ある魔道師の弟子が見ていた勇者殺し
7人の偉大な魔道師の命と引き換えに召喚された勇者は黒目黒髪の少年のような若者だった。
言われるまま討伐に旅立って勇者が出した答えは…
その日、王国所属魔道師7人の魔力をつぎ込んだ魔法陣から現れたのは黒目黒髪のまだ少年のような年齢の人間だった。
魔法陣に付加した契約に従って彼は勇者とされ、すぐさま王国選抜の優秀な戦士達に聖女と王子を加えた魔王討伐チームが結成された。
そこに勇者を召喚するために全魔力を振るい、尊い犠牲となった魔道師のひとりの弟子が非公式な形でついて行った。
勇者は大人しい男だった。
ただ言われるままに剣を振るい、魔法を放った。
召喚された勇者の常として、魔王討伐を成さなければ、元の世界へ帰還が叶わない事もその要因だろうか。
討伐チームのメンバーが一人、また一人と倒れ落伍していく中でも、勇者の表情が変わる事はなかった。
正義を成すのだとの周囲からの鼓舞も、民衆からの期待の歓声も、勇者のその瞳を輝かさせる事はなかった。
討伐の旅は過酷を極めた。
魔物との戦いは熾烈で、討伐メンバーの心も、身体も疲弊していった。
そんな中で、勇者の表情が動く事があった。
とある魔族を成敗した折だった。
倒された魔族に取りすがって泣く魔族の子どもがいた。
身内を庇って死ぬ魔族がいた。
そこは魔族たちが住む土地で、侵略者は人間の方だった。
その日から勇者の時折考え込む姿が見られた。
魔族と魔物と人間と、一体何が違うのか。
だが、その考えは異端だと、聖女をはじめとした聖職者達に一蹴された。
討伐メンバーは魔族に与する精霊族達の住まう土地に到達した。
強力な力を持つ彼らだったが、勇者と神の加護を得た聖女の働きと数の暴力で彼らの抵抗はあっさりと封じられていった。
ここで勇者ははじめて討伐メンバーの指示に従わなかった。
精霊族にとどめを刺さず、逃亡すら見逃したのだ。
勇者に叛意ありと糾弾する聖職者達を王子が窘め、何とかその場は事が収まったが、討伐メンバーと勇者の間には決定的な亀裂が生まれた。
勝手な行動を起こさないように、夜寝る時も服従の鎖につながれる勇者を、勝手に一行の後を追っている魔道師の弟子だけが 複雑な表情で眺めていた。
やがて自らの正義に賛同しない勇者を疎ましく思う者もあらわれはじめた。
だが、勇者の力は甚大でその力を失うには惜しく、仲間達は勇者の力のみを求めるようになった。
討伐メンバーの誰もが、徐々に勇者に関心がなくなっていった。
自らの世界から切り離され、勝手に呼びだされた世界で戦う事を強要される勇者の気持ちを、
誰も考えなくなっていったのだ。
たしかに長い間。魔族は人間は苦しめすぎた。
だが、そこに至った背景は誰が悪者と簡単には判ずる事が出来ず、ただ人間たちは魔族とそれに加担するものに憎悪を募らせ、自らを正義と謳う事をはばからない。
神も力の弱い人間達に同情的で、もはや人間達を思い留める存在は何もなかった。
やがて大変な苦難のもとに魔王討伐はなされ、討伐隊のメンバーは王都へ凱旋した。
討伐メンバーには名誉と宝物や領地などが褒賞として与えられ、勇者も政治的に影響力のない小さな領地を賜った。
そう、魔王討伐を成しても、元の世界へ戻るすべは見つからなかったのだ。
やがて、討伐メンバーの中で聖女と王子が結ばれ国中がお祝いムードに沸く中を、ひっそりと勇者は自分に与えられた小さな領地へと移り住んだ。
それから何年もたって、討伐時には王子だった青年が王になり、聖女が王妃となった王国で不穏なうわさが流れた。
「勇者が堕ちた」
「勇者が裏切った」
と。
かくして、王の命を得て兵士達が勇者の領地に踏み込んだ時、彼は二人の子どもを竜の背に乗せて逃がすところだった。
倒された魔族に取りすがって泣いていた魔族の子どもと、精霊族の子どもだった。
すでに聖剣を王国に返納していた勇者は、踏み込んできた兵士達に抗う術もなく取り押さえられた。
そして王族の前に引き出されると裁きを受けた。
「魔族にどれだけ人間が苦しめられていたのか、そちには話をしてあったな。それなのになぜ?」
王の問いに勇者はこの世界に召喚されてよりずっとその瞳に宿る影の揺れる瞳で見返して答えた。
「本当に共存の道はないのか?」
「ない。死んだ魔族こそが良い魔族なのだ」
「種の多様性による可能性の話を考えてみてくれないか?」
「魔王が死に、ようやく訪れたこの平和を、お前は壊そうというのか?」
「そんな平和はまやかしだ。違いが明らかな異種間で譲り合って調整できぬ者が微妙な違いからなる同種間の争いをうまく裁けるとは思えぬ。共存をしようとする努力を放棄してひとつの思考に染めあげた瞬間から、創意工夫や努力停止してしまう」
