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帰還と幻視

 アイスマンをご存じだろうか。アルプスの渓谷。イタリアとオーストラリアの国境の氷河にて、見つかった、男性のミイラだ。小さい頃にテレビの特集でそれを目の当たりにした時、映像越しとはいえ、子どもながら初めて見るミイラに、衝撃を受けたものだ。隣でブルブル震える幼馴染みに配慮して、テレビのチャンネルを別のに回したのも、思い出の一つ。


「白骨死体に損壊死体。水死体に腐乱死体。他色々見たことはあるけど……ミイラは生で初めて見たな」

「こう振り返ってみると、首を突っ込んだ末とはいえ、結構酷い体験してるわね私達」


 会話の合間でギシリと、スプリングが軋む音がする。

 お風呂上がりのメリーは、持ってきた薄水色のネグリジェ姿に草色のストールを羽織り、僕の部屋のベッドにゆったりと腰掛けていた。

 しっとりと湿った髪と、上気した肌が何とも色っぽい。そんな格好でベッドに座る彼女の姿はそれなりに見慣れている……筈だけれども、本日は色々あったせいか、僕はどうも落ち着かなかった。


「取り調べ、またされるかな?」


 浮かびかけた邪な感情を振り払うべく、僕は目を逸らしつつ、そんな疑問を投げ掛ける。何の気なしに自室の棚に置いていたルービックキューブを拾い上げれば、背後からは「されないでしょ。他に話すことないもの」という、のんびりとした返事が来た。


「私達は偶々実家に遊びに来てて。偶々ドライブであの場所に来て。偶々車の中で燃え上がってしまったが故に人気のない林に連れだって入り。事に及ぼうとしたら死体に気がついた、不幸なカップルよ」

「凄い詐欺だよね。今思えば」


 要するに、そういう設定だ。

 死体があるから通報しようとしたが、何故あんなところにいたのか、他に理由がパッと思い付かず。加えて僕の服が結構汚れていたのもあり、そんな形で落ち着いた。取り調べが終わり、いい時間なので家に戻り、夕食も食べて今に至る。

 帰って来た時に父さんに「何だ朝帰りじゃないのか?」とからかわれたのは……スルーしよう。

 因みに取り調べの際詳しく聞かれた時の為に、シチュエーションも細かく決めたのは、少しばかり恥ずかしかった。わりと大事なものを喪った気もするが、気にしなくていいだろう。

 最近の若者は……。と、苦い顔で睨まれた程度だ。


「私が貴方を押し倒した。は、無茶だったかしら?」

「服は僕しか汚れてなかったしね。肉食系女子なんて言葉もあるから、大丈夫じゃないかな」

「……本来私は違うわよ?」

「知ってるよ。あ、僕も肉食系では……」

「貴方はヘタレよ。そこは気にしなくて大丈夫」

「酷いぜ相棒。こう見えて一途なんだよ? 決めた相手には肉食になるかもしれない」

「あ、そこは私も」

「……奇遇だね」

「……他意はないわ」


 おかしな沈黙が流れたので、僕は誤魔化すようにルービックキューブをガチャガチャ弄る。メリーは何だかもじもじしながら、シーツをきゅっと握りしめていた。何故お互い確認するかのように性質をカミングアウトし合ったのかは、気にしない方向で行こうと思った。

 そう、気にしないといえば、僕の身体だ。あれだけ派手にやりあったというのに、最初にヒリヒリズキズキした程度で、今はさっぱり痛みもない。

 悪魔曰く低級だからか。あるいは彼処が現実からは離れていたからか。真相は謎だ。

 メリーに言わせれば、私のヴィジョンに近かったのかもしれないわね。とのこと。ヴィジョンを視ている時は、視覚以外は全く働かないらしく。何かの視点で首チョンパされようが、精神的に苦痛があるだけで、痛みも何もないらしい。

