あいのうた
今日は、私の結婚式の日でした。
とてもとても、涙がこぼれてしまうくらい、すてきな日でした。
父も母も兄も妹たちも、とても幸せそうに笑っていてくれて、それを見ているだけで私も幸せになってしまうくらいでした。
真っ白な純白のウエディングドレスに身を包み、会場に入るとそこには親戚や家族や、昔からの友人たちがみんな満面の笑顔を浮かべて私を迎え入れてくれました。
たった一人の、とても大事な一人の笑顔をのぞいては。
一週間前、私の妹が死にました。交通事故でした。彼女は私の式をとても楽しみにしてくれていて、お願いをしたら、困った顔をしながらも私の式で歌を歌ってくれると約束をしてくれていました。とても恥ずかしがりやだったのです。
私には妹が三人居て、三人で歌を歌ってくれると約束をしてくれたのです。
「何を歌うかは、当日まで秘密ね。」
そう言って微笑んだ彼女の顔が、今も私の記憶の中に浮かびます。
彼女の死は唐突でした。想像もしていませんでした。
きっと私もいつか、妹の式に出て、恥ずかしいのを堪えて歌ってあげようと考えていたからです。
彼女の未来は唐突に途切れてしまったのです。
病院に駆けつけたとき、まだ妹の意識はあって、私は涙を堪えて妹の手を握りました。
「式、もう少しだね。私、歌うからね。」
微笑んでいました。私は必死に頷いて、
「歌わなかったら、承知しないからね!」
強がりで、笑いました。妹も笑って
「何を歌うかは、本当に、秘密だから楽しみにしててね。」
弱々しい声でした。
私は看護婦をしています。多くの、たくさんの方たちが亡くなってきたのを見てきました。
だから、分かってしまったのです。
私の妹は、もうじき死んでしまうということが。
何もしてあげられないことが、こんなにも悔しくて歯がゆいことだとは知りませんでした。
今までも、患者さんが亡くなって、泣いたことがあります。それでも。
それまでとは比べ物にならないくらいの悲しみと絶望でした。
私は、妹が死んでしまう、ということが分かってしまうのです。
手を握り締めて、必死に祈りました。家族が全員集まってきて、必死に名前を呼んでいます。でも、少しずつ妹の反応がなくなってくるのです。
一時間後、妹は息を引き取りました。
亡くなる直前に、彼女が言いました。
「お式をしてね。私、歌うから。ちゃんと、聞いてね。みきちゃん、よりちゃん、何を歌うか、言っちゃ駄目だよ。」
そう言い残して、まだ二十七歳だった私の妹は、息を引き取りました。
泣き叫びました。どうして私の妹が死ななくてはならないのか分かりませんでした。
そこに居た、私の家族は全員が号泣していました。
父も母もぽろぽろと涙を零しています。妹たちも大泣きをしています。兄は、遠くに住んでいるのでこの場には居ません。来れませんでした。きっと、たどり着いたとき涙を流すでしょう。
最期の妹の言葉が、私の中に渦巻いていました。
「お父さん、お母さん、私、式を挙げたい。いい?」
式は一週間後です。普通は、しません。けれど式を挙げてと、妹が言ったのです。最期の願いです。私はどうしても叶えてあげたかったのです。
二人は顔を見合わせて、少し考えて、そして頷いてくれました。
悲しみをこらえて、私は式を挙げることを決めました。
夫になる人もその場に居てくれて、同意をするかのように強く私の手を握り締めてくれました。
何を言われてもいいと、心に固く決意をしました。
妹が亡くなっているのに、自分の幸せだけを望む愚かな姉だと思われてもいいと思いました。どうだっていいのです、他の人にどう思われようと。
真実は、私と家族の中にだけあればいいのです。
私は、妹の最期の願いを叶えてあげる。
私にしか、それは出来ないのです。
悲しむことは誰にでも出来る、けれど、それを出来るのは私だけなのです。
「みきちゃん、よりちゃん、何を歌うかは式まで言っちゃ駄目だよ。」
泣きはらした真っ赤な目をした妹たちは、こくりと小さく頷きました。
それを見届けてから、もう一度だけ私は涙を零しました。
式の日はとても晴れていました。良かったねと、みんなで笑いあいました。
みんなの目が真っ赤に充血しているのはきっと、亡くなった妹を昨日の夜、思い出して泣いたからだと思います。
妹の写真は、布に包んで母が胸に抱いています。
式の人数変更はしませんでした。
私の妹たちは全員、この会場にいるからです。
式の準備をする為に、家族と別れ、私は控え室に行きました。ドレスの前写しに付き合ってくれた亡くなった妹がとても綺麗だと言ってくれたドレスに身を包み、その時をじっと待ちます。
午後十二時、式が始まりました。
挨拶があって、お祝いの言葉があって、食事をして、お色直しをして、またお祝いの言葉がありました。
着々と式は進んでいきます。
そして、歌の番になりました。
二人になってしまった妹たちが、布に包まれた大きな四角いものを持って、マイクの前に立ちます。
私の妹が、三人居る、ということを知っている友達が「あれ?」という顔をしています。
私は、すっと立ち上がりました。
「一週間前、妹のえみが亡くなりました。交通事故でした。」
ざわっと会場が揺らめきます。それでも私は続けました。
