自分の不幸は密の味。
世界で一番不幸なのは自分自身だと思った。
ツイッターやフェイスブックでどれだけ不幸な人を見ても
自分の不幸さよりかは劣る。自分の不幸は、人並みはずれていた。
そう、思っていた。
ある一人の少女がいた。彼女とは病院の屋上で出会った。
フェンスごしで靴を綺麗にそろえ、はだしの彼女はそっと微笑んだ。
「君は、どんなに不幸でも生きているんだね」
はっとした。
一番の不幸とは、「死」
「おい、死ぬのか。お前は今からその一番の不幸を手に入れようとでもしているのか」
「君は、どんなに幸運でも不幸だと思うよ。今、どれだけ恵まれているか知らないんだ」
「なにを言っている。お前は僕のことはなに一つとして知らないだろう」
彼女は黙って顔を背け、大きな大空を手で仰いだ。
そして、おおきくその快晴な憎いほどの空に身を投うした。
「君は、生きるべきなんだよ」
ゆっくりと落ちていく彼女の瞳は涙で輝いていた。
動くことなど出来なかった。不幸な人を無理やり生かすことは酷だと、自分で知っていたから。
へなへなとへたれこむと目にひとつの遺書らしき封筒が留まった。
まさか、と思った。手紙には僕のことが書いてあった。妹がいたのか、生き別れか、兄弟そろって不幸とは、
思わず笑いがこみ上げてきた。止めることが出来なかった。
‐不幸‐
この簡単で、単純な2文字は死ぬまで僕を苦しめる。
そして、彼女の最後の一言。それも僕を苦しめる。
やはり不幸だった。ただひとつ、幸運と思えることがあったとすればそれは
自分は一人ではなかったのだ。そう気づかされたことくらいか。