陳代謝を上昇させ、全身の筋肉に過剰なエネルギーを供給し、脳内の身体をコントロールするリミッターを緩めることで、通常では出せない素早さやパワーを発揮させる魔法らしい。
おかげで問題が幾つも浮き彫りになった。
まず、神経の伝達速度、所謂ところの思考加速まではされないために、脳も神経も通常の処理速度でしか身体をコントロール出来ないため、使いこなすには訓練と慣れが必要になること。
使いこなせないと、今の複製のティオルみたいに、自ら身体を破壊してしまう。
次に、術者が対象に与える影響、つまり供給するのは魔素であって、スタミナやエネルギ-じゃないため、身体を強化されて消費されるのは対象のスタミナやエネルギ-だから使用後の疲労感が普段より強くなること。
まあこの程度のデメリットは、気軽に使いすぎないための抑止力として必要なバランスの範囲だと思うから、特に改良しなくてもいいだろう。
次に、術者が集中してその魔法を維持し続けないといけないため、戦力がダウンすること。
ケースバイケースだとは思うけど、普通に攻撃魔法を使って削った方が早い場合もあるだろうし、対象が一人だけならともかく、複数人相手となると術者の負担が大きすぎて、すぐにMPとスタミナが尽きてしまいそうだ。
しかも術者の集中力が途切れたら突然効果が消えるわけで、対象も混乱するだろう。
そして最後に一番の問題なのが、対象の身体のサイズに影響を受けて、術者の負担が増すことだ。
つまり、術者の魔素を対象の全身にくまなく供給する必要があり、身体が大きいとその分余計にMPを消費することになってしまう。
効果は同じなのに、戦力として期待出来る身体が大きい奴に使うほどコスパが悪くなるなんて、どうなんだろうな。
「ユーリシス、もしかして最後の欠点は、デバフも同じか?」
「欠点とはなんですか、至極当然な仕様です。お前の視点が逆位置からなのです。角穴兎のような小さな魔物の動きを阻害するために必要な労力、コストと、数十メートルの巨体を持つドラゴンの動きを阻害するために必要な労力、コストが同じであるわけがないでしょう」
「その理屈は分からないでもないけど……」
「それと同じ理屈で、お前の言うバフも、同様の仕様になっています」
「その理屈も分からないでもないけど……」
おかげで、バフ、デバフ、両方とも使えない魔法になってしまっているわけだ。
一応ホロタブで過去映像を見て確認してみたところ、その利用方法はちょっと切なかった。
例えば、小川や地面の亀裂を越えるのに、一人に『アジリティアップ』を使って加速させ飛び越えさせて、ロープを張って貰ってそれを伝って渡る。
例えば、魔物を押さえ込むのに、『ストレングスアップ』を使って押さえ込む。
これはまだいい。
例えば、魔物から逃げるのに、術者が自分に『アジリティアップ』を使って、一人だけ助かるとか。
例えば、工事現場で重たい資材を運ぶのに、『ストレングスアップ』を使うとか。
食い逃げ犯が『アジリティアップ』を使ってドヤ顔で逃げ切っている映像を見た時は、頭痛に思わず頭を押さえてしまったくらいだ。
最後の悪用はともかく、日常生活で便利だねって使い方が主流で、せいぜいが冒険中の行動補助程度。ゲームのように敵を倒すためのパワーアップとして使われることの方が例外らしい。
その数少ない例外も、追い詰められた最後の手段として、一か八かで死に物狂いになって魔物に突っ込む、そんな時に使われることが多いみたいだ。
「これ、バランスを取り直そう。でなければ、もっと使い勝手のいいバフ、デバフを上位互換か別系統で棲み分けして新魔法として用意しよう」
使いやすくなれば、今の魔術師がほぼ攻撃魔法のDDで占められているところに、バッファー、デバッファーって役割が出来て、戦術にも多様性が出るはずだ。
それにやっぱり、バフ、デバフを利用すれば、格上の敵でも挑戦しやすくなる。
格上に挑戦しなくたって、前衛の生存率は確実に上がるんだ、やらない手はない。
「用意するも何も、まだ魔法システムそのものをどうするか決めていないのに、どう用意すると言うのです」
「じゃあ魔法システムをどうするか決めてしまおう。今から話し合おうか」
俺が仕事モードに切り替えて催促すると、しまったと言いたげな苦い顔をするユーリシス。
「完璧にまとまってなくても、アイデアレベルでもいいから、まずは聞かせてくれるか?」
ユーリシスは迷うように目を伏せると、しばらくしてから小さく溜息を吐いた。
そうして伏せていた目を上げると、考えを語って聞かせてくれた。
その後、俺達は気が遠くなる程の時間を使って意見を戦わせて、魔法システム改変の仕様を決めて、既存の魔法の性能を修正し、新魔法の創造と追加を行った。
そして、かなりの混乱を人々に、特に魔術師と魔法学の研究をしている人達に引き起こすのは避けられないだろうって共通の結論が出て、それを念頭に、いかに改変した魔法システムを導入するかも決めた。
でも、その混乱の後、人類側の戦力は確実に、それも大幅にアップするはず。
後は、いかに呪文云々の正しい知識を正確に、そして迅速に広めるかだ。
そこは、魔法学の権威たるレイテシアさんに大いに期待しよう。




