武器は装備しないと意味が無い
既に神殿に向かう人の列は、かなり短くなっていた。
もうあと十数分もすれば、最後尾の俺達の番となるだろう。
「モビー様以外に信仰するなんてなぁ……」
「しょうがねえよ。今どき鍬だけじゃあよ」
「モビー様、怒らんかねえ」
こう人数も少ないと、列に並ぶ人達の話もよく聞こえてくる。
やはりこの列は、皆が新たな神様を信仰するために作っている列で間違いないらしい。
専門用語や固有名詞が多すぎて半分以上は聞き流していたが、人々は新たに崇める神々について、その恩恵や、逆にリスクとなり得る事などを、盛んに交換し合っている最中のようだ。
……神様が現実に存在する世界。
ここでは、様々な物事の基本に神様が関わっており、あらゆるものが神々によって支配されている。
神に祈らなければ、神頼みしなくては、まともな財布ひとつ手に入らない世界。神も仏もいるにしたって、これはこれで、シビアな世の中である。
まぁ、さっきクローネからおすすめの神様を聞けたから、とりあえずそれらに祈っておけば良いのだろう。
基本的に生まれついた星を恨み続けてきた俺だが、ご利益があるなら、いくらでも拝んでやろうじゃないの。
「ペトル、さっきの宣教師……クローネの話、わかったか?」
「うーん……難しいことはよくわからないよ……」
ああ、まぁ、突拍子もないことだからな。
俺は突然の無茶は慣れてるし、半分理解を放棄しているからどうにかなっているけれども、ペトルくらいの年頃だと、いきなりこんな場所に連れてこられて神様を崇めろだなんて言われても、そりゃ意味分からないし、難しいよな。
「まぁ、俺と同じ事をやってれば良いと思う。……多分な」
「うん、じゃあそうする!」
列が消化され、俺達の前の最後の男性の一人が、神殿の床に膝をつき、祈っている。
祈りの格好は見知ったもので、胸の前で両手を握るような仕草である。
そうして跪く男の前に立った宣教師クローネが、一冊の書物を手に、瞳を閉じて、口の中で何かを呟いていた。
「鋼と舞い踊る戦の神。刀装神ガシュカダルの祭壇をここに。“光の祭壇”」
言葉を紡ぎ終えると、神殿の高い石屋根が淡く輝いて、一筋の光が中央に落ちてくる。
光は神殿中央の台座に衝突すると四角い形を形成し、光り輝く祭壇へと変化した。
これが神殿から漏れ出ていた光の原因なのだろう。間近で見ると眩しくて、神々しい感じがする。
「さあ、祈りをどうぞ。祭壇は霊界のガシュカダルにつながっています」
「は、はい」
男はかなり緊張した様子で返事をすると、胸の前で結んでいた手を額まで持ち上げて、より一層の強い力を込めた。
すると、熱心に祈りはじめた男の両手から、淡く発光する靄のような、薄い煙のようなものが立ち上り、ふわりと宙に浮かぶ。
それはしばらくそこに留まっていたのだが、思い出したかのようにふわりと動いたかと思うと、祭壇側へと流されて、吸い込まれ見えなくなってしまった。
「おお……!」
男から漏れ出た小さな煙が祭壇に混ざると、祭壇は一際強い光を放った後、空を切り裂いたかのような音を立てて、どこかへ消え去った。
祭壇が消える、という異常な事態ではあるが、クローネの何ら変わらない表情を見る限りでは、多分成功しているのだろう。
「おっ? おおおーっ!? これはっ!」
その証拠だと言わんばかりに、男の頭上から一振りの剣が、鞘付きで落ちてきた。
純白の鞘は真新しく、新品そのもの。
刀剣類の相場は俺にはわからないが、あの格好をしている村人達に持たせるにしては、かなり高級そうな剣である。
男は自らに落ちてきた剣を抜き取っては、そのぎらついた刀身を様々な角度から眺め、とても喜んでいた。
まるで、玩具を与えられた子供のようである。
「刀装神ガシュカダルは、剣技を磨き、研鑽を積む信徒を好みます。武器の切れ味のみに頼らず、過信せず、常に己を鍛え、刃を鈍らせないよう生きるのです」
「ははぁー! 宣教師様、ありがとうございます!」
