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Sch=Wa  作者: 佐治道綱
第一章 イリバティア戦役
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第ニ話「檻を砕く魔物」(2)




 帝国近衛軍の浮空艇が燃え盛り、おびただしい煙を吐き、飛び散りながら地表へと落ちていく。爆発する船体上部の揚気槽。爆発によって船体からアレヴェル帝国の近衛兵達が投げ出される。炎に焼かれながら落ちていく者。まだ無傷ではあるが、地表に強かに叩き付けられるだけの運命が待っている者。すでに大きな傷や衝撃を受けて絶命している者。たくさんの者達がフォージリアの空を舞っていた。近衛軍の浮空艇は帝都の上空を斜めに横切り、西の草原に落着し、大地に轟音を響かせた。浮空艇を包む炎は草原をも燃やし、その煙はフォージリアの青い空を暗い灰色で隠していく。


 コエン中尉はその光景を横目で見ながら軍馬を皇城へと向けて走らせた。


 「くそ! なんだと言うんだ! 奴らは悪魔と契約でも交わしたのか?」


 帝都上空の積雲から姿を現した見知らぬ三隻の船。従来の浮空艇などとは違うものだという事はすぐに分かった。空を進む速度も浮空艇とは段違いである。これまでに聞いた事のない”音”の発生源はあの三隻の船だったのだ。その三隻の船からは翼持つ藍色の”何か”が何体も飛び出してくる。それらが帝国近衛軍の浮空艇団に襲い掛かり、次々と近衛軍の滑空機や浮空艇を地上へと落下させているのだ。


 コエン中尉はフォージリアの上空を飛び交う藍色の”何か”も先ほど目にした悪魔のような存在なのだと確信していた。南門でのシラハトの軍人達との対峙。ベルトルト・ファルケン少将の号令によって出現した三体の悪魔のような存在。その三体は通常の馬車のものよりも大きな箱の中から現れたのだ。あの三台の馬車はただあの悪魔のような存在を運ぶ為にあったのだ。馬車の周りにいたシラハトの軍人達を遥かに上回る背丈、それは通常の人間二人分ほどの大きさである。緑みがかった紺、鉄紺色の鋼鉄の鎧をそれは纏っていた。或いはその鋼鉄が”あれ”の皮膚なのかもしれない。その鋼鉄の鎧の隙間から漏れる不気味な息吹と金属音。その悪魔のような存在が手にしている巨大な斧槍。


 シラハトの軍人達と対峙していたクルティス大尉やコエン中尉、その部下達はその尋常ならざる光景に呆気にとられてしまった。彼らが三体の鉄紺色の悪魔によって薙ぎ倒され、フォージリア南門が打ち破られるのに僅かな時間しか掛かっていない。薙ぎ払われた彼らの傍を軍馬に跨ったシラハトの将帥達とそれに続く漆黒の兵士達が通り過ぎていったのだ。シラハトの三将帥の叛乱か、それともフュールング領所属の帝国軍の叛乱か、もしかするとシラハト人全体の叛乱なのかもしれない。帝国にとってかつてない大事である。


 「この事を一刻も早く伝えねば…!」と、コエン中尉は馬に鞭を入れた。


 前方から激しい衝撃音が響いてくる。進行方向の右斜め前方で粉塵が巻き上がり、その粉煙の合間から二階建ての衛兵詰め所の一つが崩れ落ちるのが見えた。巻き上げられた粉塵が周囲を厚い幕のように覆う。その幕の数カ所に穴があくように奥から勢い良く風が何度か巻き起こる。その風と共に奥から現れたのは、あの巨大な鉄紺色の騎士であった。長大な柄を鋼鉄の手で握り、周囲の粉塵を吹き払う息吹と共にその巨大な斧槍を打ち振るっている。さきほどの三体とは別のものだとコエンは判断した。きっと現在のフォージリアの街中には数多くの巨人達が攻め込んでいるのであろう。


 その巨大な鋼鉄の騎士から何かの音が発せられた。大きく響く不気味な音。


 「…まさかこれは声か!?」


 コエンの耳にはその不気味な音が言葉を紡いでいるように聞こえた。普通の人間の声ではない。その鋼鉄の鎧を打ち震わすかのように発せられる声は非生物的である。その言葉は途切れ途切れで、その意味を理解するには頭の中でそれぞれの言葉を繋ぎ合わせる必要があった。


 『我々に対して抵抗は無意味である。大人しく武器を捨て降伏すれば、無駄に命を取るような事はしない』


 この鋼鉄の魔物はそう言っているのだとコエン中尉は理解した。だが、得体の知れない生物にそのように言われても素直に従う気にはなれない。その不気味な声も更にその存在を魔物然とさせており、詰め所から遁走する衛兵や粟を食って逃げ惑う住民達を恐れ戦かせているのである。多くの者はその魔物から逃げ、残りの者は弓や銃を構えてその魔物に立ち向かう。コエンは近衛司令部に一刻も早くシラハト叛乱の事実を報告する事を優先させ、この場を駆け抜ける事を選択した。鉄紺の魔物が水平に振るう斧槍の下を身を屈めて潜り抜ける。魔物が振るった斧槍の風圧でコエンの濃紺の制帽が吹き飛ばされた。


 皇城ヘーエガルテンを目指して軍馬を疾駆させる。こんな異常な状況でもきちんと乗り手のいう事をきいてくれるこの軍馬は立派だとコエン中尉は思う。人間と同じようにあの化け物に恐れ戦き、身動きできなくなったとしても不思議ではないというのに。


