「今日からみんなと一緒に勉強する、次期魔王くんだ」
「今日からみんなと一緒に勉強する、次期魔王くんだ」
「次期魔王です。よろしくお願いします」
イルラード王立学園の2年次に転入してきた彼は、笑顔で挨拶し、ぺこりとお辞儀をした。口元にえくぼがあるのがかわいらしい。長い前髪に黒ぶち眼鏡をかけた彼は、黒目黒髪に中肉中背のごくありふれた男の子だ。
名前が穏やかでないが。
次期魔王というのはわたしの聞き間違いで、ジキマ・オウとかいうエキゾチックな名前なのだろうか。
「先生」
おさげ頭の真面目な女生徒が手をあげた。
「あの、彼の名前がよくわからないのですが」
「そうだな、実は次期魔王くんには固有の名前がないらしいんだ。そうだね?」
「はい。魔王になったら名前をもらえるんですけど、それまではなくって。魔王くんって呼んでもらっていいですか?」
本当は次期をつけなきゃいけないんだけど、僕が魔王になるのはもう決定事項なので、と笑う。大人しそうな顔をしてなかなかの自信家くんである。
「じゃあ、リアナさんの隣の席につきたまえ。リアナさん」
「はい。魔王くん、こっちです」
一番後ろの席にいるわたしは転入生に向かって手を振って合図した。
彼はにこっと笑うとわたしに近づいてきた。
「ありがとう」
「よろしくね。わたしはリアナ・エイゼーク。リアナって呼んでね」
「うん、よろしくね、リアナさん」
右手を出してきたので握手をした。笑顔がかわいいし、いい感じの男の子だ。次期魔王だなんていうから緊張したけど、これなら大丈夫そう。
「教科書はもう揃ってるの? 一緒に見る?」
「大丈夫、揃ってるから。リアナさんは親切だね」
魔王くんが笑うとやっぱりえくぼがかわいかった。
魔王くんはいつもニコニコしているので、みんなとすぐ友達になれた。休み時間になると、魔王くんの席に男子がやってくる。
「交換留学なんだ」
「うん。人間の王子が魔界学園に転入しているよ」
こうして交流を深めてお互いにわかりあい、人間と魔族が仲良く暮らしていくのが目的らしい。
「ただの人間が魔界に行って大丈夫なものなの?」
「王族は勇者の血を引いているからね、聖魔法も使えるし、大抵の事には対処できる」
「へえ、うちの王子は結構強いんだ」
「強いね。やっぱり魔族として勇者は侮れないね」
だから、喧嘩とか戦争とかしたくないんだよ、と魔王くんは笑った。
喧嘩と戦争を同列に言っちゃうあたりが、さすが次期魔王なのである。
どうやらこの国の王子であるグレン先輩がただいま魔界学園に留学中らしい。
先輩、世界の平和が先輩の肩にかかっているみたいなので頑張ってください。
剣技の時間になると、男子も女子も更衣室に行って体操着に着替えた。ゆったりしたズボンに伸縮性のあるシャツを着た生徒が訓練場に集まり、各々が練習用の木剣を手にする。
「魔王くんは剣は得意?」
わたしが話しかけると、彼はうーんと首をひねった。
「僕は魔法を使う事が多いから、あんまり剣はなー」
剣を握る手が少しぎこちない。
「リアナさんは剣はどう?」
「まあまあ、かな。わたしこうみえても体育は得意なの」
「へえ。じゃあ、一緒に組んでくれる?」
「いいよ。お手柔らかにね」
二人組になって打ち合うと、魔王くんは太刀筋はとてもきれいなのに剣をよく取り落としていた。
「おい、魔王、こっちに剣を飛ばすなよ、危ないじゃん」
隣のペアから苦情がくる。
「あっ、ごめん! なんだか手からすっぽ抜けちゃうんだよ」
「持ちにくそうだね。柄のサイズが合わないのかな」
「僕、普段こういうタイプの剣は使わないから慣れなくて。難しいね」
首をひねる魔王くん。