男はクローネ様に何度も深く頭を下げ、喜びのあまりステップなどを踏みながら帰っていった。
なんというか、随分と楽しそうな男である。
「幸せそうだったわねー」
「ま、そうだな。良いことだ」
剣を抱えてにっこり笑うっていうのも恐ろしい絵面だったが、この世界ではさほど珍しい光景でもないと思っておこう。
「……ふう。さて、随分とお待たせしましたね。ええと……」
「あ、俺の名前は八代だよ」
「……珍しい名前ですね。ではヤツシロさん、あと……ペトルさん、どうぞ、神殿の中へ」
列が完全に捌け、俺達が再度空き神殿に入る頃になると、クローネの表情はかなり疲れているように見えた。
しかし神殿の外では、木椅子に腰掛けたおばちゃんの宣教師さんたち数人がよりそい、お昼ごはんを食べているらしい。そっちの方は、随分とリラックスした空気が漂っている。
「“光の祭壇”は、あまり霊力消費の多いスキルではないのですが、こう信徒が多いと、代わる代わるで出さなければ疲れてしまいます。なので他の皆さんは、奥で休んでいるのですよ」
「ああ、そうか、なるほど……というか、さっきのもスキルだったのか」
「はい。教布神エトラトジエを主信仰とすることで下賜されるスキル、“光の祭壇”です。我々はこれが出来なくては、仕事になりませんからね」
教布神エトラトジエ。また新しい神様が出てきた。本当に沢山いるんだな。
「あの、クローネ。さっきは色々な神様の名前を聞いたけど……」
「はい」
「……別の世界に連れて行ってくれる神様っていうのは、いないのかな」
「……」
駄目元で訊ねてみると、クローネは顎に指を添えた状態で固まった。
「別世界に連れて行く。それは、どういうことでしょうか。霊界、冥界……別世界といっても、ひとつではありませんよ」
「ああ、ええと……そうだな。なんて言えばいいか。君の知っているような神様が全く存在しない、そういう世界のことなんだ」
「そんな世界はありません」
突っ込んだ聞き方をすると、クローネにばっさりと切られてしまった。
「この世界は神があるからこそ存在するのです。それは、霊界や冥界も同じ、例外などありません。もしもその外側へと行きたいのであれば……あらゆる神の力を凌駕する何かが必要になるでしょうね」
「……そっか、ありがとう」
……まぁ、そうだな。
神様がこの世界や仕組みを作ったっていうのなら、それを逸脱するには、神を超える力を持つしかない。ご尤もである。
そしてそんな力は……存在しないのだ。
横着は、やっぱり駄目だった。なら、別のプランに変更するしかない。
この世界から出られないのであれば……どうにかして生き延びる他に、道は残されていないのだ。
「じゃあクローネ、この世界で生きていくには……どんな神を信仰するのが一番かな」
「……あの、さっきから聞いていて思ったのですが」
「ああ」
「あなたには、行く宛が無いのですか?」
「んー、無い、なぁ」
俺は頭を掻き、ペトルも真似するように、頭をぽりぽりと掻いた。
行く宛は無いし、俺達はここの事を何も知らない。
悪い奴に襲われず、騙されず、食う寝るに困らない状態まで持っていくことが、ひとまずの目標なのだ。
クローネは俺ら二人を見比べて、また顎に指を添えて、しばらく沈黙に入り込む。
彼女が口を開いたのは、それからじっくり時間を開けて、二十秒ほど後のことだった。
「……一番、というものはありません。我々が信仰する対象には神には上位神と下位神が存在しますが、上位神だからといっても、信仰すれば必ずしも生活水準の向上に繋がるわけでもないですし」
「上位神と下位神っていうのは?」
「言葉の通りです。上位神はより高位の神で、この世界に強い支配力を持っている神々ですね。下位神はその下に属するものですが、我々にとってはこちらの方が、信仰の恩恵としては大きいかもしれません」
「ほー……」
「私の主信仰は下位神教布神ではありますが、貴方の為にその道を勧められるかといえば、悩むところですね。やはり、自身に一番合ったものを選択するのが何よりかと」
