前夜、事のあらまし
それは、二月十三日。夜の出来事だった。
フライングで送られて来た実家からのチョコレートで、「あ、明日バレンタインだっけ」なんて思い出していた矢先。スマートフォンが鳴動し、お気に入りの洋楽が部屋に響く。
実家からの電話かな。最初はそう思いながらディスプレイを覗くと、意外や意外そこには見慣れない名前があった。
相沢悠。
一瞬誰だ? と、なってしまい、すぐに脳内検索をかける。何度もその名前を反芻し、候補を整理した所で、僕はようやく心当たりにたどり着いた。
中学の頃の同級生だ。
「もしもし?」
「…………辰か?」
謎の緊張に苛まれながら通話に応じると、受話器の向こうから、固い、モゴモゴとした声がする。同時に、ああ、確かこんな声だったっけ。と、僕の中に何とも言えぬ気持ちが込み上げた。
「久しぶり。どうしたんだい?」
「あー、おう。おひさ。今、大丈夫か?」
探るようにそう問い掛ける悠。それに「構わないよ」と、返事をすれば、静かに。思案するかのような空白が訪れた。
「……今、東京にいるんだったか?」
「うん、こっちの大学に。君は?」
「俺は……実家を継いだよ」
「あ、そうだったんだ」
「おう……そうか。東京か」
「……どうしたの?」
なんと無く残念そうな気配が伝わってきて、僕は思わず頭を捻る。
何かあったのだろうか? 同窓会? いや、僕らは今年成人だから、するならその時にでもいいだろう。後は……。
「……助けてくれ」
「……へ?」
色々考えを巡らせていたその時。耳に飛び込んできたのは、予想外の言葉だった。
僕が思わず聞き返せば、悠はもう一度。はっきりとした声で「助けてくれ、辰」と、口にした。
「なぁ、幽霊……見えるって、本当か?」
「……え?」
僕は危うく、スマートフォンを取り落とす所だった。
事情を知らぬ人が聞いたら、失笑を漏らすような会話だろう。だが、生憎僕にとっては、そうはいかない。
彼が言うことは、間違いなく真実だからだ。
だけど……。
「……悠、何処でそんな話を?」
それが問題だった。僕はある理由から、その事情を一人と、例外数件を除けば、誰にも話した事がなかったからだ。
その上で、しっかりと知っているのは現在一人……メリーのみ。だから、こうして悠が話してきたのには、結構な驚きを隠せなかった。
「……正直、立て込んでて、切羽詰まっているんだ。だから……今はもう、片っ端から当たって回ってる。お前の事も、チラリと頭の隅に残っていたのを、辛うじて思い出して、こうして電話しているんだ」
「えっと……、話が読めない」
「ああ、すまん。答えになってないな。幼稚園の時……覚えてるか?」
「……殆ど覚えてないね」
頭にあるのは、嫌なことだったり、苦い経験だったり。
教訓は、痛みを伴うものであるべしと、誰かが言っていたのを思い出す。つまるところ、その頃の楽しかった記憶は摩耗していて。あるのはそんなのばかりだった。
ただ、そう言えば悠も同じ幼稚園だったかなぁ。なんてことを、たった今思い出しはしたけれど。
「だろうな。俺はただ聞いていただけだ。年長組で行くサマーキャンプの時、お前がこっそり先生に話をしていたのをな」
「…………ああ」
「お前先生に、キャンプ場にお化けがいるって、大真面目に話してたよな。普段そんな冗談言うような奴じゃないから、覚えていたんだ。なぁ、本当か? 本当に……見えるのか?」
掘り起こされた記憶を埋めたてたくなった。だが、やはりそれはついさっき僕が思い浮かべた、所謂苦い教訓の一つであり、僕はそれを覚えている。
キャンプ場にいたのは、結構よくない霊で、それを先生に進言した。そんな事も昔はしたことがある。
幼かったというのもあるだろう。両親や、幼稚園の先生。幼馴染みには事情を説明した事はあれど、軒並み信じてもらえなかったり、酷い目にあったりあわせたりと散々だった。だから僕としてはよほどの理由がなければ、霊が視える事を教えはしない。しないのだが。
「うん、まぁ……本当だよ」
「……っ! そうか。そうか……!」
独特の嗅覚が働いたというべきか。ともかくこの場は話を聞くことにした。助けてくれという発言。幽霊が視えるかの確認。どうにも話し相手の様子はいかにも訳ありだったからだ。
「で、そんな僕に助けて欲しい事っていうのは?」
「…………ああ、話す。聞いてくれ。もう、お前にしか頼めないんだ」
消え入りそうな声で、悠はゆっくりと話し始めた。
去年の夏。悠と昔からの友人六人で、幽霊が出ると噂のトンネルへ肝試しに出掛けた。
