神は乗り越えられる試練しか与えない
「こっちよー」
地下五階。
このダンジョンにおける最深部であり、刀装神ガシュカダルが信仰の剣を突き立てた階層である。正真正銘、ここが最後のフロアというわけだ。
ここではカンテラを持ったペトルが先導し、俺達の進行方向を決めてゆく。
分岐路にさしかかると少しだけ立ち止まって、“こっち!”と指をさしては走ってゆく。そんな感じの進み方だ。“お前本当にそれで大丈夫なのか”ってほどの適当な決め方である。
直感にしたってもうちょっと何か“そこをそう進むと決めた根拠”ってものが見えるものだが、ペトルの場合には全くもってそんな雰囲気が見られない。
こいつに託すと決めたのは俺達だ。今更になって文句は言えないが、やはり不安なものは不安である。
しかし、運任せと決めたのだ。“本当にこっちで良いのか?”なんて事も聞けるわけがない。何かもペトルの直感任せである。
そのため、俺達の内心は、すぐ次の瞬間にもモンスターと遭遇するのではないかという不安でいっぱいだった。
「こっちこっちー」
が、しかし。
もうかれこれ五分近くペトル主導の適当なダンジョン探索が続けられているというのに、一向に魔物が現れるような気配が見られない。
雰囲気的に、このフロアには魔物が居ない……なんてことはないはずなのだが、それでもどういうわけか、全く遭遇する兆しを見せていないのだ。
「あ、やっぱこっちがいい」
「っておい、結構長い道だったけど、ここから引き返すのか?」
「うん。こっちこっち」
……まさか。いや、おそらくペトルは、理論ではない壮絶な“幸運”によって、モンスターとのエンカウントを回避しているのだろう。
先程から時折見せるこのような不可解というか、気まぐれの過ぎる方向転換は、そうでなければ説明がつかない。
まさに、神憑り的な直感というやつだ。神なのだからそのまんまである。
「……やはりこれは、ペトルさんの力なのでしょうか」
「多分な……まさか、本当に上手くいくとは思わなかったが……」
事がうまく運んでいるとはいえ、大声を出せば何に気付かれるかわかったものではない。俺とクローネはぼそぼそと小さな声で言葉を交わしている。
「あ、アノ……ペトルさんって、ナニモノなんですか?」
「ん? あー、ペトルか……」
どうやらギンも気になったらしい。
そりゃそうだ。こいつだけは俺たちの旅の事情を全く知らないのだから、気になって当然のことである。むしろ今までの豪運を何のツッコミもせずにいられたスルー力が凄いくらいだ。
しかし、いざとなると説明には困るな。
この世界ではそう簡単に“神様だよ”なんて言って良いかもわからないし……。
……けど、こうして一時だけでも一緒に冒険する仲だ。下手に隠しても得はない。正直に言うのが吉だろう。
「ペトルはな、幸運の女神なんだ」
「ア、ハイ……」
ちょっと待とうギン君。君それ何だか引いてるように見えるんだけど俺の気のせいかな。
いや、別に例えとかそういうのじゃないんだ。実際にペトルは幸運を司る神様でだな……。
「おほ……おなかすいた……」
「ペトルさん? どうしたのですか?」
俺が必死の弁明をしようという時、突然ペトルが立ち止まった。
その場から引き返すわけでもなく、突然急いで走り出すわけでもなく、停止である。これは、地下五階に来て初めて見せる挙動であった。
「おなかがすいて嫌なかんじー……」
「おいおい? ペトル、こんなところで座り込んだら……」
「……ヤツシロさん。これって、非常にまずいのではないでしょうか」
「え?」
突然ダンジョンの床にぺたんと座り込むペトルを見て、クローネの目つきが険しくなった。
「神々は、我々信徒の霊力を受け取ることで……いわば、それを食事としている、と考えられています。なので、今のペクタルロトルさんは……」
「……霊力切れ?」
「そして、神々の力は信徒から集まる霊力によって左右されるとも言いますから……」
「てことは」
そこまで話して、通路の奥から音が響いてくることに気がついた。
ドン、ドン。そんな感じの重低音。腹の底から響いてくるような、まるで特撮に出てくる怪獣の足音のような……。
「……皆、ここは一端引き返そう。なるべく静かにな」
「はい……異議はありません」
「ソウしましょう」
通路の向こう側から近づいてくる気配には、みんな感付いているようだった。
いや、この音で危機感を抱かない方がおかしいか。
どう考えたってこれは足音であるし、それも生半可なサイズの生き物が出せるものではないのだから。
「シロ、おんぶ」
「言われなくてもそうするって」
「おほー」
その場でへたり込んだペトルを肩に担ぎ、俺達は一時撤退を決め込んだ。
「まずいことになりましたね」
「ああ、そうだな……」
引き返した先の小部屋で、ひとまず作戦会議である。
しかしそう時間が取れる状況でもないので、可能な限り手早くだ。
前方の通路からは、ゆっくりとではあるが大型の何かが迫ってきているし、後ろからだって何らかの魔物が現れないとも限らないのだから。
「ここまでの順調な探索は、きっとペトルさんの功績によるものが多いのだと思います。ですから、それまでの順路はきっと正しい……と、思います」