魔王っていうとめちゃくちゃ強いイメージがあるけど、魔王くんは腕力がないのかな。優しそうな感じがするし。
「あっ、あぶねっ!」
ひゅんひゅんと回りながら、魔王くんに向かって木剣が飛んできた。
ざす。
魔王くんが右手を振ると、木剣は真っ二つになって地面に落ち、そのまま灰になってしまった。
「ごめんなー、大丈夫だった? うわ、なにそれ」
魔王くんの右手が剣になっている。
「これはエビルブレードっていうんだ。ごめん、木剣が燃えちゃったみたい」
黒い炎の様なものが剣の周りでめらめらと燃えている。
時々人の叫ぶ顔の形のものが出てきて剣から逃げだそうとしているようだ。
「うわあ、なんかまがまがしい感じの剣だね。いつもそれを使ってるから、握るタイプの剣は使いにくいんだ」
「うん、そうなんだ。これだと手で殴る感じで剣が使えちゃうから楽なんだよ。あっ、こら」
顔がふらふら剣から離れようとしたので、魔王くんは左手でそれを捕まえると黒い炎の中にぐいと突っ込んだ。
「悪霊だからさ、逃がすとめんどくさいんだ」
「その剣は悪霊でできてるの?」
「うん。特にたちの悪い悪霊を666使って作られてる」
しゅん、と音がしてエビルブレードっていう剣が消えた。
「すごく魔王っぽいね」
「そう? なんか照れるな」
魔王くんはいつものようにかわいいえくぼを見せて笑った。
「なあ、魔王って普通の人間の男の子っぽいじゃん。それが本当の姿?」
「ううん、違うよ。これはあまり悪目立ちしないように変えた姿なんだ。元の姿は人間が見たらちょっと怖いかも」
魔王くんは悲しげに目を伏せた。
「迫力があるのも魔王として大切なことなんだけどさ、僕は友達が欲しかったし」
「それで普通の感じにしたんだ」
「うん」
「でもさあ、」
男子が言った。
「俺たちもう友達じゃん? 姿がなんでも気にしないぜ」
「そうだよ、その姿でいるのが大変だったら、元の姿になっても気にしないからさ、無理はすんなよ」
「ありがとう。別に大変じゃないから大丈夫だよ」
魔王くんはにこっと笑った。
「元の姿だと角があるし目は赤いし、耳も尖ってるから、チョー魔族って感じなんだよね」
「羽もあるのか?」
「うん、出せるよ。黒くてカラスっぽいやつ」
「マジかよ! かっこいいじゃん」
「ちょっと見たいな」
「あ、わたしも見たいです」
隣の席からわたしも参加すると、魔王くんは少し赤い顔をした。
「え、そ、そう? リアナさんも見たいの?」
「うん」
「怖がらない?」
「外見がどうでも中身が魔王くんなら怖くないよ」
魔王くんはますます赤くなった。
「そうかー。じゃあ、ちょっとだけ見せようかなー」
「わあ、見せて見せて」
「おーい、魔王が変身してくれるって」
わらわらとみんなが集まってきた。
スペースを空けた真ん中に魔王くんが立ち「ええと、じゃあ、いつもの格好で行きます」と言って上着を脱いで椅子にかけた。
魔王くんが右手を振ると、黒い煙のようなものが渦を巻き、魔王くんの身体を包み込んだ。
「うおー」
「かっけー」
「魔王っぽいね」
現れた魔王くんは、すごく背の高い男の人だった。
身長は2メートル近くあるかもしれない。
黒くてツヤツヤした長い髪が腰まであり、頭には二本の角が生えている。切れ長の瞳は真っ赤だ。そして、その顔はクールな整った美形だった。
服は大丈夫かなと思ったけど、黒いローブの様なものに変わっていて大丈夫だった。
「魔族は魔素の固まりから生まれるから、僕は生まれた時からこんな感じなんだ」
ばさり、と背中から一対の黒い羽が出てきて羽ばたいた。
みんな「おおー」と声を上げた。
「じゃあ、戻るよ」
再び黒い煙が出て、魔王くんは元の中肉中背の男の子に戻った。
「あ、しまった」
魔王くんの髪の毛がロングのままだ。
