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悪魔は舞い降りた

 心霊スポットなるものは数あれど、本当の意味でそういった場所になっているのは、実を言うと意外なほど少ない。

 なぜならば、噂になっているから霊感の有無にかかわらず人が集まり、結果視えない人々が口にする「何だ、やっぱりいないじゃないか」という言葉で、基本的に殆どの妖怪や怪異の類いは弱体化するからだ。

 オカルトなんて殆ど信じられぬ、所謂闇が薄まった現代にはそんなエセ心霊スポットが沢山ある。そして……。


「どうだいメリー、何か感じる?」

「……今のところは、ノンよ。トンネルに入れば、何か変わるのかしらね?」


 現状、僕らが調査の為に訪れた場所……。佐々羅トンネルもまた、そんな気配が濃厚だった。

 入り口より五十メートル程前に車を一時停車させ、僕らは顔を見合わせる。

 一応互いに霊感はある。が、こと探知においては、メリーは僕より優れている。その彼女が何も感じないというのだから、今のところはあれはただのトンネルという事になるのだけれど。


「トンネルって、中に入る前や、入ってる最中よりも……抜けた後の方が問題なんだよね」

「神隠しを題材にした映画もそうだったわね。山っていわゆる聖域にも霊場にもなりうる場所を貫いて作るんだもの。ある意味で抜けた先が別世界になっているとも言えるわ」


 本来の道では有り得ない筋を行く。人為的かつ永続的に空間をねじ曲げているとも言えるわよね。と、多少興奮気味にまくしたてながらも、メリーは手にしていたタブレットに指を滑らせる。


「因みに、トンネルを抜けたすぐ横に、獣道があって、そこに神社というか、寂れた祠があるそうよ」

「……案外、そっちが本命かもね」


 肩を竦めながらも僕は車のチェンジバーを握り込む。パーキングからドライブに。「昔のデートなら、車を運転するだけで様になったんだがなぁ。今は殆どオートマだし」と、父さんが嘆いていたのを思い出す。その辺の感性は、僕には少々分からない。

 ギアチェンジは、確かに軽快に出来たらカッコいいのだろうけど。そんな風に考えているうちに、車は緩やかに発進する。

 変な揺れは今のところない。半日程度の付け焼き刃な練習にしては上出来といった所だ。


「……何だい?」

「……いいえ」


 少しの高揚感に身を委ねていると、すぐ横から視線を感じた。

 チラリと横目で確認すれば、案の定メリーが此方を妙に楽しげな様子で見つめていた。


「そういえば、親類以外で誰かの助手席に座るなんて、初めてだなぁって。……私、メリーさん。今、ちょっとドキドキしてるの」

「それはもしかしなくても、事故るんじゃないかって不安なんじゃないかな?」


 ドキドキ。なんてメリーらしくない言葉を使うものだから、僕は思わず吹き出してしまう。だが、我が相棒は相も変わらずにこやかに笑い、「あら、そんな心配はしてないわ」と、首を横に振り、僕のふざけ半分の自虐を否定した。


