ノックの回数と意味は文化によって異なる
夕方、慌ただしい足取りで祈りにやってくる町の人々。
祭壇で手早く祈り、霊力を捧げ、そしてまた慌ただしく帰ってゆく。
そんな姿を横目に見ながら、俺達は昨日も泊まった部屋に足を向けて、教会から支給されたありがたい食事を頬張る。
「むむむー……ぱさぱさ……」
「ビスケットで舌が肥えちまったのかなぁ」
「フレークスのビスケットですか? あれは、なかなかの高級品ですからね」
「え、そうなのか」
今日はこの部屋の中に、クローネも一緒にいる。
部屋はベッドがひとつ、燭台がひとつ、荷物を入れるカゴがひとつ、クローゼットがひとつという殺風景ではあるが、そこにクローネが椅子をひとつ入れることによって、不思議なことに、随分と寂しさが和らいだように見える。
部屋の寂しさというものは、来客用の椅子や座布団の有る無しによって変わるのかもしれない。
……こんな世界にまで来て、何よくわからない事を考えちゃってるんだろうね、俺は。
「フレークスは、バニモブ村のように耕穣神モビーを信仰しているような農村でなければ、なかなか手に入らない穀物なんですよ。高栄養食で、神々へのお供えとしても適した食品です」
「はへぇー……穀物。なるほど……」
フレークス。名前なんて聞き流していたけど、俺達が食べていたビスケットは、なかなか上質なものであったらしい。
それもそうか。特産品のような扱いで売ってたもんな。道理で美味かったわけだ。
「あのビスケット、また食べたい……」
ペトルは膝を抱えながら、いと寂しそうに呟いた。
こりゃ完全に、舌が肥えてそうだな。
「また今度、立ち寄ったら食いに行こうな」
「はあ……」
「またって……ヤツシロさん、場所を変える宛てがあるのですか?」
「あるわけじゃないけど……まぁ、おいおい拠点とかは変えていくかもしれないな」
金に余裕が生まれてきたら、本格的な調べ物をしたいと考えている。
以前クローネに聞いた話では、この町には図書館のようなものは無いのだという。
できれば様々な知識を仕入れるために、この世界の図書館に立ち寄りたいというのが、今現在の俺の、ちょっとした希望だ。
困った時は人に訊けば教えてもらえるというのがツいている人間特有の素晴らしいところではあるのだが、できれば土壇場になってわからないことを訊く前に、色々と知識の準備をしておきたいものである。
既に何度か繰り返しているが、行き当たりばったりで生きてゆくには、この世界はあまりに危険が多い。
俺の最終的な目的は、元いた世界に戻ること。
そのための手段を、色々と模索しなくちゃいけない。
なので、当面の目標は……。
「なあ、ペトル」
「ぱさ?」
パサパサ言いながらパン食べるなよ。
「ペトル、お前はどこから来たんだ?」
「……上?」
ペトルはさも当然であるかのように上を指差した。
いつも通りな感じである。ざっくり過ぎてビジョンが見えてこない。
「上っていうのは、空か? 宇宙か? それとも、霊界ってところか?」
「んー、わかんない」
ええええ。そっからぶん投げられてもなぁ。
「でもキラキラしててすごく綺麗な所よー」
「うーん……」
クローネだって悩んでるし。当たり前だわな。上だけじゃわからんものな。
「……そうだ、ペトル。じゃあこうだ」
「おほ?」
「お前の他には、そこにはどんな神様がいたんだ? お前は、一応神様の知り合いがいるんだろう」
「うん」
「ちょっと名前を言ってみてくれ」
「えーとねー、ヘストとー、ネリユとー、プレイジオとー、あとねー」
指を下りながら、ペトルが名前を諳んじてゆく。
その間、クローネの表情が強張ってゆくのが、俺には理解できた。
「どれも、原神の名前……」
原神。
上位神の更に上に位置する、この世界の創造神。
そして、更にもうひとつ名前を言おうとペトルが宙を見上げている丁度その時、部屋の入り口が静かにノックされた。
「誰だろう」
「……教会の者だと思います。何か、ヤツシロさんとペトルさんの宿泊に問題があったのかしら……どうぞ、お入りください」
「失礼します」
クローネがドア越しの人物に許可を出すと、細い声が返ってきた。
ドアの古い金具が軋む音を上げて、静かに開け放たれる。
「どうも、遅くにすみません」
そこには俺の予想に反してシスターのような装束を着た者は立っておらず、日本の着物のような、白黒の服を着た人がいた。
長い黒髪、中性的な顔立ち。男か女かは、わからない。
とても高価そうな服であるが、あまり、この教会にはそぐわない見た目である。
「……あなたは、どちら様でしょう」
って思ったら、本当に教会に関係の無い人だったらしい。
クローネは立ち上がり、目つきを尖らせて警戒を顕にしている。
クローネが知らない相手なら、当然俺も知らない相手である。
俺は素早くバインダーを出現させ、唯一の攻撃用スキルカードを抜き取り、構えた。
俺とクローネは、張り詰めた空気の中、立ち上がったのだ。
「あー、ヤォさんだー」
だというのに、ペトルだけはいつもの雰囲気のまま、部屋に入ってきた長髪の不審者を指さしている。
おそらく、名前のようなものを呼びながら。