 僕は痛みバリバリあったんだけど。と言っても、「悪魔って凄いって事じゃないの?」と言われる始末。

 まぁ、分からないものは仕方がないのだろう。そういう事にしておく。


「そういえばね。取り調べした初老のお巡りさんが言ってたわ。あの辺は昔、婦女暴行があった場所だから、気を許した相手でも気を付けなさいって」


 バラしたはいいけど、ルービックキューブが戻せない。

 何だか悔しいので少し本腰を入れかけていたら、メリーは急にそんな事を呟いた。


「……彼処は、何もなかったんじゃないの?」


 メリー自身が、図書館でデータベースを見た筈だ。振り返りながら僕が首を傾げれば、メリーは神妙な顔つきのまま、僅かに俯いた。


「表向きは。だったみたい。真実は……ほら、ここは辺鄙で、その……」

「田舎?」


 僕が笑いながら肩を竦めれば、メリーは「私の実家も人の事言えないけどね」と、苦笑いしながら、小さく頷いた。


「だから多分、警察沙汰にしたら……あっという間に噂が広まる。酷くて理不尽だけど、被害者側は、それを望まなかったのでしょうね」

「泣き寝入り……って事かい?」


 信じられない。と、思う反面、納得もあった。これ以上掘り返されたくない。そんな思いもあったのだろう。


「まぁ、そのお巡りさんの推測だけど。もう二十年は前の話なんですって」

「……それ、もしかして果てに殺されて、死体が見つかってないってオチじゃあないだろうね」

「一応死人はゼロだったみたいよ。そもそも……私達が見たあのミイラは……」


 少しだけ、メリーは言葉を濁す。

 着ていた服。ボロボロで汚れてはいたが、女性の衣服。恐らくは、結構派手なファッションだ。

 続けて髪型。薄汚れ、ざんばらんに乱れてはいたけれど、アップ目のサイドテール。

 そして……付け爪。

 所謂……〝ギャル系〟


 それは、悠の部屋で見た女性の霊と特徴が一致していた。加えて……。


「明らかに、片目が潰れていたのよね。貴方と悪魔の乱闘を踏まえれば……これは偶然かしら?」

「出来すぎだと思うよ」


 貸して。と、メリーが手を伸ばしてきたので、渋々僕はキューブを手渡す。ガチ、ガチ、ガチ。と、パズルが組変わる音が部屋に響いた。


「そう考えると、色々妄想できるよね。少なくとも、あの女性は悪魔と悠の両方に関わっていた」

「……そうね。それがどんな立ち位置かにもよるけど、まず間違いない」


 ルービックキューブがしっかりと組上がる。お見事。と、拍手を贈れば、メリーは曖昧な弱々しい笑みを浮かべながら、僕にそれを手渡した。


「悪魔の口ぶりからして、悠と悪魔は面識がある。それも、結構親しげだ。にも拘らず、どうして悠は悪魔をどうにかしてほしい何て言ったのか」

「悪魔自身が言うには、相沢君は悪魔に殺された。つまり、ここで言う悪魔は、別のものを指すかもしれないのよね。それに加えて、相沢君の母親も、恐らくはあのギャル系の女性を、悪魔と呼んでいる」


