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Sch=Wa  作者: 佐治道綱
第一章 イリバティア戦役
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プロローグ





 「Jigjig Jigjig」


 馬車の荷台で揺られながら青年は歌い出す。


 荷台に敷き詰められた干草の上に仰向けになり、青く晴れた空を眺め、青年は歌う。


 「青い空に 浮かぶ 羊たち

  白いのも 黒いのも 羊

  空駆ける 数多の羊たち

  彼らを率いるは 神秘なる雌羊

  優しき時には その色 白く

  怒れる時には その色 黒く」


 青年の歌う声の調子は明るい。明るいが、あまり美しい旋律を紡いでるとは言えず、御者台で馬を操り走らせていた農夫がなんとも言えない表情を浮かべる。


 「お兄さん、あんまり歌は上手くないねぇ」


 青年は頭を動かさずに御者台の方にちらりと目を向けた。御者台に座っている農夫は青年の頭の後ろ側。そのままの態勢では頭を動かさずに農夫の姿を見る事は不可能である。青年は身体を動かして農夫の方を向こうかとも考えたが、まだ歌の途中なので止める事にした。


 「風に流され 漂う事もある

  その距離は果てしない 彼らの数もまた果てしない

  風に流されず 目指すべき場所に進む事もある

  そんな時には 果てなき怒り 我らのもとへと落とされる

  ただ祈っていても 助かりはしない

  祈りながら 逃げろや逃げろ!

  Jigjig! Jigjig!

  Luhatue! Luhatue!」


 青年が勢い良く声を張り上げると、農夫は表情を崩して噴き出した。


 「一体なんなんだい、その妙ちきりんな歌は?」


 今度は青年も上半身を起こして、農夫の方へと顔を向ける。その引き締まった顔立ちと日に焼けた肌、無造作に切り揃えられた黒髪は獣を思わせた。しかし、歌を笑われたにも関わらず青年の表情は明るく人懐こいものである。


 「へへへ。面白い歌だろう? 異国で子供たちが歌っていたんだ。雷雲の神が来た時に歌うんだとさ」


 「へぇ~。異国ではいまだに神様なんてものがいるって信じられてるのかい?」


 馬車は川沿いの街道を進んでいる。青年は川の流れに目をやり、川の水の音に耳を向けた。


 「さあね。皆が皆、本当に信じているかは知らないけど、雲は実際にあるし、雷雲だって実際にある。雷も実際に落ちて来るんだ。あの子供たちは信じていたんじゃないかな」


 「良いなぁ、子供は。私も子供の頃はそんなもんだったよ」と農夫は微笑む。


 空はそこにあり、風はそこに吹き、雲は流れる。太陽は輝き、大地やたくさんの生き物たちを照らす。何故、そこにそれはあるのだろうか。不思議なものだと青年は思う。


 「実はね。俺はまだ少し信じているんだ。本当はそういう存在があちこちに隠れているんじゃないかってね」


 そう言って笑う青年を見て、農夫も笑いながら何度か頷いた。


 街道の先に大きな街が見えてくる。


 幾つもの建物が立ち並び、その幾つもの建物の赤い屋根が街全体を深紅に彩っている。全ての屋根が赤い訳ではない。同じ赤い屋根にも濃淡があり、紫色の屋根や茶色の屋根もある。しかし、遠くから眺めるとそれは深紅だと感じさせる彩りなのだ。


 「ほれ。あの街がポルポリノだ」


 街道の左側に付き従うように流れていた川は、ポルポリノの街を大きく右へと迂回するようにその流れをくねらせていた。街道はその川を石橋によって乗り越えていく。石橋の長さは大人が両手を広げて十五人ほど並んだほどである。石橋の下を潜り抜ける川の幅はそれよりも数人分ほど短い。石橋を越えれば、もうポルポリノの街の中である。


