第2話 睡蓮
「折橋 泉と申します。よろしくお願いします。」
彼女はそう言うと、軽くお辞儀をした。
夏なのに彼女の肌はとても白く綺麗だ。その白い肌はまるで夏の暑さでも溶けずにいる雪のようだった。顔が小さく、それでいて手足がスッと細長い。まるで人形のような佇まいだ。
「えー、それではあそこの席が空いているので、そこに座るように。」
先生はそう言うと、教室の真ん中の一番後ろの席を指差した。
ストレートの髪が静かに揺れる。教室中の誰もが彼女に見とれていた。僕もその中の1人だった。彼女が席に着くと、先生が再び口を開いた。
「折橋さんは親御さんの都合で東京から転校して来ました。皆さん、仲良くするように。」
教室の至る所から、ひそひそ話す声が聞こえた。
「あの子ちょーかわいくない?」
「芸能人みたい。」
「やべーよ、あの子って彼氏いるのかな?」
「お前じゃ無理だよ、やめとけって。」
朝礼が終わり、すぐ1限の授業が始まった。授業中も僕は彼女のことが気になって仕方がなかった。話したい、でも突然話しかけたらビックリするんじゃないだろうか。そんな事ばかり考えていて、授業の内容が全く頭に入らなかった。
そして授業が終わって、放課になった。どうしよう、彼女に話しかけたい。でもそんな雰囲気じゃないだろうな。そんなモヤモヤしている僕を尻目に、クラスの女子グループが彼女に話しかけた。
「折橋さんて東京から来たんだよね?」
「ちょーカワイイし。よく言われない?」
彼女は少し戸惑った表情で口を開いた。
「え?…ありがとう。」
「ほんとカワイイし。よろしくねー。」
「うん…、よろしくお願いします。」
「部活は何やってたの?」
「吹奏楽を…。」
「へぇー、そうなんだ。うちの学校もあるけど、さすがに3年生のこの時期からだと入るのは難しいかもね。」
戸惑っている彼女を尻目に、グループの1人がこう言った。
「ねぇねぇ、友達になろうよー。」
彼女は口をつぐんで、眼をそらした。そして、再び前を向いてこう言った。
「ごめんなさい、私は友達がいらないの。」
辺りが少し静まり返った。
「…あっそ。ならいいわ。」
女子グループの1人がそう言うと、自分の席に戻っていった。続けて他のグループのメンバーも、その席の方へ行く。
「何、あの子?感じ悪くない?」
「うーん、まぁそういう子なんじゃない?」
「それよりさー、昨日のFステでさー…。」
何もなかったかのように、女子グループのメンバーたちはまた話始めた。
僕は一連のやりとりを近くで見ていた。彼女がなぜあんな事を言ったのか分からない。聞きたい。今から話しかけようか。でも男の僕が話しかけるのも何か変だよな。そんなことを考えていると、2限のチャイムが鳴った。
昼食の時間になった。僕は前日にスーパーで買ったパンを屋上で食べることが恒例になっている。いつもと同じように、屋上に駆け上がった。
屋上からは町の遠くの方まで良く見える。僕はここから見える景色が好きだ。景色を見ながら色々な事を考える。これからの高校受験の事。将来の事。昨日見たテレビの事。それから…。
「うーん、なんでだろなぁ…。まぁ、いっか。」
日陰に入って座った。パンの袋を開ける。昨日、安売りしていたコロッケパンを見つけた。30円引きのシールが貼られている。賞味期限が昨日までなのだが、僕は気にしない。
そんな事よりも、彼女のことだ。なんで彼女はあんな事を言ったのだろう?まぁ、たしかにあの女子グループはうるさいが、友達がいらない…。
キィッと高い音がした。誰か別の人が屋上に来たようだ。足跡がこっちに近づいて来る。きっと僕と同じように日陰に入ろうとしているのだろう。
「あっ。」
「あ…。」
何ということだろう。そこに立っていたのは折橋さんだった。
「ごめんなさい、お邪魔しました…。」
そう言うと、彼女は振り返った。
どうしよう、何か声をかけたい。話をしたい。でも帰ってしまいそうだ。どうしよう…。えーい、ままよ。
「ここなら他にだれもいないし、大丈夫だよ。」
彼女が立ち止まって、こっちを見た。
「昼ごはんの場所を探してるんでしょ?そこ空いてるよ。」
なんということだろう。折橋さんと2人っきりだ。彼女と僕の間には3mくらいの距離がある。でも2人っきりだ。
何か話しかけよう。さっきの事?いやいや、それは唐突すぎるだろ。折橋さんが怒って帰ってしまうよ。えっと、でも…。あんまり女子と話すことになれていないから…、うーん、分からん。