 悪魔がゲシュタルト崩壊しそうだわ。と、メリーは溜め息をつく。その一方で僕は、また別のことを考えていた。


 気掛かりな事がある。既視感と言うべきか。胸に違和感がつっかえているような感覚。


 あの悪魔は、願いの為に何かを為そうとしていた。

 願いに、ミイラ。何だろう。……何処かで聞いた。いや、読んだことがあったような。

 モヤモヤしたものを抱え込んでいると、メリーが芝居がかった動作で指を鳴らす。まだ話は終わっていない。そういう事だろう。


「出来すぎなのは、まだあるわ。あのトンネル……いえ、木立ね。彼処で酷く陰惨な事件が、二度も起きてる。何だか仕組まれたようにも感じるの」

「…………二度?」


 ミイラが見つかった事を含めてるの? 横目がちに構えたまま聞けば、メリーは静かに自分のこめかみをトントンと力なく指で小突き始める。


「あったのよ。婦女暴行は。……あの場で、最近。……二十年ぶりに」

「…………え?」


 たっぷり数十秒硬直してから、僕はそこで初めてメリーを真っ正面から見据えた。

 何を言っているのか。頭で整理するのに暫く時間を要した。そして……。


「まさか……君が見たヴィジョンって……」

「……ええ。感覚も。何にもなくても、やっぱり嫌なものだったわ。あんなに苦痛だったのは……初めて」


 彼女の手は、身体は、小刻みに震えていた。


「……私が、襲われた人間の視界を捕らえていたわ。場所は、貴方が戻ってきた、祠の近く……」

「メ、メリー」


 いつもより早口。いつもより、声に余裕がない。

 数時間前の自分を殴りたくなった。悪魔に拉致されている間、メリーは苦痛なヴィジョンを視た後に、一人ぼっちにされたという事になる訳で……。


「人数は、私がなっていた人を含めて六人。写真で見た相沢君と、残りは男の人が五人」

「待って、ストップ。メリー」

「相沢君は、三人がかりで抑え込まれていたの。その目の前で、残りの二人が視界の主に襲いかかって……」

「もういいよ。無理に話さなくても」


 溜まらず駆け寄り、彼女の肩を掴む。俯いた彼女は、静かに僕を見上げて。


「……貴方が、無理矢理ヴィジョンを中断させなかったらって思えば、ゾッとするわ」

「悠は……ああ、そうか。悪魔って」


 材料がまだ足りない。あの悪魔を呼ぶだけの理由が分かっても、それが自殺に繋がらない。けど……。

 僕はそのまま、メリーの隣に腰かけた。片手を上げ、そこで硬直する。凄くナチュラルに肩を抱きそうになったけど、それは流石に止めておき、行き場を無くした片手は、無難な場所に落ち着いた。


「……なぁに? これは?」

「……君が怖くないように?」


 おでこに手を当てる僕に、メリーは少しだけおかしそうに笑う。端から見たら、熱を測っているかのように見えるだろうか。

 謎過ぎる対応になっているのは、僕も混乱していたから。メリーが、見知らぬ誰かに組敷かれて、辱しめを受ける。想像するだけでも、おかしくなりそうだ。だからこれは、僕自身も冷静になる為。

 メリーの顔を窺えば、彼女はいつからか閉じていたであろう瞳をそっと開く。安心しきったような表情の中に、奇妙な視線が混じる。

 潤んだ青紫の瞳に、本人は無意識であろう甘えるような光が宿っていた。それに気がついてしまった時、僕思わず身体を強張らせ、静かに目を逸らすより他なかった。視界の端でクスリと、小さく笑みを堪えるような声と一緒に「意気地無し」と、囁くような呟きが聞こえる。

 それに反論すべく、僕は彼女の方へもう一度視線を向けて……。


「イチャついてるとこ、失礼しま~す」


 コンコン。と、不意にしたノックの音。

 ビクリと僕とメリーは両肩を跳ね上げ、慌てて声の主へと振り返る。

 いつからそこにいたのか。僅かに開けられたドアの隙間から、家政婦の如く顔をだしている小さな影。

 妹の、ララだった。


「……イチャついてるとこ、失礼しま~す。ララちゃん日記、お兄ちゃんが友達とベッドの上でお熱を測るフリしてました……まる」

「何で二回言ったし。い、いや、フリじゃなくて……」

「これはきっと……熱があるよメリー! 冷まさなきゃ! さぁ、その可愛いネグリジェを脱いで……となる流れですね。わかります」

「わからないよ」


 何の用なのか、僕が肩をすくめながら問えば、ララはむふふ~。と笑顔を浮かべながら、トコトコと部屋に入ってくる。そのまま離れた僕とメリーを眺め、何故かメリーへ向けて憐れむような溜め息を漏らしつつ。親指でクイックイッ。と、外へ行けというジェスチャーをした。


「綾お姉ちゃん。来てるよ。中学の頃の卒業アルバム借りるんでしょう?」

「……え、もう?」


 連絡したのはついさっき。それも、明日でいいと言ったのだが、我が幼馴染みは仕事が早い。

 因みに何で僕のを使わないのかというと、カップラーメンを盛大にこぼし、異臭を放つようになってしまったので、めでたくゴミ箱行きになった。なんて酷い理由があるからだったりするのだが、今は掘り返すのは止めておこう。


「わざわざありがとう、ララ。綾は、玄関かな?」

「んーん。あのドアの向こう」

「…………ふぇ?」

 