「んー……じゃあ、食うに困らない、住むに困らない。そんな信仰を……平たく言えば、貧乏になりたくないから、そういう神様にしたいなぁ」
「ふむ……金銭を稼ぐ、ということですか。なら、どうしても闘四神のうちの一つを、信仰しなければならないかもしれませんね」
「闘四神?」
「ええ」
クローネは小脇に抱えた本を台座の上に置いて、少し楽そうな体勢で、俺達に向き直った。
「刀装神ガシュカダル、法神アトラマハトラ、弾弓神スバイン、拳神バゴーヌス。この四つが闘四神と呼ばれ、世界における一般的な武術を司っています。ガシュカダルが剣術、アトラマハトラが魔法、スバインが弓術、バゴーヌスは格闘術に恩恵を与えます」
「おお」
なんか、RPGのジョブっぽいな。
自分で好きなものが選べるとなると、なおさらそれっぽいぞ。
「この世には様々な魔獣や霊獣が存在しますし、夜には恐ろしい闇の信徒達も現れます。我々は常に神に見守られてはいますが、危険と隣り合わせであることには変わりません」
「……そのために、力を身につけておく、と」
この村に来る前に出会った、一角イノシシのことを思い出す。
確かに、あんなバケモノとしょっちゅう丸腰で出会うのは、ちょっと恐ろしい。
「先ほどの列の皆様も、各々自らに合った闘四神を選択し、信仰を始められました。自らを守る術を身につけ、時には人のために闘い赴くことも、闘四神を信仰する上での大いなる意義です」
「ふーむ、そうか、そういうのが稼ぎの手段にもなるわけか……」
さっきの村人の男もそうだったけれども、この世界はああして祈るだけで凶器がもらえてしまう。
日本なら即銃刀法違反で捕まっているところだが、ここではそんな法もないだろう。
家や建造物の造りを見ればわかる。
神様こそ存在する世界だが、文明のレベルは、さほど高くはないのだ。
「近頃は、人々の心に言いようのない不安が立ち込めています。悪しき闇の信徒達の動きも、どこか予想がつかないものだと、メイルザムでも噂になっていますし……」
「メイルザムって?」
「ここから北に向かった場所にある、ちょっとした町ですよ。私達はそこの教会から、宣教のために派遣されてきたのです」
「ああ、町か。ありがとう」
町。結構大きな場所。そこなら、ちょっとしたお金稼ぎもできるかもしれない。
なにせ一文無しだ。ビスケットは尽きたし、あるのは五百円玉たったの一枚だけ。
食うにも泊まるにも、金が無い事にはやってはいけぬ。
以前俺が旅行に出かけて一人見知らぬ土地で帰れなくなった時も、日雇いの仕事でどうにか交通費を稼いだものである。
そのためには、闘四神。
剣士、魔法使い、弓使い、格闘家。
砕けた言い方をすれば、ジョブ選び。この選択は、どうしても必要になってくるだろう。
いつまでも遊び人のままではいられないし、すっぴんで戦うには俺のレベルが低すぎる。
さあ、俺は何を選ぶべきか。
この世界で生きるために、何の職業……神様を選ぶべきなのか。
「ねえねえ、シロ。お祈りするの?」
「……ああ、するよ」
ペトルに裾を引っ張られ、訊ねられる。
彼女を連れて、とりあえず町へ行かなくてはならない。
なんだかんだでペトルは他人だけども、だからといってこの異世界で放っておくには、あまりにもか弱すぎる存在だ。
容姿が良い分、危険度は高い。彼女を守ってやるだけの力を手にしなければ。
「……決めた」
「信仰する神を、お決めに?」
「ああ。俺は、刀装神ガシュカダルを信仰するよ」
刀装神ガシュカダル。剣の神様。
見たことはないし、どんな神様かも、ほとんどよくわかっていない。
だがファンタジーにおいて、剣っていうのは最強装備みたいなものだ。
そうでなくとも、とりあえず刃物を握っておけば、護身用には十分扱えるはずだ。
つーか、魔法とか弓とか言われても使い方なんてほとんどわからないし、拳で戦う勇気はさすがにねーよ。
剣一択だろこれ。