 「おっちゃん、ありがとう。助かったよ」


 青年はそう言うなり、荷台の干草の上から石橋の上へと飛び降りる。


 突然の行動に農夫は驚き、後ろを振り返りながら馬の速度を緩めた。


 「おいおい! ヴァリアンテまではまだまだあるぞ。ここで降りて良いのかい?」


 「良いんだ。後は歩いていく。俺の名はジャグだ。俺が偉くなったら、美味い酒でも奢ってやるから名前を覚えておくと良いよ!」


 青年は農夫に向かって叫びながら大きく手を振る。農夫も青年の発言に笑いながらもそれに応えて大きく手を振り、馬の速度を元の勢いへと戻していった。


 青年は石橋の上を歩きながら川の下流の方へと目を向けている。


 ここで馬車から降りるつもりはなかったのだ。ジャグという青年がここで突然降りる事を決めたのは、彼の興味を引くものがこの川の下流の方にあったからである。


 川の下流。その両岸にはそれぞれ数十人の若者たちが集まっていた。若者たちは川を隔てて、互いに殺気立ち、睨み合っていた。木製の棍棒や製鉄工場の廃材である折れ曲がった鉄の棒を手にしている者も何人かいる。


 ジャグは石橋を渡り終え、下流へと向かう坂道を下っていく。


 川の傍の坂道には涼しい風が吹いている。


 その坂道の途中にある酒樽の上に腰掛けている男女がいた。太陽の光を受けて、淡く美しく輝く金色の髪の青年。長く艶やかに伸びた茶色の髪の若い娘。この二人もジャグと同じく、川の両岸にいる数十人の若者たちに目を向けていたのである。


 ジャグはその二人の方へと歩み寄っていった。


 近付いていくと二人の声が聞こえる。二人は川辺の若者たちの方を見ながら話をしていたが、その話の内容は彼らが見ている殺気立った雰囲気の若者たちとは程遠い。


 「あと、寒い季節に暖かい料理を食べたりするのも幸せだね」


 「あ。私は寒い季節に日向ぼっこするのとか好きよ」


 「美しいものを見る事が出来るのも幸せだ」


 「美しい声を聞くのも幸せかも。人の声もそうだけど、鳥の声とかもそうだな。楽器の音色とかも良いな」


 「人の笑顔を見るのも幸せだな」


 「何か新しい発見をした時も幸せ」


 「本を読んでいる時が幸せだ」


 「歌を歌っている時も幸せ」


 二人は幸せを感じる事を互いに口に出しているようである。


 金色の髪の青年がジャグの方へと顔を向けた。それに気付いて、茶色の髪の娘も振り返る。


 「こんにちは」と笑顔を見せて、金髪の青年は少し頭を下げた。


 「どうも。こんにちは」と娘の方もジャグに対して微笑みを浮かべた。


 ジャグもそれに笑顔で応え、「お邪魔します」と言う。


 丁度、その瞬間。川の両岸から幾つもの雄叫びが上がる。数十人もの雄雄しき声が辺りに響き渡り、若者たちは対岸の敵を目指して川の浅瀬へと勢い良く駆け込んでいく。激しい足音、何十人もの人間に踏み拉かれる石や砂利の音、踏み掻き回される川の水音。それらの音がポルポリノの街の一角の落ち着いた静けさを圧倒していった。


 勢い良く繰り出された拳が頬に打ち込まれる。拳が肉を叩く音が響き、その打撃を食らった男は態勢をぐらつかせながら川原の砂石の上へと倒れ込んだ。


 殴り合う。蹴り合う。そのような争いがこの川辺のあちこちで行われている。


 二人の男が殴り合い、その横からもう一人の男が棍棒で敵側の男の背中に強烈な打ち込みを浴びせた。別のところでは同じような鉄の棒を持った二人が互いの脳天を狙って、ぶんぶんとその鉄製の凶器を振り回している。