「髪の長さはそのままになっちゃうんだよね、どうしよう。剣で切って燃やすかな」
魔王くんは右手をエビルソードにした。
「わあ、自分じゃ切りにくいよ」
長い剣では切るのが難しそうだ。
「魔王くん、首を切っちゃいそうで危ないから後にしたら? 髪をくくってあげる」
わたしは予備に持っていた赤いチェックのシュシュを出した。魔王くんが眼鏡を外し、前髪を後ろに持ってきたので首の後ろ辺りにひとつにまとめた。
「これで大丈夫だよ」
「リアナさん、ありがとう」
眼鏡を外したままの魔王くんがこっちを向いて笑った。
「あれ、この魔王くんもさっきと同じ顔なんだね。いつも前髪が長いからわからなかったよ」
髪を縛って顔がまる見えになって気づいたけど、魔王くんはとても綺麗な顔をしていた。目も赤い。
「うん、顔は同じ」
眼鏡をすると、瞳は黒くなった。
「じゃあ、大きい魔王になっても笑うとえくぼが出るのかな」
「えっ、僕えくぼがあるの?」
「うん」
「大きい魔王の時はあんまり笑うことがないから気がつかなかったよ」
「今度確かめてみたら?」
「……リアナさんに確かめてもらおうかな」
魔王くんはにこっと笑ってえくぼを見せた。
「リアナさん、あのさ、」
朝学園に来て席に座ったら、先に来ていた魔王くんに声をかけられた。
「なあに?」
「学園の創立記念ダンスパーティーの事を聞いたんだけど」
「ああ、そうね。もうすぐあるわね」
「それでさ……」
魔王くんは珍しく歯切れの悪い口調だ。
「そのさ、パーティーでさ、」
「うん」
「僕、リアナさんをエスコートさせてもらえない、かな? そのさ、やっぱり一番親しくしてるのはリアナさんかなって思うし、もしリアナさんがよかったらなんだけどさ、」
「いいよ。まだ誰にも声をかけられていないし。一緒に行こう」
「……まじ? わあ、やった!」
魔王くんは赤い顔をして嬉しそうに笑った。
「でも、わたしでいいのかな? 魔王くんは他の女の子で誘いたい人はいないの?」
「……なんでそんなことを言うの?」
「だって、魔王くんは女の子に人気があるんだよ」
そうなのだ、優しいし実は美形の魔王くんは、女子の間で結構人気があるのだ。本人は気がついていないようだけど。
「だから、隣の席だからってわたしで手をうたないで、他に誘いたい子がいたら……」
「リアナさんがいいんだよ!」
魔王くんはわたしの右手をギュッと握りながら言った。
「僕は、リアナさんと一緒に行きたいの! 他の女の子じゃなくて!」
わたしは真剣な顔をした魔王くんを見た。
「あ……そう、なんだ」
つられて赤くなってしまう。
「うん、わかったよ。えっと」
手、と小さい声で言うと、魔王くんはしっかりと握った二人の手を見て「あっ」と言い、慌てて離した。
「ごめん」
「ううん、いいよ」
「あの、じゃ、ダンスパーティー、お願いします」
「……はい」
その日はなんだか二人ともぎこちなくて、隣の魔王くんの事が気になって、一日中ドキドキしていた。
講堂の前でタキシードに黒ぶち眼鏡の魔王くんと待ち合わせをした。
鐘の下は待ち合わせ中の生徒でいっぱいだったけど、魔王くんがわたしを見つけてくれた。
「リアナさん、びっくりしたよ! その……今夜はなんだか大人っぽいね」
「ありがとう」
わたしは今夜は淡い黄色のドレスを着ている。色づかいはかわいらしいんだけど、胸元が少し開いていて身体の線がわかって、ちょっぴり大人の雰囲気なのだ。
「黄色って聞いていたからこの花にしたけど、もっとゴージャスな方が良かったかな、ごめんね」
「ううん、綺麗な花だよ、ありがとう」
魔王くんはわたしに贈るために黄色と白の小さな花をまとめたミニブーケを持ってきてくれたのだ。そして、男子が女子の髪に飾るお約束なのだ。