「ああ、それは俺も考えてる。多分この正面の通路の先に、正解のルートがあるんだろうな」
この階層に魔物がいないということはない。
クローネが知っている限りでも、そのような不気味ダンジョンは聞いたこともないらしい。彼女もダンジョンに精通しているというわけではないので確かなことは言えないが、俺も直感的にそうは思う。
このフロアが一本道で、かつそれまでよりもずっと幅の広い通路で、床に赤い絨毯が敷かれているのであれば、きっと雑魚モンスターなんてものも出現はしないだろう。けど、この地下五階の構造は、それまでの階層と大きな違いはないように感じられる。
左右対称でもなければ特別な調度品があるわけでもない。未だ奇跡的に出会っていないだけで、ここでもちゃんと魔物は出現するはずなのだ。
そして、これまでのペトルの探索が正しいものだと過程するならば……この正面の道こそが、ギンの“信仰の剣”にたどり着くための正道なのだろう。
……忌々しいことに、なんかとんでもない奴の気配を感じるが。
「正解のルートだとわかってるのに、わざわざ他の道を探したくはないよな」
「ええ、それは同感です……ペトルさんが脱力した今では、別の道を進んだとして、他の魔物と鉢合わせる危険も高いですし」
「おほー……」
「……というコトは、こっちからクる……大きなマゾクを、迎え討つんデスか?」
「そうなるな」
俺だって内心はもの凄く嫌だったが、頷いた。
ギンはそれを見て、頭をがっくりと下げて落ち込んでいる。
弱虫だとかチキンだとかは言うまい。俺だって出来るもんなら、この道だけは進みたくないのだ。
だが、人生は時に立ち向かわなければならない壁にぶつかることがある。
「……ギン。こっちに行けば、多分……お前の信仰の剣は見つかるはずだ」
「信仰の剣……うう、ガシュカダル様……でも、デモ……」
「あくまで予想だが、ギン。こっちから歩いてくる魔物は、きっと俺やクローネだけじゃ対処できない。お前の力が必要になる」
「……」
ギンの黒い複眼がチラリと、顔色を窺うように俺達を見た。
「協力してくれないか、ギン」
「……う、うう……」
「はっきりしてください。どうなんですか」
「えっ」
俺がどうにか優しい説得を試みていたその途中で、クローネはギンの顔をがっしりと両手で抑え、強引に上を向かせた。
彼女の力強い両目に真正面から捉えられ、ギンの小さな悲鳴が上がる。
突然のことに、俺は何も言葉が出なかった。
「貴女は刀装神ガシュカダルの信徒なのでしょう。闘四神を崇拝する一信徒なのでしょう。なら、闘わずしてどうするのです」
「は、ハイ……あの、でもワタシ、ガシュカダル様にミハナされて……」
「なにこの期に及んで寝ぼけたこと……本当に神に見放されているなら、貴女はとっくの昔にただの虫族に戻っているはずです。そうでしょう?」
「……虫……」
「神は、貴女に試練を与えてくださったのですよ。いい加減、真正面から向き合いなさいよ」
クローネは力強い口調で、目で、ギンを叱りつける。
「この一本道に待ち受ける魔族は、神より与えられた試練。貴女が闘い、乗り越えなければならない……ガシュカダルより与えられた試練なの」
「……」
「貴女がまだ人であるつもりなら、その剣を握って立ち向かいなさい。闘うのが嫌なら……虫にでも何でもなれば良いわ」
丁寧な口調を崩したクローネの強い叱責を受けて、ギンの体がぴくりとも動かなくなる。
声も出ず、身動き一つしていない。ギンは大丈夫なのかと心配になったが、クローネはそんな彼女に構わず立ち上がり、何食わぬ顔で被ったヴェールの裾を整え始めた。
“あとはもう知らない”そんな、わかりやすい態度である。
静寂に包まれる地下五階の薄暗い小部屋。
通路の先からは、段々と低い足音が聞こえ始めてきた。
……確実に、何かが近づいている。
この通路の奥に潜む何かは、足を止めること無く動き続けているのだ。
「……タタカいます」
ギンはしばらく黙りこんでいたが、足音の響く通路の暗がりを見据えながら、すくりと立ち上がった。
右手にロングソードを握り、左手にスケイル・シールドを構え、背筋を伸ばして立っている。
その姿は、やはりフルプレートの女戦士のようで、美しかった。
「ワタシ、タタカいます」
「……ちゃんと、立ち向かえますか」
クローネが腕を組みながら訊ねると、ギンは小さく、しかし迷いなく頷いた。
「タち向かいます。これでニげたら、ワタシはただの虫になって、死ぬだけダカら。……虫として死ぬくらいなら、ワタシは……ヒトの戦士として死ぬホウが良い」
「……わかりました」
ギンの答えに、クローネは優しく微笑みながら頷いた。
「……よし、じゃあ行きますかね」
「おほ……いいかんじ?」
「ほれ、お前も一人で歩けよペトル」
「ぶー」
「ぶーたれるな。豚じゃあるまいし」
……これから、きっと大きな闘いが始まるだろう。
俺はこのダンジョンで最も困難な闘いを予感し、カードバインダーから『オルタナティブ』と『守護霊のオーロラ』を取り出し、その手に握りしめた。