 殴る。掴む。蹴飛ばす。投げ飛ばす。何人もの若者たちが砂石の上に倒れ込んでいく音。川の中に倒れ、水飛沫を上げる音。怒号。雄叫び。呻き声。


 「これはまた随分と派手だねぇ」とジャグは言った。


 彼が見る限りでは、川辺で行われているその争いは何処か奇妙なのである。必要以上に声を張り上げ、殴り合う若者たちの姿。殴られた者は少々大げさに吹っ飛び、倒れ込んだまま起き上がって来ない。そのように倒れ込んでいる者に追い撃ちをかけるものも少ない。彼らが発している雄雄しき声とは裏腹にどうにも真剣に”喧嘩”をしているようには見えないのである。そして、争いは川を挟んで街側に陣取っていた若者たちの方が優勢のようだ。


 川辺の争いを見つめるジャグの表情を見て、金髪の青年がこう言った。


 「争いはそれが始まる前に勝敗を知っておかねばならない」


 金髪の青年は落ち着き払った表情をしている。ジャグは静かに頷いた。


 「なるほど。お前がこの催しの黒幕か」


 「いや。黒幕なんて大層なものではないよ」


 金髪の青年はジャグの鋭い目つきに少々たじろいだ。それを見た娘は二人の視線の間に割って入る。


 「違うのよ。エミリオはただ争いをなるべく穏便に終わらせようとして知恵を使っているだけ。なるべく怪我人を少なくしようと考えただけなの」


 「争いを穏便に? どういう事だ?」


 このジャグの問いには、金髪の青年エミリオが答える。


 「この争いに参加しなくてはいけない者たちも皆が皆、殴り合いたい訳じゃない。怪我をしたい訳じゃない。この争いの結果なんてさして重要ではないと考えている者もいるんだ。そういった者たちと少し交渉をしただけ。交渉の手段は相手に応じて色々と変わってくるけれどね」


 ジャグはエミリオの眼を見ていた。青く涼しげな美しい瞳である。


 「やっぱり黒幕みたいなもんじゃないか。その交渉とやらはどちらか一方の人間にしか行っていないんだろう?」


 この言葉を聞いたエミリオは微かに驚きの表情を浮かべる。


 「そうか。両方の者たちに交渉をしかけるという選択肢もあったんだな」


 エミリオのこの呟きを聞いて、ジャグと茶色の髪の娘は表情を硬直させ、


 「綺麗な顔をして、なかなかふざけた野郎だな」とジャグは笑った。


 「でも、初対面の人に手の内を教えちゃうなんて優秀な策士とは言えないね」と娘も笑う。


 川辺の争いでは一人の男が獅子奮迅の闘いを繰り広げていた。その茶色の髪の大男は彼に向かってくる相手を次々となぎ倒していく。彼に対して棍棒を振るった男もその棍棒を握り取られ、豪快に殴り飛ばされる。大きな身体をしているのにその動きは俊敏であり、彼に対して打撃を与える事が出来た者は少ない。例え打撃を受けても彼の表情は揺るがず、その態勢もまた揺るがない。


 「あの男は強いな。あいつは芝居を打っていない」


 「ラズという男でね。腕っ節の強さはこの街一番だよ。彼には交渉に応じなかった者や交渉をするべきでない者たちの相手を引き受けてもらっている」


 エミリオの説明を聞いたジャグは怪訝そうに首を傾げた。


 「君たちはどういった人間なんだ? 不良少年や不良少女には見えないが」


 「エミリオも私も学生よ。共和国の大学寮に在籍しているわ」


 「へぇ。学生か。二人とも頑張り屋なんだな」


 「え? どうして?」


 娘は首を傾げる。


 ジャグは二人の服装を見て、そのように判断したのだ。二人とも汚い格好をしているとは言わないが、裕福な家の人間がする服装とも言えない。シンプルな色の素材、シンプルな仕立ての衣服である。ジャグ自身の服装もまた同じような物なのではあるが。