「だって、ハンドルを握る貴方の横顔、とっても素敵だもの」


 ……何だか最近爆弾発言というか、不意討ちが多いなぁ。と、つくづく思う。まぁ、だからといってテンパりはしない。今は運転中なのだ。事故るわけにはいかないではないか。


「……そりゃどうも」


 照れ隠しが見透かされていない事を祈りつつ、僕は再び視線を前に向け、アクセルを弱めに踏みこんだ。

 スピードをほどよく乗せた車は、生き物の口を思わせる入り口へと近づいていく。

 果たして感じていた高揚は、車の運転に対してか。メリーみたいな美人を隣に乗せているからなのか。

 真実は明かされることなく、僕らはトンネルの闇へと飛び込んでゆく。

 視界が薄暗くなり、ぼんやりとした光が断続的に連なる回廊の中、僕は薄く目を細めた。

 やはり何にも感じない。が、それはあくまで僕だけの話だ。


「探知、任せた」

「了解よ」


 短いやりとりが、ノイズじみた響きを繰り返す薄暗い車内で交わされる。

 運転している身ゆえに、僕は前方しか見れない。だが、その分はメリーがカバーする。今彼女は、全方位に神経と霊感を張り巡らせて……。


「……妙だわ」

「え?」


 直ぐ様、訝しげなメリーの声が響く。

 何が? という言葉を飲み込み、次に彼女が発するであろう言葉を待つ。口に出したという事は、少なからず何らかを掴んだという事だろうから。

 すると、メリーは少しだけ唸るような声を発した後、小さく、「スピードそのまま。トンネルを抜けましょう」とだけ呟いた。


「短いトンネルみたいだよ? もう少しゆっくり……」

「……いいえ、必要なさそうよ。〝ここには〟何もないし、何もいないみたい」

「……いない?」


 今度は僕が不審げな声を出す番だった。

 佐々羅トンネルはそこまで長いトンネルではなかったこともあり、直ぐに僕らは地上に出た。ゆっくり徐行していると、右手にひっそりとした小道と草むした小スペースを見つけ、これ幸いと僕はそこへ車をつけた。


「で……。何もなくていないって、まさか……」

「そのまさかよ。彼処には何も感じない。多分、ごくごく普通のトンネルだわ」


 メリーの言葉に、思わず僕は脱力する。


「いや、でも、過去にあったらしい事件は? そんなことがあったなら……」

「言ったでしょう? 噂だって。実際に新聞のバックナンバーをざっと眺めてみたけど、そんな事件は何処にもなかった」

「……じゃあ、ここは所謂エセ心霊スポットってことかい?」


 少しだけ落胆したような僕の言葉に、メリーは微妙な表情で首を傾げる。


「……そうね。トンネルだけならば、そう判断できたわ。けど、今は違う」


 青紫の瞳が、獣道にも似た悪路を捉える。その先を見据えるようにメリーは腕組みしつつ、小さく息を吐き。


「……胡散臭い、気配がするわ。初めて味わう感じが、この先……っ!?」


 その直後、不意に彼女は、ビクリと身体を強ばらせ、「う……んっ……!」と、痛みに耐えるかのようにこめかみを抑えた。

 無差別かつ唐突にオカルト現象を感じ、視界に収めうるメリーが時折発するこの反応。それなりに付き合いが長い故に、僕は何が起きたのかを直ぐ様察知した。


「メリー、しっかり!」


 僕は慌てて運転席側からよろめく彼女を支えた。息も絶え絶えになりながら、彼女は忌々しげに目元を撫でて……。


「メ、メリー?」


 そこで思わず、僕は彼女へ再度呼び掛ける。彼女曰く、白昼夢のようなもの。起きているときは、偏頭痛のように。眠っている時は夢の中で、それは見えるという。

 時にはオカルト現象を俯瞰的な視点で。またある時は、幽霊やオカルトチックな存在と、視界を共有する形で。果ては未来に起こりうる心霊現象の可能性まで、実に様々なものを彼女は受信する。

 共通するのは、彼女が視るものは、全てが偽りない、この世で起きた真実であること。絶対的な真。それがメリーのヴィジョンなのだ。

 本当に無差別すぎて、折り合いをつけて生きるまでに暫くかかったわ。とは彼女の弁。

 彼女を推理小説なんかに登場させた日には、物語が破綻しかねないだろうと、僕は思うが、今この場に置いては願ったりかったりだった。知りたいのは、分からないことだらけの悪魔騒動。

 どれが真実で、どれが偽りか。その手かがりは掴める……筈だった。けれども……。


「う……あ……!」


 身体を震わせる彼女は、明らかにただならぬ気配を感じさせていた。ただでさえ白い肌は、今はただ青白く、冷や汗が滲んでいる。目はぎゅっと閉じられ、まるで視界に入るもの全てを拒否しているようにも見えた。