「リアナさん、屈んでくれる?」
中肉中背になってもわたしよりも頭ひとつぶん高い魔王くんは、少し頭を下げただけで髪に花を飾ってくれた。
「どう?」
「良かった、リアナさんに似合ってる」
「嬉しい。ありがとう、魔王くん」
わたしは少し照れながら、魔王くんの腕に手をかけた。
今夜の魔王くんは、髪をしっかりとセットしていて、綺麗な顔があらわになっている。まるで王子様みたい。
あ、未来の王様なんだったっけ。
女子の視線が突き刺さるような気がする……。
パーティーで、魔王くんはモテモテだった。魔王くんと踊りたがる女の子がいっぱいやってきたので、ちっとも休めず大変そう。
わたしはクラスメイトの男子とか、顔見知りの先輩とかと楽しく踊った。
少し疲れたのでバルコニーに出て涼んでいると、後から魔王くんがやってきた。
「リアナさん、ごめん。僕、リアナさんとあまり踊れてないよ」
「いいよ。魔王くん大人気だね、お疲れ様」
「知らない子と仲良くなれたのは良かったんだけどね、ちょっと疲れちゃったよ、緊張した」
魔王くんは眼鏡を外してポケットに入れた。
「……目が赤いね」
「気持ち悪い?」
「全然。むしろ綺麗だよ」
「……ありがとう」
魔王くんがえくぼを見せて笑った。整った顔のワンポイントだ。
「ねえ、もうすぐクラスの席替えがあるって知ってた?」
「ええっ、そうなの? 知らなかったよ。じゃあ、魔王くんとは席が離れちゃうだろうね」
そうしたら、今みたいにたくさんおしゃべりができなくなるね。
「寂しい?」
「え?」
「僕と席が離れたら寂しい? 僕はすごく寂しいよ、リアナさんと話せなくなるのが嫌だよ」
「魔王くん……」
「リアナさん、」
魔王くんがわたしの両肩を掴んで向かい合わせた。
「僕と付き合ってください! 僕は次期魔王で卒業したら魔界に帰るけど、でも、リアナさんの事が好きなんだ。だから、なるべく一緒にいたいんです。たくさんおしゃべりしたいんです。リアナさんの事を独り占めしたいんです!」
「……」
魔王くんの赤い瞳がわたしをまっすぐ見ていた。
その顔も真っ赤だった。
「リアナさん、好きです」
「わたし……わたしも、魔王くんの事をいいなって思っていて……」
魔王くんは潔いな。
わたしは恥ずかしくて目を伏せてしまう。
「わたしも、好き、です。よろしくお願いします」
「……リアナさん! 嬉しい! チョー嬉しい!」
魔王くんはわたしをギュッと抱きしめて、本当に嬉しそうに言った。
「リアナさん、大好きです」
魔王くんは身を屈めるとわたしの唇にちゅっとキスをした。
キスをしておいて、真っ赤になった。
わたしも一緒に真っ赤になった。
恥ずかしくて嬉しくて、ちょっと涙ぐんでしまったわたしを、おろおろしながら魔王くんが抱きしめて、また二人で真っ赤になった。
魔王くんはわたしとお付き合いを始めたことをクラスで公言した。ほとんどのクラスメイトは「良かったね」と言ってくれたけど、モテる魔王くんのことを狙っていた女子から呼び出されたりした。
「リアナ、ちょっと席が隣だったからって抜けがけするなんて卑怯よ」
「そうよ! 魔王くんと別れなさいよ」
仁王立ちする女子を見ながら困ったなあ、付き合ったばかりでお別れしたくないなあ、と思っていたら、魔王くんが走ってやってきた。
「リアナさんに何言ってるの。変なこと言うなよ。俺たちの事を邪魔したら本気で怒るからね」
魔王くんは本気で怒る顔をした。
最近前髪を短くしたので、怒ってもかっこいい顔だ。それじゃあ余計に女子に好かれちゃうよ。
「ええと、……そうだ」
魔王くんは右手にエビルブレードを出した。
え、斬っちゃうの?