 「大学寮に通える学生なんてのは、裕福な家の人間か、勉学意欲旺盛な頑張り屋のどちらかだろう?」


 「そういうあなたは何者なの? 学生さんには見えないけれど」


 「俺はフェールネキアの各地を遊歴している。まぁ、学生と似たようなもんだ。学生は本や教師から学ぶが、俺は経験や自然から学ぶ」


 「ふ~ん。あなたもなかなかの頑張り屋さんなのね」


 そんなやりとりを聞きながらエミリオは川辺の戦いを眺めていた。ほぼ、大勢は決している。彼が裏で行っていた交渉が功を奏していたのだ。


 「こんな事をしているのだから、今は平和だ」


 エミリオのその言葉に二人も川辺の戦いに目を戻した。


 「昔は本当に人が死んだんだ。今でも人は死んでいくけれど、昔は戦争という出来事の中で本当に多くの人々が死んでいったんだ」


 今の世の中は戦争が起こらなくなって久しい。人々は世の中は平和であると感じ、それぞれの幸せを享受している。戦争に継ぐ戦争の歴史を繰り返してきたフェールネキア大陸の国々は、これまでの歴史の中でそれこそ無数の戦死者を生み出してきたのだ。


 「戦争は多くの人を殺す。人に多くの人を殺させる。誰もが自分が殺す相手それ自身を憎んでいる訳ではない。戦争が原因となり、相手国の人間を憎んだとしても、最初から憎んでいた訳ではない」


 「今の世は平和よね。ヴェルチア共和国は特に平和だと思う」


 「だけど、平和の世でも争いはなくならない。大勢の人々が死ななくなっただけだ。様々な姿に形を変え、今も争いは続いている」


 ここでジャグが口を挟んだ。


 「戦争で死んだ多くの人間を実際に見てきたような口ぶりだな」


 「勿論、実際に見た訳ではないよ。歴史の本で学んだんだ」


 この返答を聞いたジャグは何かを口にしかけたが、実際には別の事を口に出した。


 「平和、平和と言うが、そうも言えない状況になるかもしれないぞ」


 これにはエミリオが素早く反応した。ジャグの方を見て、その青き瞳で問う。


 「アレヴェル帝国。あそこは危ない。一部の人間たちが他の多くの人間たちを自分たちとは全く違う者として見ている。まるで自分たちとは違う生き物だと言わんばかりにな。君はさっき、戦争は殺す相手を憎んでいる訳ではないと言ったが、憎しみそれ自体は戦争を引き起こすと俺は思う」


 川辺の争いは終結している。ラズという大男が相手側の親分格を打ち倒したようだ。


 「僕はもし再び戦争が起こった時にも自分の知恵を役立てられるように学んでいる。もし戦争が起こらなかったとしても、世の中からあらゆる争いをなくす知恵を身に付ける為に」


 「これはまた大きく出たな。大昔のアレヴェルの皇帝がやろうとしていたように大陸全ての国を一つに束ねでもしないと叶わぬ事だぞ」


 エミリオは風に金色の髪をなびかせながら優しく微笑んでいた。


 ジャグはその微笑みを見て、大きく笑う。


 「俺は世の中の事なんて大して気にならないな。俺はただ空が欲しい」


 この言葉には茶色の髪の娘が小さく噴き出した。


 「空が欲しいって、それはちょっと難しいと思うよ?」


 「そうだな。とりあえずは空を飛べれば良い。俺はこれからヴァリアンテに行って、空軍の兵士に志願するんだ。空軍の兵士になれれば滑空機に乗れるからな」


 「ヴァリアンテに行くんだ? 私たち、ヴァリアンテの大学寮にもたまに行く事あるのよ。もしかしたら、また会えるかもしれないわね」


 「そうだね」とエミリオも言う。


 「じゃあ、再会した時の為に名前を教えておこう。俺の名はジャグだ」


 「ジャグ? 変わった名前ね。私はフランカ。フランカ・アマーティよ」


 「僕はエミリオ」


 「では、再会の時にはお互いの名を呼び合い、酒でも酌み交わそう」


 ジャグはそう言って、下ってきた坂道を上っていった。


 そして、坂道を上りながら後ろ手に手を振る。


 エミリオとフランカもその姿に向かって手を振った。





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