そんなことを考えていると、彼女から僕に声をかけてくれた。
「あの…、同じクラスの人ですよね?」
「うん、そうだよね。僕は柊 和馬って言います。」
「私は折橋 泉って言います。」
「うん、知ってるよ。今日、転校してきた人だよね。」
やったー、折橋さんと話すことができた。でも、続けて話す事が見つからない。どうしよう。
「そのお弁当箱かわいいね。いつもお昼はお弁当なの?」
「うん。お母さんに少し手伝ってもらうけど、いつも自分で作っているの。」
「すごくおいしそう!その卵焼きとか、アスパラのベーコン巻きとか…。」
「ありがとう。良かったら、食べてみる?」
彼女はそう言うと、アスパラのベーコン巻きを箸でつまんで僕の方に差し出した。
えっと、僕は箸を持っていないんだけど。これはどうすればいいのかな。まさか、ハイッ、アーンみたいな…。いや、それは流石に引かれるだろう。色々迷った挙句、僕は手で彼女のアスパラベーコン巻きをもらって食べた。
「…すごく、おいしい!」
「そう!良かった。」
そう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。いつもは凛とした表情の彼女だが、その笑顔には少女のようなあどけなさが残っている。吸い込まれそうな、そして心の奥底までもぎ取られてしまいそうな笑顔だ。何というか、いつまでもこうして見ていたい。
その後、彼女と少し話をした。好きなテレビの話をしたり、僕は戸部先生のモノマネをして見せた。彼女は楽しそうに笑ってくれた。
キーンコーンカーンコーン。
予鈴がなった。もうすぐで授業が始まる。
「私、先に行くね。」
そう言うと彼女は走って階段を降りていった。
何というか、僕は幸福感に包まれていた。彼女と話すことができたなんて。しかも、お弁当のおかずをもらったり、楽しく笑いあうことができたなんて。これは夢だろうか。夢だとしても、こんな嬉しい夢なら大歓迎だ。あぁ、覚めないで欲しい。
「いけない、授業が始まる。」
我に返った僕は、教室に向かった。
「起立。礼。ありがとうございました。」
ようやく授業が全て終わった。今から帰るわけだが、折橋さんを誘って帰ろう。今の僕なら何でもできるはず。
「お…。」
「和馬、いっしょに帰ろうぜ。」
雅がそう言って僕の横に立っていた。
「え…。えっと、今日は他の人とか…。ああっ?」
僕と雅が話をしている間に、折橋さんは教室を出ていってしまった。
「あー、もう。」
僕は雅を少し睨む。
「はぁ?何で?」
雅はなぜ睨まれたか分からず、首をかしげた。
「へぇー、そうなんだ。折橋と昼飯をねぇ。」
雅はそう言うと、自販機に小銭を入れた。コーラのボタンを押す。
「そうなんだ。だから、帰りも一緒に…。」
「帰り道を一緒にって。周りの人からも見られるけどいいの?お前はともかく、折橋はさ。」
コーラの缶を開ける。プシュッと音がする。雅と僕は再び歩き出した。
たしかに屋上では2人きりだったが、帰り道ではたくさんの人の目がある。一緒に帰るのは恥ずかしいかもしれない。
「それにしてもさ、折橋ってそんなに笑うキャラなんだ。」
「え?」
「今日、友達いらないとか何とか言ってただろ。もっと暗いやつなのかと思ってた。」
そうだった。折橋さんがなぜあんな事を言ったのか、聞けずじまいだった。何であんな事を言ったのだろう。また明日、昼ご飯を一緒に食べれるかな。そうしたら、その時に何か聞けるだろうか。
私は学校から出た後、早足で家に向かった。帰ったら宿題をして、明日のお弁当の用意をして、それから…。
マンションのエレベーターのボタンを押す。
ウィーン。チン。
ドアが開き、そして再び歩き出した。
部屋の表札に折橋の文字が見えた。今日の朝までは、たしかなかったはず。お母さんが用意したのかな。
鍵を開けて、中に入る。
今日は本当に暑かったなぁ。何か飲もう。
そう思って、リビングに向かった。
リビングで泣き声がする。
「お母さん?」
母がリビングで1人、眼を真っ赤にして泣いていた。私は母の隣に駆け寄って、そっと抱きしめた。
「お母さん…。」
「泉ちゃん…。ごめんなさいね。お母さん、もっとしっかりしなくちゃね。」
「お母さん、大丈夫よ。気にしないで。」
母は手で涙をぬぐった。少し落ち着いたようだった。
「泉ちゃん、学校はどうだったの?」
「学校は…。」
笑顔が崩れそうになる。だめ。お母さんに、これ以上心配かけてはいけない。
「順調だったよ。」
そう言って無理やり笑った。