 アルバムと一緒に、何故かハイキックが飛んできた事を、取り敢えず追記しておく。

 幼馴染みは、格闘女子。見事な脚線美から放たれる一撃は、凄まじいの一言。スカートなのに下着を拝めない程の速度のだ。

 女子力高い。改めてそう思った。


 ※


「……やっぱり、いたわね。この三人よ。この三人が、相沢君を抑えていた」


 メリーが指さした写真を見て、僕はますます陰鬱な気分になる。

 松島(まつしま)直人(なおと)

 島谷(しまたに)智也(ともや)

 曽根村(そねむら)紀之(のりゆき)


 知っている、顔ぶれだった。


 少しづつ。僕の頭の中である仮説が組み上がってくる。

 それは歪な立体パズルのように、組んではいるけど、酷く脆い結合のように見えた。

 当然だ。これはあくまで、僕の想像。

 推理なんて芸当は、一介のオカルトサークルには荷が重い。

 僕らが出来るのは調査と探索。そこで何かを成しえる事もあれば、何も得ず逃げ帰ってきたり、徒労に終わることもしばしばだ。……寧ろそっちの割合の方が多い。

 だから、僕に出来るのは想像……悪く言えば妄想だ。あれやこれやと考えて。違うか違わないかも分からないまま、検討を終了させ、勝手に一人で……否、メリーと二人で、あるかもしれない真実の恐怖に震え上がる。


「もう一度、悠の家に行ってみようか」

「……何か分かったの?」


 そう言って、僕の顔を見つめるメリーに、僕はいいや。と、首を横に振る。


「あくまで想像だよ。何の解決にもならないかもしれないけど……ちょっと確かめたいことがある。出来れば、悠の部屋も見せて欲しいけど……」


 それは、難しいかもしれない。でもまぁ、やれる事はやってみよう。

 見たいのは、痕跡。それが確認できれば、不格好ながら謎のパズルは一応の完成を見せることだろう。


 ※


 それは、悪魔に遭遇した辰とメリーが、やっと越せ取り調べから解放されたのと、同時刻の出来事だった。


 カーテンを締め切った暗い部屋の中。曽根村(そねむら)紀之(のりゆき)は、憂鬱な面持ちでベッドに横になり、スマートフォンに指を滑らせていた。後どれくらい、こんな生活を続けていればいいのか。考える事すら、彼には億劫だった。

 ディスプレイの光が、骸骨のようにこけた紀之の顔を照らしている。目が追うのは、他愛のないニュースの記事だったり、きままに決めたネットサーフィン先だったり。日によってまちまちだ。だが、今の祐司には、そのどれもが、今は色褪せたものにしか見えなかった。


「……ちくしょう」


 ボソリと漏らした独白を聞くものはいない。実家ぐらしではあるが、この時間は母親はパート勤めだし、父親は会社。現在ニートを地でいく紀之だけが、この家にいる。

 だからこそ彼は、この静寂の世界から逃れるべく、ネットへ意識を向けていた。向けようとしていた。

 ズキリ。と、目元とこめかみが痛む。もう長い間、不眠症に近い状態だった。

 眠れば……あの悪夢のような光景が、紀之の頭をフラッシュバックする。


 泣き叫ぶ女。

 怒りの咆哮をあげ、もがく友人……。友人だった男。

 それを震えながら抑え込む自分と……他の二人。

 下卑た奴らの笑い声。


 あのあと、友人は壊れてしまった。自ら命を絶つ程に。

 ある意味当然だったかもしれない。逆の立場なら、紀之もそうなったかもしれないのだ。

 今にして思えば、早々に薬へ逃げた他の二人が、心底羨ましい。自分はそれにすら、手を伸ばす意思がない。


「だからって……他にどうすればよかったんだよ……!」


 やらなければ、自分が酷い目に遭う。ならばもう……やるしかない。

 思えば、高校に入り、奴らに出会ってしまった事が、そもそも全ての発端で……。


 回想は、そこで中断された。

 不意に、インターフォンが鳴り響いたのだ。


「……誰だ? こんな微妙な時間に」


 居留守を使うべきか迷うが、確認するだけはしておこう。そんな気持ちで、紀之は玄関へ向かうべく立ち上がった。


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