王は威厳をもって言った。
「その昔、脅威は魔族だった。だが、今の脅威はお前だ」
「そして俺の次には何を脅威にするのだ?」
勇者は落ち着き払ってそう答えた。
王は怒り勇者の処刑を決めた。
勇者の処刑には大勢の民衆が押しかけた。
かつて、彼を称えたその口からは彼を詰る言葉が放たれた。
勇者の首が落とされ、処刑人がその髪を掴んで民衆の前に掲げた時、勇者の瞼からはかかった血液がまるで涙のように一筋の流となって落ちた。
かつての偉大な魔道師の弟子が、埋葬の前の勇者の遺体を清める事を願いでた。
勇者は彼の師匠達の貴重な生命を代償にこの世に導かれたのだ。
その肉体が虜囚を得てやつれた姿のまま葬られるのはやるせないと。
王はたいして感慨もみせずにそれを了承した。
弟子は勇者の落ちた首の血をぬぐい髪と髭を整え、胴体の正しい場所へ安置した。
厳しい折檻ののこる身体を覆う布きれを着替えさせるために取り去れば、その身体には無数の古い傷。
聖女は勇者の傷を癒さなかったようだ。
「黒い瞳が闇を連想させ気持ち悪い」
と言い放っていたのを弟子は聞いていた。
「この傷は王子を庇った時のもの。あちらは、聖女に向けて放たれた魔法を跳ね返しきれずに負った物」
弟子は勇者達、討伐メンバーの戦いをしっかり見ていた。
彼の尊敬する師匠の命を代償に呼ばれた存在を目にやきつけていた。
彼は勇者の身体にある古い傷も新しい傷もひとつ残らず検分し、手当をほどこした。
「こんなに傷だらけになってまで事を成したのに、この世界の者はあなたに感謝すら示さず命まで…」
警備のためにそこに残っていた騎士がそれを聞いて居心地悪げに姿勢をなおした。
だが、弟子の呟きに同意の姿勢を示す事はしなかった。
彼は末端とはいえ、討伐メンバーに参加していたのに。
勇者の埋葬にはそれでも討伐の主要メンバーが立ち会った。
咎人として処刑されてのちの埋葬の式は、驚く事に聖女が言いだした事だった。
勇者の遺骸にこれでもかというほど聖水をかけるその姿は、何かを恐れるかのようであったが、勇者の遺体からはその聖性を示すかのように、生きていた時ほどではないが聖水に反応して神々しいオーラが立ち上るばかりであった。
弟子が着替えさせた勇者の死葬の衣が聖水に濡れ、勇者の肩の傷が透けて見えた。
それは弟子が気が付いたとおり、王子を庇った時の傷で、聖女がわざと癒さなかったものだ。
さすがの王も目を瞠り、「あの時の…」とつぶやいて、聖女に「癒さなかったのか?」
と問いただした。
聖女はそれに沈黙で答えると、おつきの聖職者に勇者の棺の扉を閉じさせ、土をかけるように命じた。
ようやくその場にいる者の間に小さな罪悪感が生まれたようで、お互いに目配せをしたり視線を逸らせたりして居心地が悪そうなさまをしているのを、弟子はその聡明そうな目で見ていた。
そうして勇者は葬られた。
名誉も、剥奪された名声もすべては墓碑に刻まれるのみ。
最初に獣人の奴隷達が絶えた。精霊族達も魔族達も生き残った者もいただろうが、人間の勢力拡大に押されたのかその姿を見せないようになった。
人間は同じ人間を奴隷とするようになり、支配するものと支配されるものに別れた。
管理していた精霊族が消えた森は荒れ、実りが減った。
魔族が住むことで荒廃が止まっていた土地はその荒廃を広げはじめた。
人間の中ではささいな違いから差別や区別が生まれ、争いにまで発展していった。
人間びいきだった神は気まぐれのままこの世界を去り、勇者をこの世界に導いた神は勇者の処刑後、この世界を見放したようで神託が聖女や聖職者達におりることもなくなったのだが、慢心している彼らにはその重大性がわかっていなかった。
王の心には勇者の埋葬の時に生まれた罪悪感がはびこり、心から楽しいと思える事がなくなってしまった。そして聖女である王妃と次第にソリが合わなくなり、不機嫌な事が増えていった。
そんな中、「次に邪魔にされるのはわたしたち…」と弟子とその仲間達は魔法を使える者達を集めて 異世界に旅立つ事を決めていた。
そして誰ひとり犠牲になる事なく無事に世界を渡っていってしまった。
あとに残ったのは大勢のただの人間達。
良く似た髪色のよく似た瞳の色の、良く似た姿形の。
そして口々に自分こそが正しいのだと言い募り、ささいな違いや自分の信じる事とは違う意見を否定し認めず。
ある日ある村は疫病で
ある日ある町は天変地異で
ある日ある王国は権力あらそいの果てに
滅びていきました。
誰もが滅びの危機に勇者を待ち望みましたが、二度と勇者が現れる事はありませんでした。