「メリー!? っ、メリー! どうし……!」

「い、や……やだ……! ひっ……!」


 己の肩を抱き。身を捩るようにして、メリーは助手席で縮こまる。

 僕はその様子を、ただ指をくわえて見ている事しか……。


「……っ、なんてこと、出来るわけないだろっ!」


 一喝と共に自分と彼女のシートベルトを外し、僕は一先ずメリーが座る助手席の方へ。

 震える彼女を引き寄せ、僕は内心で謝罪しながら、少々乱暴に彼女を揺する。


「メリー! メリー! 返事してくれ! 僕は……!」

「来ないで……! やだ! いや……! 助け……やだっ……!」


 もがき、頭を抑え、メリーは未だに虚ろな目で、何もない場所を見つめている。少なくとも、こんな反応は初めてだった。

 スプラッター映画に口笛を吹き。ジェットコースターでお昼寝も出来ちゃうのが彼女である。そんなメリーが、ここまで怯えるものなんて……。


「助け……て、辰……辰っ……!」

「ぐっ……」


 どうするか。それを考えるよりも、身体が動いた。

 本能的に、そうすべきだと、自分の中ではわかっていたのかもしれない。


「……あっ」


 小さな悲鳴とまではいかない声が、メリーから漏れる。

 未だに震える彼女の片手を握り、そのまま僕は身体を入れ換えた。


 一分。二分。もしかしたらもっとかもしれない。長い長い静寂の車内では、呼吸を整える互いの息遣いだけが、微かにするのみ。


「……メリー、わかる? まだ、何か視えてる?」


 小さく囁けば、僕のすぐ横で、彼女は一度頷き、続けて首を横に振った。


「……真っ暗よ。何も視えないわ」


 若干まだ震えたような声のまま、メリーは僕の片手を握り返し、そのまま長い深呼吸をしながら、静かに脱力した。

 声色から嘘はないと判断し、僕もまた、身体の力を抜く。

 そのままもう片方の手……。メリーの目を覆うようにして塞いでいたそれを退けようとするが、それはメリーによって手首を捕まれ、あえなく阻止された。「ごめん、まだ外は見たくないわ」そんな相棒の言葉に僕は「了解」とだけ返し、そのまま彼女の後頭部を胸元に引き寄せた。


「私が視て。貴方が触れる。こんな使い方もあったのね」

「正直、賭けに近かったけど、成功してよかったよ」


 やった事といえば、実にシンプル。メリーの目を塞いで、ひたすら「消えろ。消えろ……!」と、念じただけだ。


 僕は幽霊やオカルトに触れて、果てはそれに干渉できる。

 成仏させたり、特定の誰かに見えるようにしたり。幽霊の領域に進入。呪いやおまじないの破壊。他にも色々。

 やることによっては骨が折れる上に、助けられたこともあり、酷い目に遭うこともある。そんな信頼をおくには些か胡散臭い力。だけど、この場においては間違いなくあってよかったと切に思う。