「僕たちの邪魔をした人には、これをくっつけます」
悲痛な顔をした怨霊を一匹捕まえると、引き攣った顔の女子に突きつけた。怨霊は『ヒョレ~』と悲しげな声で叫んだ。
「これに取り憑かれたら、若さなんて吸い取られちゃって、シワシワのかさかさなお肌になるんだからね! 肌がたるんで垂れ下がるんだからね! わかった?」
大変恐ろしい事を言われた女子たちは、きゃああと叫びながら走り去って行った。
「他の人にも伝えておいてよ!」
その背中に魔王くんが叫んだ。
「大丈夫? ぶたれたりしなかった?」
「大丈夫だよ、助けてくれてありがとう。でも、本当にそれをくっつけるつもりだったの?」
わたしがシワシワのかさかさなたるみ肌になりたくなくて後ずさると、魔王くんは怨霊を剣にくいと戻してエビルブレードを消した。
「いやだな、脅しだよ。だって、こんなにたちの悪い怨霊を捕まえるのは大変なんだから。そう簡単には渡せない」
そっちか。
「この剣を作るのは結構手間がかかったし、メンテナンスもしなくちゃいけない面倒な剣なんだけどさ、やっぱりすごく使いやすいんだよ。髪の毛を切るには不便だけどね」
「うん、髪の毛は切りにくいね。首までスッパリ切れちゃいそうだよね」
「うん、一撃で骨までスッパリいっちゃうよ」
魔王くんはにこにこしながら言った。
「男子って、そういうのが好きだよね。剣をいじるの楽しい?」
「うん、手間がかかるほど楽しいし、愛着がわくね。この剣ももっと魔改造して、なんか黒くて怖いやつを遠くに発射できるようにしたいんだ」
「うわあ、飛び出すようになったらすごいね」
物騒な趣味を持つ魔王くんは、嬉しそうに頷いた。
学園がお休みの日に、わたしたちはデートをした。
遊園地に行って、手を繋いでたくさんの乗り物に乗った。
観覧車のてっぺんに来たときに魔王くんはわたしにキスをした。彼はもう照れないでキスをするようになったけどわたしはやっぱり恥ずかしくて、もじもじするわたしの肩を、魔王くんはえくぼを見せながら抱き寄せた。
ベンチに並んでアイスを食べながら、二人でおしゃべりをした。
「じゃあ、魔王くんが魔王になる時に、誰かが名前をつけるの?」
「うーん、なる瞬間じゃないんだけどね。魔王になる前に強い関わりのある人、運命の人っていうのかな、その人が僕の真名を呼ぶらしいよ。先代の魔王から呼ばれるパターンが多いみたい」
「真名ってなあに?」
「魔王のすごく大切な名前。誰にも教えちゃいけないんだよ。だから、魔王は自分の名前を知っても誰からも呼ばれることはないんだ」
内緒の話らしくて、魔王くんはわたしの耳元で囁いた。
「誰にも呼んでもらえないんじゃ悲しいよ。じゃあさ、仮の名前をわたしがつけてあげようか? ふたりきりでいる時に呼ぶ名前を」
わたしも魔王くんの耳にささやくと、少し尖った耳が赤くなった。
「僕たちふたりだけの名前?」
「うん」
「わあ、そういうのってワクワクするね。つけてくれる?」
「いいよ。……あっ、今かっこいい名前が浮かんだよ!」
「何? 何て言うの? こっそり教えて」
「あのね、アルベリオンっていうの。どう?」
「アルベリオン?」
「アルベリオン」
もう一度わたしが囁くと、わたしの口からキラキラした光が出てきて、魔王くんの胸元に潜り込んだ。
「え? 今のなに?」
魔王くんの襟元をびよーんと伸ばしてふたりで覗き込むと、胸には小さな黒いバラの花模様が刻まれていた。
「これは前からあったの?」
「ないよ! 初めて見たよ! っていうか、この印って」
魔王くんはわたしの耳元にかすめるくらいに唇を寄せて、「今のが真名だったみたい」と言った。
「そうなの? わたしが当てちゃったの?」
「そうだよ」
「びっくりしたよ! すごい偶然だね」
「偶然じゃないよ」
「え?」
魔王くんは頬を染めて、わたしに言った。
「リアナさんは僕の特別な人だったんだよ。僕がすごく好きになっちゃったせいなのかな」
魔王くんは食べ終わったアイスのカップを集めて立ち上がり、ごみ箱に捨てて来るとまた隣に座った。
「ええと、リアナさん、僕と結婚してください」
「ええっ? 結婚?」
わたしたちはまだキスしかしてないのに、いきなりプロポーズ?