「本来ならば、この時期に式をするなんて、と思われている方もいらっしゃると思います。けれど、えみが、亡くなる直前まで、私に式を挙げて欲しいと言ったのです。これから妹たちが歌う歌は、本来ならえみも歌うはずでした。彼女は、とても私の式を楽しみにしてくれていました。私が、幸せになることをとても喜んでくれていました。だから、恥ずかしがりなのに、ここで歌うことを承諾してくれていました。けれど、一週間前、交通事故で亡くなったのです。その亡くなる直前まで、式をして欲しいと、自分が歌うから、と最期まで言っていました。私は、妹の最期の願いをどうしても叶えたかったのです。」
みきの方に視線をやると、頷いてみきは大きな四角いものから布を取り去りました。
えみの遺影がそこに、ありました。
「妹たちが何を歌うか、私は知りません。えみが、最期まで内緒だと言っていたからです。私はとても楽しみにしていました。歌ってくれることが純粋に嬉しいのです。」
堪えていた涙がひとしずく、落ちてしまいました。
「今から、私の妹たち三人が歌ってくれます。」
二人ではないのです、いつまでも私の妹は、三人。これは変えられない事実でした。
そして、少ししてからあたたかな拍手が沸き起こりました。
涙を拭って、礼をして、私は席に着きました。同時に伴奏が始まります。
聞き覚えのある曲で、それを聞いて私は、つい笑ってしまいました。
それは、妹がとても好きだった女性アーティストの曲だったのです。
妹は、その人がとてもとても好きだったのです。
妹たちが歌いだします。
そこに私は、亡くなったえみも一緒に居るのだと、見ていました。
歌声は途中から、涙声になってしまっていました。それでも必死に歌っている妹たちが、とても愛おしくてたまりません。
その時、あれと思いました。
涙声の歌に混じって、きちんと歌っている、三人目の声が聞こえたのです。私は耳を疑いました。みきとよりは顔をぐしゃぐしゃにして、泣いて、私を見てきます。
もうそれはほとんど歌になっていませんでした。それでも、ちゃんと、誰かが歌っているのです。
その声は聞いたことがありました。
間違えるはずがありません。二十七年間聞き続けた声だったのです。
「・・・・・えみ・・・?」
その名を呼んだとき、不思議なことが起こりました。
ぼんやりとですが、みきとよりの間に、えみが立っているのです。
三人で選びに行ったという、濃紺に繊細な星柄のシックなドレスを着て、綺麗に髪を整え、丁寧な化粧をした、きっとえみが生きていたらそのいでたちでいたであろう、その姿で。
ぶわ、と涙が溢れました。
えみの最後の言葉を思い出しました。
「お式をしてね。私、歌うから。」
えみも、約束を守ってくれたのだと、気づきました。
微笑みながら、大好きだった人の歌を高々に歌い上げるえみは、まるで生きているかのように。
二人の妹を支えるように腰に手を回し、促すように綺麗な声で、歌っています。
視界はぼやけて、まともに見えません。それが嫌で私は何度も瞬きをしました。
そっと手に手を重ねられて、夫になった彼も、涙を浮かべていることに気づきました。
そして、もう一つ気づきました。
ああ、えみの姿はこの会場にいる全員の目に映っているのだと。全ての人に、えみの姿と歌声が届いているのだと、気づきました。
こんな奇跡が、あるなんて信じられませんでした。
天国から、妹が、約束を守って歌いに来てくれたなんて信じられなくて、でも信じられないくらいに嬉しくて、嬉しくて。
「えみ」
零れるように、名を呼びました。
気づいた風に、えみがこちらを見て、微笑みかけてくれました。
その笑顔は、約束を守ったよと、とても誇らしげでした。
クライマックスに近づくにつれて、ますます高々となっていく歌を、妹たちが歌っています。
今、この時が、永遠に続いてほしいと、願いました。
えみが、そこに居るということを、手放したくなかったのです。
けれど無常にも、その曲は終わりを迎えてしまいます。
最後の伴奏が流れます。
「りえちゃん、大好きだよ。必ず、幸せになってね。」
えみが言いました。
私はもう、溢れる涙が止められませんでした。何度も何度も頷いて、重ねられた彼の手を強く握り締めました。
そして。
伴奏が終わると同時に、えみの姿はすぅっと、消えていきました。
「絶対に、幸せになるからね。」
えみに向かって言いました。
今日は、私の結婚式の日でした。
とてもとても、涙がこぼれてしまうくらい、すてきな日でした。
父も母も兄も妹たちも、とても幸せそうに笑っていてくれて、それを見ているだけで私も幸せになってしまうくらいでした。
きっと私はこの日を、一生涯、忘れることはないでしょう。
最愛の妹がくれた、最期の約束とプレゼントを、絶対に忘れないでしょう。
とても、とても幸せで、すてきな日でした。
「ねえ、あいくん。」
「何?りえ。」
「子供が出来て、その子が女の子だったらえみって名前、付けていい?」
「男の子だったらどうするの。」
うーん、と少し悩んでからにかっと笑いました。
「その時は、えみおね!」
「なんだよそれ。」
私たちの笑い声が、青い空に吸い込まれていきました。
高く高く、どこまでも青い空。すばらしい秋晴れの日。
とても、素敵な、幸せな、一日でした。
読んでくださってありがとうございました。