 メリーのヴィジョンもまた、オカルト現象ならば、僕の手で干渉できるのではないか。

 そんな推測が功を成し、現にこうして彼女の悪夢を打ち払えたのだから。


「……大丈夫?」

「……無理」


 一瞬迷うような素振りを見せてから、メリーは素直に首を横に振る。身体がまだ震えている辺り、余程恐ろしいものを視たのだろう。


「だから、お願い。……もう少し、だけ」

「……OK、相棒」


 思わず頬をひきつらせてしまったのは、実はちょっぴり冷静になったからなのだが、口には出すまい。

 具体的に言うと、現在僕らの体勢が、結構危ない事に気づいたんだけど……。今は必死に目を反らそう。

 獣道じみた原っぱに車を駐車して、助手席の女性を後ろから抱き締めるかのように膝に乗せ。その目と片手を握り締める男の図。


 ……どう見ても僕が変態にしか写らないという、悲しい現実がそこにはあった。


 もっとも、当のメリーは安心しきったように身を委ねてくるから、さっきの状況も相俟って、僕はどうしようもなかった。


 あと、犯罪級に柔かかった。


「……線は細いけど、こうして触れると硬いのよね、貴方」

「座り心地はよくないかもね」

「……いいえ、何かこう、男の子って感じで」


 安心するわ。

 それだけ告げて、メリーはぽんぽんと、目を塞いでいた僕の手を軽く叩いた。

 もう大丈夫。その合図だろう。そっと手を外せば、間近で潤んだ瞳と目が合い、ほんの少しだけドキリとした。


「何か……視たんだね」

「……ええ、酷いものを視たわ」


 目を伏せて、メリーは盛大にため息をつく。肌は未だに蒼白で、いかにも不健康そうだ。


「あの、もしあれだったら、無理して話さなくても……」

「いいえ、話さなきゃ。多分これは……真実と深く関わっているわ。ともかく、祠があるみたいだし、先ずはそこに向かいながら話しましょう」


 毅然とした態度で、真っ直ぐと僕を見るメリー。さっきまでの怯えていた彼女の姿は、既に何処にもない。少なくとも、表向きは。

 相棒的勘ではあるが、まだ無理している様子が窺えた。それでも行こうと言うのは、そうしてまで確かめなければならない何かが、この先にはある。そういう事だろう。


「……歩ける?」

「心配性ね。もう、平気よ。でも……」


 少しだけ照れくさそうに笑いながら、メリーは握っていた手に指を絡ませる。離さぬように。互いがいると分かるように。


「……これは、このままがいい」


 深く、しっかりと手を繋ぐ。


 昔あったちょっとした怪奇事件以来、僕とメリーは非日常と対峙するときは決まってこうしている。

 手を組む。指を結ぶ。迷信と侮ることなかれ。こうした事で窮地を脱した事が、それなりにあった気もする。


「OK。無理そうだったら言ってくれよ。君を抱えて逃げるからさ。荒事は僕の役目だ」

「うん、頼りにしてるわ。相棒」


 ふわりと、花のように笑うメリーは、少しだけ名残惜しそうに僕から離れる。

 そのまま僕は助手席のドアロックを外して、外へ。

 メリーに手を貸しながら新鮮な山林の空気を肺に吸い込んで――。



 それと目が合った。


「あ、え――?」


 最初に感じたのは、困惑だった。それは、車の屋根にまるで狛犬か何かのように鎮座していた。

 最初に連想したのは、山羊。それの顔つきや、草食動物特有の口吻と、クルリと巻かれた角があるから、それを連想した。

 だが、そんな印象は、あくまで頭だけだった。

 その下――、真っ黒い体毛で覆われた胴体は、猿のようにも、兎のようにも見えた。確かに、獣のそれ。だが、明らかに山羊と違う。座り方などもそうだけど、決定的なのは、前足。それは形だけならば、人間の手、そのものだった。


 そして――。一番目を引くのは尾だ。

 着物の帯のようにも見える、平べったくて大きな尻尾は、クルリ。クルリと、妖しく螺旋を描いたかと思えば、しなり、揺れて、空中に円を描く。

 変幻自在に動くそれには、毛が生えていない。鼠の尾のようにブヨブヨしてそうだった。加えて……。その表面には、まるでそれが自然であるかのように、無数の目がついている。不気味にまばたきを繰り返し、ギョロギョロと視線をさ迷わせるそれには……一つ一つに確固たる意思が見てとれる。


 悪魔だ――。


 誰かに告げられた訳でもなく。僕自身がそう感じた。

 その悪魔は、顔にある二対と、尻尾にある無数の瞳で僕を見る。そして――。


「……ン、キィ……タァ……!」


 くちゃり。と、口の端を釣り上げて、明らかに微笑んだ。



 直後、シュッ。と、何かがしなり、風を切るような音がした。

 その刹那、僕の視界は暗闇と無数に輝く目に覆い尽くされ――。


 声を上げる間も、もがき、抵抗する暇すら、全くなかった。

 首根っこごと引っ張りあげられる最後の瞬間に僕が出来たのは、メリーが巻き込まれぬよう、その手を振りほどく事だった。


「――辰!? っ! ダ、ダメよ! このバ――! ……――!」


 悲鳴にも似たメリーの声があっという間に置いていかれて……。僕の身体は手荒に引きずられていく。

 草を掻き分け、身体があちこちに擦られ、ぶつけられているのを感じた。

 ゴリ、ザシュ。という、洒落にならない音と、顔中で響く、湿ったいくつものまばたきの気配だけが、塞がれた視界と耳の中で得られる、僕の全てだった。


「メリー……ごめん」


 離さないと言ったけど。こうするしかなかった。

 さっきまで全身で感じていた彼女の暖かさが、急速に冷えていき、分断された現実が重く僕にのし掛かる。同時に。


「……ン、キタ。……キタ!」


 甲高いキイキイ声が、不協和音のように僕の耳に響く。

 喋れる事に驚きはしない。幽霊や妖怪。果ては人形まで喋るのを見たことがある僕からすれば、そこはわりとどうでもいい。

 問題は、何を喋っているかだ。


「……ン! ……マッテタ! ヤット……!」


 耳に神経を集中させる。キタって、何だ? コイツはもしかして、僕を知っているのか?

 身体を丸め、手足を引っ込めて、僕は少しでも痛みを軽減する。「辰、来た」とかならば、もしかしたら話くらいは……。





「ゴハン! ゴハン、キタ!」


 ……ああ、駄目みたいだ。



 

 

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