「僕は次期魔王だから、リアナさんを連れて魔界に行って暮らすことになるけど、リアナさんの事は大切にします。他にも人間と結婚した魔族はいるから大丈夫。人間妻の会もあるし」
「えっ、えっ、」
「ごめん、いつかプロポーズしようと思って調べていたんだ。こんなに早く申し込むとは思わなかったけど、結婚はリアナさんとしたかったから。急でごめんなさい。でも、良かったら僕とのこと真剣に考えてください」
「あの、あの、……嬉しいです。前向きに考えさせてください」
魔王くんがとても真剣な瞳で言うから、わたしも真剣に答えた。
そして、親や友達や先生にまで相談して、魔王くんのお嫁さんになるというのはどんなことなのかうんと考えて悩んで、わたしは自分の意思で結婚を決めた。
それを告げたとき、魔王くんは泣きそうな顔をしてわたしにぎゅっとしがみついた。
そして、今までで一番長いキスをした。
後で知ったのだけれど、魔界に留学していたグレン先輩は、ドリュアドのお嫁さんを見つけてきたらしい。
「ねえ魔王くん、交換留学って結婚相手探しも兼ねているの?」
魔王くんはにっこり笑ってえくぼを見せたけれど、答えてくれなかった。
ちなみに、わたしたちはふたりだけの時に大きい魔王くんのえくぼを探してみた。
大きくてもえくぼはちゃんとあったので、わたしは嬉しくなってほっぺたをつついたら、最近なんでも理由をつけてキスをしてくる魔王くんに、やっぱりキスをされてしまった。
目を開けたら、魔王くんの顔が見えた。大きい魔王くんの姿だ。
赤い切れ長の瞳には涙が浮かんでいる。
なぜ泣いているの?
「わたし、うとうとしちゃったみたい」
魔王くんはわたしを横抱きにしている。
寝起きだからなのか、身体に力が入らない。
「学園にいた頃の夢をみていたよ。楽しかったね」
「……そうだな」
側で、小さな子どもがくすんくすんいっているのが聞こえて頭を向けると、魔王くんのミニチュアみたいな子が三人、見えた。黒い髪に赤い瞳で、小さな角が生えている。
「おや、かわいらしいわね」
「おばあさまぁ」
「会えなくなるのはいやです」
しくしく泣く頭を、端から撫でていく。
「よしよし、いい子ね」
子どもたちの親らしい人もすぐ近くに立っていたので、笑いかけた。
なんでみんな泣くのだろう。
「魔王くん、なんだかまた眠くなりました」
「リアナさん」
「まあ、魔王くんまで。泣きすぎですよ」
わたしは魔王くんの涙を拭おうと手を伸ばした。
あら、わたしの手はシワシワのかさかさだわ。
こんな手をしているから、この子たちにおばあさまと言われてしまったのね。
「リアナさん、生まれ変わったら絶対に見つけるから、また僕と結婚してください」
「生まれ変わったら?」
「そうだよ! 僕は絶対に見つけるからね! だから、約束して」
「……変な魔王くん。わかったよ、約束する。生まれ変わったら、また魔王くんのお嫁さんになります。……絶対に見つけてよ?」
「誓うよ!」
「わたしも誓います」
わたしの口からキラキラした光が出てきて、魔王くんの胸元にあるバラの模様の中に吸い込まれた。
あら、前にもこんなことがあったわね。
「ごめんね、魔王くん。眠い」
「リアナさん、いっちゃいやだよ、」
本当に泣きすぎ。
「そんなに泣いたら……綺麗な赤い目が……とろけてしまうわよ……」
「リアナさん、待って、逝かないで! 僕が見つけに行くからね! 覚えていてね!」
「おやすみ魔王くん……大好きよ」
わたしは目を閉じた。
FIN.
このお話はこれで終わります。お読みいただきまして、ありがとうごさいました。生まれ変わったリアナさんが魔王くんと再会するあたりは、皆さまの脳内で補完していただけると嬉しいです。