マサドラへ
ペトルが馬車に乗っていない。
それはつまり、ペトルが迷子になったことを意味していた。
……非常に不味い。
俺達はペトルを原神の地位に戻してやるために旅をしているのだ。
今のただのやんちゃな子供でしかないペトルを置き去りにするなど、とてもできることではない。
というかそれ以前に、近くにペトルがいないと俺の不幸がやばいことに……。
「どうしたの? あんたらの他にも誰か乗る予定だったの?」
「ああ、あと一人、小さい女の子なんだけどな……」
馬車は既に動いている。
気付いた直後に幌の外を見てみたが、馬車駅にペトルの姿は無かった。……と、思う。姿はないが、駅に置き去りになった可能性は否めない。
だがここから降りると隊商の契約違反になるだろうし、仮にペトルがどこか別の馬車に乗り込んでいたとしたら……取り返しの付かないことになってしまう。
やばい。どうすればいいんだ? これ……。
クローネと顔を見合わせてみるが、向こうの同じような感じである。
まさか、ペトルのはぐれるなんてことになろうとは……。
「や、ヤツシロさん。お、降りるべきでしょうか? それとも……」
「いや、待とう。降りたら最悪俺が死ぬ」
「えっ、何故!?」
「不幸で死ぬ」
考えたくもないことだ。
こんな何が起こるか、何が襲ってくるかもわからないような世界でペトルと離れてしまったら。
もしもペトルがどこか前の方の馬車に乗っていた場合、そこで俺たちが降りてしまうと、ペトルはどんどん離れていってしまうことになる。
ペトルとの距離が離れると、その分だけ不幸を被るのは過去に実証済みだ。
あの時は村と村の外れくらいの距離だったが、今回は町と町くらいの開きは充分に起こりえる。となると、まず間違いなく盗賊や魔物に襲撃されまくるだろうし、まだ出会ったことはないが闇の信徒とかいう連中とも間違いなく出くわすだろう。
逆に、仮にペトルが駅に置き去りにされていた場合は……それも同じように距離が離れていくことになるだろうが、こっちの場合は馬車が突然前触れもなくぶっ壊れたりして旅ができなくなりそうだから、考えなくともいいだろう。
黙って乗ってても多分ホルツザムへ帰ることになりそうだ。
……うん、考えれば考えるほどここから動かないほうが良いな。
ペトルが前の方の馬車に乗っていたら、それはそれで地味に距離が開くことになるけど……見過ごせるくらいであればセーフだと思っておこう。
一緒に移動しているなら、無事に停泊地で合流できるはずだ。
「まぁまぁ、乗っちゃったもんはしょうがないでしょ。辛気臭い顔してないでよ」
過去最大規模の危機に頭を悩ませていると、そんなことは結構どうでもよさ気な雰囲気で、白髪褐色の女性が俺の肩を気安く叩いた。
いや、これはどうでもいいというよりは……励ましているのだろうか。
最初の印象とは随分違い、彼女はなかなかお人好しそうである。
「……ま、確かにここで焦ってもしょうがないな。とりあえず冷静になるか」
「や、ヤツシロさん、しかし……」
「大丈夫。ペトルがどこか別の馬車に乗っている事を信じて、とりあえず待ってみようぜ」
俺は可能な限り頼りになりそうな好感触な笑顔を作って言ってみせたのだが、クローネの曇り顔は晴れない。
ペトルの笑顔だったら多分一発で機嫌を直せたのだろうが、そこが俺の限界というべきか……。
「ところで、クローネが宣教師なのはわかるけど、そっちの男。あんたは何なのよ」
「俺? 俺は……まぁ、護衛だよ」
「ふーん」
コヤンの青い目が訝しむように俺を見る。
視線は足元から頭頂部まで舐めるように動き、最終的に布で巻いたロングソードへと持って行かれた。
「……それ、ダンジョン産のロングソード?」
「え、何でわかるの?」
「ふふん、舐めてもらっちゃ困るわね。祭器売りってのはダンジョンで手に入る道具にも詳しいものなのよ」
俺が佩いているロングソードは、大きめの布を刃に巻き付け、その上から紐で縛ってある状態だ。特別な鞘に納められているものではない。
見える部分といえば無個性な柄くらいなもので、これを一目見ただけで“それ”と気付ける観察眼は、素直に凄いと思う。
「そのロングソードは自分でダンジョンに潜って手に入れたの?」