「ヤォ、ですって……」
「おやおや。そちらの小さなお嬢様は、私の姿を知っているようですね。これは面白い」
「ヤォって……まさか、万神ヤォ……」
「異物の痕跡を辿り続けた甲斐がありました。どうやらここが特異点のようだ」
クローネは狼狽え、長髪は意味深に微笑み、ペトルは普通で、俺は、なんかもうよくわからないことになっている。
カードを不審者に向けてはいるが、ペトルの対応はどこか知っている風だ。ペトルの知り合いか何かであれば、あまり敵対するべきではないのだろうか。
「どうも、人間の方。はじめまして。私の名はヤォ。万神ヤォと呼ばれる神です」
「神様……」
俺はすかさずカードを下ろし、構えを解く。
どうやら、これ以上は空回りになりそうだったから。
「……万神ヤォは、原神の一柱。あらゆるものを司る神であると言われています……」
なんだそれ。随分とスケールがでかくないか。
「ヤォさーん」
「おやおや」
俺がクローネからの説明に放心していると、ペトルは両腕を広げて、ヤォと名乗った神のもとへ駆け寄ってゆく。
原神ヤォの方も、それを受け止めようと腕を広げていた。
しかし……。
「ふぎゃ」
「あっ」
ペトルは、ヤォの身体をすり抜けて、後ろのドアに顔面から激突してしまった。
「……身体が、すり抜けた?」
「なるほど。こうなるわけですか……だとすると、我々が求めていた“欠片”は貴女のようですね」
クローネはドアに激突して床の上でのびているペトルを優しく抱き起こし、その身体をベッドまで運び、横たえた。
ヤォはだらんとしている姿のペトルを見て、どこか微笑ましそうにしている。
「……それで、貴方達は? できれば、名乗っていただけると嬉しいのですが」
「あっ、はいっ、あの、私、クローネ=ガーネントですっ、宣教師で、あの教布神信徒で……」
「蘭鉢 八代です」
「ふむ」
クローネは神を目の前にして慌て、俺は平静のまま答えた。
嘘。平静を装っているだけで、内心は結構びくびくしている。
「クローネと、ヤツシロですね。……ふむ、クローネ=ガーネント……貴女は極普通の宣教師で間違いないようですが……」
ヤォの黒い目が、俺に向けられる。
こうして真正面から見てみると、中性的な顔をしている割に、身長は高い。
俺よりも高い位置からじっと観察するような目が、ちょっと怖かった。
「ヤツシロ。そう言った名は、聞いたことがありませんね……いや、これもまた特異点といったところでしょうか」
「あの、すいません。話が、全然読めてこないのですが……」
「ああ、これは失礼しました。……ですが、私の方でもなかなか、現状把握ができていない状態なので、あまり説明はできないのですけどね」
ヤォは口元に手を当てて、ふふふと上品に苦笑してみせる。
「あ……あの……何故、原神様が地上へ? なにか、この世にとんでもない事が、起ころうとしているのでしょうか……?」
クローネがペトルの額を撫でながら、未だ混乱を隠せない様子で、早口で訊ねた。
「とんでもない事……そうですね、起こっていると言えば、起こっています。それには、まず……彼女の話を聞く必要があるでしょう」
「彼女って、ペトル?」
「ペトル、ほう。この子はそういう名前なのですか」
意識が戻ったか、ペトルは自分の額を両手で押さえながら、呻いている。
「あ、いえ、ペトルというのは愛称のようなもので、本当の名はペクタルロトルというらしいのですが……」
「ペクタルロトル、ふむ……それもまた、初耳ですね」
「……ふえ? ヤォ、私のこと、忘れちゃったの?」
ペトルがぐんっと勢い良く起き上がり、悲しそうな目をヤォに向けた。
「すみません。私は貴女のことを、よく知らないのです」
「そんなー!?」
「ですが、貴女は私の事を、知っている?」
「うんうん! もちろん知ってるわ! 何度も一緒に遊んだし、沢山お話ししたもん!」
ペトルが泣き出す一歩手前の勢いでまくし立てると、ヤォはそれに対して大人の雰囲気で、うんうんと頷いた。
ここで、俺は既にピンときていた。なんとなく流れで、気付いてしまったのだ。
「……ええと、ヤォ様。もしかして、こいつは……ペトルは、貴方達と同じ?」
「断言はできませんが、そうですねぇ。あの、ペクタルロトルさん?」
「なになに……? ヤォ、思い出した……?」
「いえ、ペクタルロトルさんは、私と同じ神様だったのでしょうか?」
「うん、そうよ……キラキラした場所で、ヘストとかプレイジオとかと一緒に、色々なお話をして……」
「……ふむ、どうやら間違いないようです。私には、その記憶がないのですが」
ああ、なんか、よくわからないが。
とんでもなく、凄いことが起きてしまったようだ。
「何があったのか、力が非常に希薄ではありますが……彼女は、私と同じ原神ですね」
「おほー……」
ヤォが静かにそう告げた時、俺やクローネは固まったまま動けず、息をするのも苦しい感覚に襲われていた。
そんな中で、ペトルだけがただ、もの悲しそうな顔をして、ヤォのことを見つめている。
たった一人、彼女だけが。
「そして、私達原神を含め、誰も彼女の事を覚えていない」