 壮大な皇城へーエガルテンの姿が目に入り、皇城へと続く大通りへの角を曲がると、その大通りに帝国近衛軍が敷いた防衛線が見えた。車輪付きの大きな砲台や巨大で分厚い鋼鉄の楯、鉄製の長槍を束ねて作られた急拵えの逆茂木。それらが立ち並び、その後ろにアレヴェル帝国軍の近衛兵達が控えている。防衛線の中央付近に近衛司令官の一人であるベルナルド・カヴァルリ伯爵の姿が見えた。コエン中尉は姓名と階級を告げながら防衛線の中へと入っていく。馬を下り、カヴァルリ伯爵とその参謀達が言葉を交わしている場へと歩み寄る。カヴァルリも参謀達も何かに怯え苛立っているのが見て取れた。


 「カヴァルリ閣下。我々だけではなくシラハトの部隊にも出動を要請した方が宜しいのではありませんか」と参謀の一人が言っている。


 それを聞いたカヴァルリ伯爵は表情を歪ませ、その参謀を蔑んだ目で見やった。


 「馬鹿を申すな! 貴様にはあの船に刻まれたフュールングの紋章が見えぬのか? あれはシラハトの紋章ぞ。これはシラハトの叛乱なのだ」


 「し、しかし、これがシラハトの叛乱であったとして、その軍勢があのように堂々と自らの紋章を掲げるでしょうか…。他国の軍勢が我々とシラハトの不和を利用しようとあの紋章を掲げているという可能性も御座います」


 確かにそういった可能性もあるとコエン中尉は思った。だが、彼はシラハトの三将帥が実際にこの襲撃を指揮しているのを目撃しているのである。これはシラハトの叛乱なのだ。カヴァルリ伯爵の判断は正しい。その事を自分が報告する事によって適切な対応を近衛司令部は取る事が出来るであろう。


 しかし、カヴァルリ伯爵の次の発言を聞いたコエンは自らの耳を疑った。


 「貴様はシラハトを知らぬのだ。シラハトは戦う事しか能が無い頭の弱い連中であるぞ。奴らが堂々とシラハトの紋章を掲げたところで何の不思議も無いわ。奴らに自分達が起こした事の重大さを教えてやろう。フォージリアに呼び寄せておいたシラハトの貴族共を順々に処刑するのだ」


 これにはカヴァルリ伯爵の参謀達も驚いた。


 「閣下! はっきりとした事実もわからぬのに処刑を行うなどとは…!」


 「何を言うか。我々はこのような時の為に奴らを呼び寄せておいたのだ。そう、数人のシラハト貴族を処刑した後に次はラインファーネ姫を処刑すると連中に呼び掛ければ良いのだ。ラインファーネ姫はシラハトではあるが、アレヴェル王家の血を引いておる。シラハトの連中にとってはこの上なく貴重な存在であろう」


 そう言って引き攣った微笑みを浮かべるカヴァルリ伯爵を見て、コエン中尉は愕然とする。このような人物が帝国近衛軍を指揮する司令官の一人だと言うのか。ティーフェ・ラインファーネ姫はシラハトの血を引いているとはいっても王家の一人である事には違いは無い。自分達の国の姫を人質として利用するなど言語道断である。ここまでヴェルナーとシラハトの異常な確執は生じていたのか。いや、こういったカヴァルリ伯爵のような人物が尋常ではない確執を育ててきたのであろう。コエンは逡巡した。自分がシラハトの叛乱を確定させる報告をする事は正しい事なのだろうかと。勿論、事実を報告する事は正しい事ではあるが、それによって人の道に反する行為が実行されてしまう可能性がある。シラハトの叛乱が確定した時、カヴァルリ伯爵の意見に賛同する声は数を増すであろう。叛乱は鎮めなければならない。シラハトの暴挙を許してはならない。だが、カヴァルリ伯爵の意見が果たして”人間”として正しいものであるのだろうか…。


 「カヴァルリ閣下! 来ました! 鋼鉄の悪魔です!」


 近衛兵の一人が悲鳴のような叫びを上げる。その叫びを耳にしたカヴァルリ伯爵や参謀達はびくっと身体を震わせた。防衛線の前方に鉄紺色の巨大な鋼鉄の騎士が姿を現す。一体、また一体とその異様な姿は大通りに現れる。三体の鋼鉄の騎士が防衛線を突破するべく歩みを進めて来る。近衛の小隊指揮官達やカヴァルリ伯爵の叫びがほぼ同時に巻き起こった。


 「撃て撃て撃て! あの悪魔を寄せるな!」


 三体の鋼鉄の悪魔に向けて砲撃や銃撃が一斉に行われる。砲弾が大通りの石畳に着弾し、砂煙と粉塵が巻き上がっていく。その中をゆっくりと確実に鋼鉄の悪魔達は進んで来る。悪魔達の無機質な眼が日の光を浴びて不気味に輝く。その光景に近衛軍は戦慄した。


 コエン中尉はカヴァルリ伯爵が参謀と数人の近衛兵を引き連れ、いち早くこの場を逃げ出すのを目にする。彼の脳裏に帝都南門で行われたシラハトの兵士達との銃撃戦の光景が浮かぶ。シラハトの三人の将帥は激しい銃撃の中を陣頭に立って進んでいた。ゴルトベルク中将は左耳を銃弾で削ぎ取られていたが、それでもその眼光が鋭さを潜める事は無く、その確固たる歩みを止める事も無かったのである。それと比べて我々ヴェルナー人の将帥は何とお粗末なのか。コエン中尉は激しい憤りを覚えた。


 防衛線を維持するべき近衛兵達が散り散りに逃げ出し始めた中で彼は思う。シラハトの叛乱の確定事実を報告するのは止めだ。


 そして、コエンは軍馬に再び跨り、長銃を構えて鉄紺の悪魔達に向かって行った。





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