ほぼ。いや、完全に面白半分だったそうだ。だが、そんな軽い気持ちが、予想外の事態を招くとは、その時自分達は想像していなかった。
そのトンネルに入った時だ。悪魔が……そう、あれは悪魔としか言いようがない。それが自分達に襲い掛かってきて……。
恐怖のあまり、どうやって部屋に戻ったかは覚えていない。ただ、気づいたのは、悪夢はまだ終わってはいないという事。
自分と友人は、悪魔に取り憑かれた。今も苦しくて苦しくて。ありとあらゆる方法は試したが、どうにもならない。万策は尽き、後は静かに狂うのみなのか。
「そんな時だ。お前を思い出した。お前なら……今も幽霊やらが見えているなら、何か対策があるんじゃないか……そう、思って」
「……買い被りすぎだよ」
少しだけため息混じりにそう言えば、向こうから震え、興奮したように歯がカチカチと鳴り響く音がした。
「なぁ、頼む。辰、助けてくれ……! お礼は、いくらでもする! こっちに来て、相談に乗ってくれるだけでもいいんだ! だから……!」
徐々に早口になり、悠は最後の方にはほぼ叫んでいた。
追い詰められているのは、嫌という程に伝わってくる。悠から見たら、幽霊が視えるだけな僕でもすがるのだ。お寺のお坊さんにお祓いくらいはしてもらったのかもしれない。解決するか否かは、頼ったお坊さんにもよるけれど。
ともかく。もっと詳しく聞きたいが、電話越しだけでは何とも言えない。視て、手に負えるかどうかの判断は必要だろうか。
そもそも、不思議体験はたくさんあれど、流石に悪魔とは出会った事はない。だから……。
「……正直、助けられるかは分からないよ? 取り敢えず、あと二日で春休みだから。後は地元に戻ってから聞く。それでいいかな?」
頭の中で色々整理してから、僕は結論を出す。
いつもは春休みの中盤辺りに帰るのだけど、多少早まっても問題はないだろう。すると、悠は息を飲み、次の瞬間、感極まったかのように啜り泣いてしまった。
「ありがとう……辰、ありがとう……!」
結局、そこから「お前と逢っていてよかった」だの、「助かった」何て少し早い安堵の声を浮かべて。悠は最後に「必ず来てくれ……! 俺の友だちを、助けてくれ!」そう念を推すようにして電話を切った。
正直、その時は安請け合いし過ぎたかな? とか、あまり期待しないでね。位は言ってた方がよかったか。何て思っていた。
その後で、僕がバレンタインのお礼に幼馴染み、妹、母さんに電話をするまでは。
僕がいつもより早めに帰るという話を、皆とても喜んでくれた。「せっかくだし、長めにいたら? 久しぶりに一緒にお出かけしましょう」だとか、「妹に素敵なお土産をくださいな。あといっぱい遊べ……まる」的な嬉しい言葉を貰えた。しかし……。母さんにも帰省の旨を伝えて、ついでに然り気無く、悠について聞いてみた。
母さんは話好きだから、悠とその友人達が妙な事になっていたのなら、何らかの話は耳にしていてもおかしくない。そう思ったからだ。勿論、悠から電話が来て、悪魔がうんぬんした。何て話は伏せて。ただ単純に、悠を覚えているか? そんな切り出しだった。
ところが……。
『え? 悠って……相沢悠君?』
「うん、中学の頃の同期生だけどさ。母さん最近……」
『ああ、あんたのとこにも、もしかして話が行ってたの? そんな親しくしてたかしら?』
「……話?」
僕が首を傾げれば、母さんは少しだけ声を潜めてこう言った。
『いや……ね。悠君、亡くなっているのよ。丁度……二週間位前だったかしら?』
「……え?」
雷で打たれたかのような衝撃が、脳を突き抜けて。
その後、僕は直ぐ様母さんとの通話を切り、悠に折り返し電話をかけた。だが、何となく予想していたというべきか。お決まりとでも言うべきか。
電話は二度と、悠に繋がることはなかったのだ。
暫く僕は、放心したように携帯を見つめていた。頭がおかしくなったのだろうか。スマートフォンが壊れたのか。
いや、違う。
これは確かに現実で。そして確かに……僕ら好みの匂いがしたのだ。
「……もしもし? 母さん? うん、急に切ってごめんね。あのさ。相談なんだけどさ……」
そうなれば、僕らが動かない理由はない。
メリーから了承は得ていないけど、隠して一人で行動すれば、後々文句を言われるだろう。だから事のあらましは明日説明するとして。
その後に方針を固めたら……。
「帰るとき、大学の友だちも、一緒に行ってもいいかな? まだ来るかは確定じゃないけど……もしよかったら。OK? ありがとう!」
非日常と。級友の〝無念〟を、追いに行くとしよう。