「え? あー、まぁ、そうだな。床にくっついた宝箱開けたら出てきたんだ」
俺の手持ちの武器らしい武器といえばこれくらいなもので、他にはスキルカードしか自衛の手段がない。
正直このロングソードも結構な荷物なのだが、丸腰で旅をするのは怖すぎる。何らかの自分にあったものが手に入るまでは、適当に使っていくつもりである。
ちなみにそれは、このロングソードを鋼の剣とかダイヤの剣とか、ゆく先々の武器屋さんで上位品にすげ替えていくとかいう意味ではない。
銃があったら俺は躊躇なく剣を放り投げて銃を使うつもりだ。勇者っぽいのは気持ちだけで良い。武器は火力である。
そういう意味では俺はこの剣よりもずっとスキルカードを信用していた。
「ふうん……ダンジョンに潜れるってことは、それなりの力を持ってるってことか。人は見かけによらないもんねぇー」
「ハハハ」
まぁ、そうは言っても俺この剣使ったことないんですけどね。
ダンジョンでやったことといえば手斧投げたりカード使ったり……あ、わりとマジでこの剣使ってねーや。むしろ素振りもしてないかもしれん。
「……本当は、ヤツシロさんは一緒に乗るはずだった神……めが……女の子を護衛する役目を持っていたのです。ペク……ペトルという子なのですが」
噛み噛みながらも会話に参加するクローネ。
やはりペトルが居ないために落ち着きがないのだろう。膝の上で組んだ手は、親指がくるくると忙しなく動いている。
「私たちは、隊商に混じって移動するのが初めてなのです。コヤンさんは、見たところこういった護衛の経験も豊富そうに見えますね」
「ふふん、まあね?」
あ、しっぽ動いてる。
「あの、一応聞いておきたいのですが……全体の馬車を途中で止めてもらうということは……」
「あー、それは……難しいわね。最後尾だからこの馬車だけならなんとかなるかもしれないけど、全体はもう無理。賊に襲われたり病人が出た時は、緊急の旗を上げれば一応いくつか止まってくれるけど、乗り遅れた奴を探すためだけに全体が旅程を遅らせることはないわね」
「……そうですか」
やはり、隊商全体の動きを止めてもらい、ペトルを探すというのは無理なようだ。
まぁ、さすがの俺もそこまでしてもらおうとは思っていない。
「……そんなに心配になるって……その子、どこか良いところのお嬢様か何かなの?」
神様です。
とは言えないな、うん。
「はい。とても高貴で、万人に敬われるべき輝かしい御方ですよ」
クローネさん。致命的なキーワードは使ってないけど、あなたそれ素で言ってないよね? 少しは包み隠すつもりあるよね?
「へえ……なるほどなるほど……そういう……ペトルちゃん、ねぇ……」
コヤンはどこか“むふふ”な笑みを浮かべ、よからなさそうな事を考えている。
含むような笑顔からは全くもって良い予感がしない。
「二人にとってペトルはとっても大事な子なのね?」
「もちろんです。私の命にかえ――」
「当然だろ子供を守るのは大人の役目だぞ当たり前だろ」
駄目だわクローネさん。
この人嘘つけないタイプのアレだわ。
「ふむ……二人がそこまで気にかけてるとこを見てたら、なんだか私もその子が心配になってきちゃったなぁ……」
ほらーみてみー、なんかきおったよー。
「宣教師様! この祭器売りコヤンが、ペトルちゃん捜索のために一肌脱ぎましょう!」
「えっ!? そんな……しかし、隊商はもう止まらないのでは……」
「ええ。しかし、ペトルちゃんが隊商のどこにいるかを調べることなら可能よ。手間はかかるけどね?」
「なんと……是非、お願いできますか!」
「お安いご用ですよ! このコヤンにお任せを!」
「ああ、なんとお礼を言ったらいいか……ヤツシロさん、良かったですね! 調べてもらえるそうですよ!」
「そうね」
ペトルから金の匂いでも嗅ぎとったのだろうか、コヤンは急に積極性を見せた。
詳しい方法はわからないが、何らかの手段があるのだろう。
彼女は馬が走る御者側の方へ歩いてゆき、ダンディなお馬さんたちと何か言葉を交わしているようだ。
まぁ、こっちも結構ペトルが心配だから、隊商にいるかどうかだけでもわかれば嬉しいんだけど……。
なんだかこういうのって、後が怖いんだよなあ。




