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Sch=Wa  作者: 佐治道綱
第一章 イリバティア戦役
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第一話「平和の檻の中」(6)




 ”光の庭園”を出たミケーレ・ファインセルは通路に面した窓から空を見上げている金髪のリクス・ファルネベルズ伯爵の姿を見て驚いた。伯爵はいつからそこにいたのか。ティーフェ・ラインファーネ姫と話しているところを見られていただろうかとミケーレは考えた。


 ファルネベルズ伯爵は大人一人の身の丈ほどの高さのある大きな窓から青い空を見上げている。眩しそうに目を細めていた伯爵はミケーレ皇太子に向かって姿勢を正す。金色の口髭と顎鬚をたくわえた顔を柔和に綻ばせ、左手を右肩に添えて、ミケーレに対して優雅に礼をした。右肩に添えた左手の中指には金と銀の四連指輪が嵌められている。中指の一番上と一番下には銀の指輪。その間には二つの金の指輪。幅の細いそれぞれの指輪の表面には文字が刻まれていた。一番上から順に”ダーマ”、”ヴェルナー”、”シラハト”、”ヴィサリィ”という四民族の名称がそれぞれの言語で刻印されている。


 「御機嫌よう、ファルネベルズ伯爵」


 ミケーレは親しげに伯爵に声をかけた。ファルネベルズはヴェルナー民族系の大貴族であるが、大半のヴェルナー貴族が持っている民族の違いで人を分け隔てるという感覚を持ち合わせていない稀有な人物である。ミケーレ皇太子はこの伯爵を嫌いではない。


 「皇太子殿下。御機嫌麗しゅう。丁度、光の庭園にはラインファーネ殿下がいらしたはず。久方振りの会話を楽しむ機会は持たれましたでしょうか」


 ファルネベルズの声は快活であり、流麗である。まるで詩を詠んでいるか、舞台劇の台詞でも述べているかのようであった。ミケーレの若々しい実直さが感じられる声とは対照的である。


 「ええ。皇太子になったからといって、幼馴染みとも気軽に話す事が出来ないというのでは不自由極まりないですからね」


 「そうでありましょうとも。世の中には些細な事を大事として拘る輩が多いですからな」


 ファルネベルズはそう言い、頷いていた。


 「伯爵は何を見ていらしたのですか?」


 ミケーレはそう尋ねながら、伯爵が空を見上げていた窓の方を見る。伯爵も窓の方を見て、右手で顎鬚を触りながら再び空を見上げた。右手の薬指に嵌められたファルネベルズ家の紋章が入った金の指輪が日の光を浴びて輝く。


 ふとミケーレは自分の右手に嵌められている指輪が気になった。右手の人差し指に嵌められている皇太子位を表す白金の平打ちの指輪。鮮明な光沢で輝くその表面にはヴェルナー語が刻まれていた。アレヴェル帝国第十一代皇帝アンセルモ・プロスレンツァがミケーレ・ファインセルを皇太子として認証したという一文である。この指輪を嵌めるまでにどれだけの努力を積み重ねてきた事だろうかとミケーレは思い起こした。


 自分は王族になど向かない。王族としての学問や武芸を嗜む事も自分には向いていなかった。皇城の庭でティーフェと一緒に遊んだり話しているのが一番楽しくて幸せを感じられる。年齢を徐々に重ねていく内に今の世の中の流れを知った。ヴェルナーとシラハトとの間に生じ始めた不和。シラハトの血を引いている事で特別視されるティーフェの存在。それらの状況を作り出しているのはヴェルナーの貴族や王族である。状況を作り出すのは自分と同じような地位の人間達なのだ。自分もまたそういった存在なのだと感じ、状況を変えられる可能性を持っているのならば、その為の努力をしようと決意した。何の努力もせずに流されるままなら状況は変えられない。何も変えようとしないならば、自分がおかしいと感じるその状況を作り出しているのも同じだと感じたからである。


 熱心に学問に励み、必死に馬術や剣術の稽古にも打ち込んだ。心を押し殺し、苦手な宮廷社交も無難にこなす術を身につけた。辛く苦しい日々もティーフェにそんな心の内を打ち明ける事で乗り越えられた。


 「フォージリアの空に浮かぶ帝国の船を眺めていたのです」


 伯爵の声が響き、ミケーレは現在の時間へと引き戻された。


 「帝都防衛の浮空艇団をですか?」


 ミケーレも伯爵の視線と同じ先を見やる。青い空には太陽の光が広がり、真っ白で広大な積雲が浮かぶ。地上とその積雲の間に数隻の浮空艇が浮かんでいるのが見える。”揚気”との意味も持つ”ディロージェノ”と呼ばれる特殊な気体。ディロージェノは軽い物を浮かべる力を持つ。膨大な量のディロージェノによって空に浮かぶ巨大な船、それが浮空艇と呼ばれるものであった。船と呼べる本体そのものはそれほど大きくはなく、船を浮かべる為の風船状の”揚気槽”が巨大なのである。


 空に浮かび、空を進む術を得た人間達はそれが戦いの道具として使われる事を恐れた。地上にいる人間が上空に浮かぶ浮空艇に抗う術はごく僅かである。平和が長く続く時代の中で誕生した”浮空艇”ではあるが、各国ともそれが兵器として用いられた場合への対抗手段としても活用するべきであると認識していた。浮空艇が開発された本来の目的はこのフェールネキア大陸を取り囲む黒き雷雲”バリエラ・ディ・ヌーヴォラ”の謎を解明する為であるが、現在までに製造された浮空艇で黒き雷雲に入って無事に出てこれた船は皆無である。自然とした流れで、黒き雷雲の調査という目的よりも旅客や交易物の輸送、防衛の為に利用されるという存在に落ち着いていた。


 「この平和な世の中にあのような船が浮かぶ。不思議なものですな。それぞれの国がそれぞれを疑い、万が一に備える。アレヴェル帝国は戦いに精通したシラハトの部隊を以って外敵に備えていますが、帝都の空の守護はヴェルナーの近衛部隊にしか任せない。自分達でシラハトに冷たく接しているからその反動を恐れて、その強い力を身近に置くことが出来ないでいる。実に愚かしい状況と言えますな」


 ファルネベルズ伯爵は困ったように両手を広げて見せた。


 「そんなにも愚かしい状況なのでしょうか?」


 ミケーレは幾分慎重に言葉を選びながらそう言った。


 「勿論です。それぞれの力をより良く発揮出来るように配慮するのが本当であります。現在のようなやり様では”頭の悪さに気分が悪くなる”と暴言を発してしまいたくなりますな。私は他人のやり様の悪さを見せつけられるのがあまり好きではないのですよ」


 ファルネベルズの口調は相変わらず流麗である。その言い様にミケーレは思わず笑ってしまう。


 「リクス・ファルネベルズ伯爵。貴方は愉快で賢い御方ですね」


 そう言われた伯爵は笑みをこぼし、ミケーレに対して再び礼をする。


 「そのような御言葉を頂き、光栄に御座います」


 ミケーレはもう少しこの伯爵と話していたかったが、ティーフェとの再会に時間を費やした事もあり、そろそろ自分の執務所へと戻って皇太子としての執務をこなさなければならない。伯爵にそのように説明し、待たせていた侍女達を連れて、執務所へと急ぎ戻る事にした。


 「では、伯爵。御機嫌よう」


 リクス・ファルネベルズは再び左手を右肩に添えて、深深と頭を下げ、皇太子と侍女達の姿が通路から消えるまでその姿勢を保っていた。





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