長いものには巻かれておこう
準備は、ほぼ身支度のみだ。
スニーカー。ジャージ。あとペトル。それだけである。これで準備完了だ。
俺はそんな風に決め込んでいたのだが、目的地付近を通る馬車を駅で探している最中、いつの間にかクローネが全員分のパンを持っていたのにはびっくりした。
“お弁当が必要でしょう”とのことである。準備の良い人だ。
文無しの時は現地調達だなんて歪んだ思考をしていた俺が馬鹿だった。
何食分もあったので、俺とペトルはまたしても深々と頭を下げるしかなかった。
ちなみに俺はともかく、ペトルのそれがクローネによって全力で止められたのは、言うまでもない。
俺達の目的地は、メイルザムから西南方面にある山の裾、そこに存在するというゴブルトのコロニーだ。
馬車で結構走るので、そこにあるコロニーがメイルザムに対する危機となるかは怪しい。
だが、近頃は治安が悪いというか、何か警戒週間のような状況にあるのだろうか、国の御達しで、警戒範囲が広がっているのだという。
御上には逆らえない。割にあわない仕事でも出さなきゃならないのが中間管理職の辛いところである。
そしてその辛い仕事を実際に行うのが、俺のような下っ端というわけだ。
目的地付近の街道を通る馬車は、無事に見つかった。
それは幌の中に既に何人かの客を乗せている馬車で、かなり離れた、隣というわけでもない隣町にまで続く馬車らしい。そこに相乗りすることになった。
当然、御者はいない。この前と同じ、馬オンリーの、実に話のわかる馬車である。
「宣教師さんと一緒の人なら、構わねえ。全員割安にしておくぜ」
馬、マジで話がわかるから困る。
超かっこいい。
ていうか、宣教師の人って結構優遇されてるのかね。
どこの施設へ行くにしても、話がスムーズに動いている気がするんだが。
俺とクローネとペトルの三人が馬車に乗ると、丁度満員になったらしい。
規定人数を乗せて、時間も丁度良いと判断されたためか、馬車はすぐに出発した。
「あらやだわ、おばあさんへのおみやげ買い忘れちゃった」
「なぁに気にするこたねえよ。市場で焼き菓子でも買って帰りゃ機嫌も取れるさ」
「でな、相手が駒をこっちにこう、動かしたおかげで、どうにか勝てたんだな」
「あんたああいうの好きだかんねえ」
宣教師さんと、無邪気な子供の同伴。その姿はかなり目立つかと思われたが、乗り合わせた客達も家族連れだったり夫婦だったりしたので、特に変な目で見られることもなかった。
会話の絶えない雰囲気も、東京の終始無言な電車に乗るよりは格段に心地良いのが、なんとも言えない悲しいところである。
まだ陽も登りきっていないし、午前9時にもなっていない頃合いだろうか。
到着予定の場所も随分とアバウトなところはあるが、目的地には目印が立ててあるとのことだったので、外から見える山や路肩の目印を窺い、降りるタイミングを判断しよう。
こういうところは、日本の電車と違ってアナウンスもないので、うかうかしていられない。
「ねえねえシロ、バインダー見せて」
「ん? ああ、良いぞ。……えっと、『バインダー・オープン』」
乗客のおしゃべりでそこそこ騒がしい馬車の中、俺はミス・リヴンから下賜されたカードバインダーを右手に出現させた。
赤い表紙の分厚いハードカバーは、一見多くのページが綴じられているようだが、開けるのは1ページのみ。
これより先は、コレクターレベルを引き上げていかなくてはならないのだ。
ペトルは現れたバインダーを両手でがっしりと掴み、細やかな金の装飾が施された表紙をじーっと眺めている。
「いいなー」
「いいなーって、お前な」
お前は神様だから駄目だろう。多分。
……いや、上位神からだったら、下っ端の神様でも貰えるのかな? わからん。
「ふふ。まぁ、子供は幼い頃は、大人の持つ様々な神器を欲しがるものです。私も小さな頃は、母の持つバインダーを見て憧れたものですよ」
クローネはペトルの様子を微笑ましそうに眺め、そう言った。
……うん? でもそれ、ちょっとおかしくないだろうか。
「欲しいなら、祭壇で祈れば良いんじゃないのか? 拝一信仰じゃなければ、誰でもとりあえず祈れるんだろう?」
「ああ……子供は、信仰に制限があるのです。満五歳を迎えるまでは、人族の子供はいかなる神を信仰することもできないという……」
「え、そうなのか。そういうものは、誰だって自由なもんだと思ってたけど……」
信仰の自由は、日本でも保障されていた。
本人に善悪の判断ができるかどうかについてはまた別問題に発展することもある、基本的に入るだけなら本人の意志に全てが委ねられている。
複数の神様を崇拝しても良いなら、そういう所も緩いんじゃないかと思ってたんだけどなぁ。
「人間の信仰は、神々にとっての貴重な霊力源です。もしも年齢制限が無くなってしまえば、神々はこぞって無知な子供を勧誘するでしょう。小さな子供に悪しき神の拝一信仰を勧めるような輩も、出てこないとも限りません」
「ああ……なるほど」
悪徳なカルト教団みたいなものもある、と考えれば良いんだろうか。
なるほど、こっちの場合は一度そういうものに“一生身を捧げます”なんて宣言した暁には、本当に取り返しがつかなくなってしまうもんな。
「悪しき神々……代表的なものでいえば、暗神ザイニオルなどがそうですね。上位神であるザイニオルは、同じ上位神で光を司る光輝神ライカールと対極に位置する存在です。ヤツシロさん、もしもザイニオルに信仰を捧げている人と出会ったなら、くれぐれも注意して下さいね」
「……よく闇の神が危ないっていうのはクローネも言っているけど、そんなに?」
「当然です。闇の神々ほど恐ろしいものは、この世に存在しませんよ」
クローネは目を鋭く細めて力説する。怖い。
「闇の神を信仰した者は、強い闇の力を手に入れます。それは様々な無法や犯罪に利用され、私達の生活を脅かしています。闇の神自体、信徒に対して暴力や犯罪を推奨しているので、決して我々とは相容れない存在なのですよ」
「まじか」
悪さを推奨してる神様って、まんま邪神じゃねーか。
色々なものを司ってる神様がいるんだろうなとは思っていたが、さすがにそこまでストレートな悪が存在するとは思ってなかった。
「闇の神の信徒であれば、まだ善悪の判別がつかない子供を勧誘することも考えられます。制限は、必要な措置だったのですよ」
「なるほどな……そういう連中がいるってんなら、確かに必要だな……でも、そのザイニオルって悪い神は上位神なんだろ? そんな神が、年齢制限なんてものに従ってくれるのか」
上位神は偉い神だ。そいつの中に悪い奴がいるというのなら、わざわざ神々のルールなんて守らないと思うんだけども。
「従わざるを得ないのですよ。上位神よりも更に高位の神々……この世界を生み出した、あらゆる全ての根源である、原神達には」
「原神……」
「原神は、霊界の遥か上……上位神でも認識できないような高みに存在し、世界の理として、下界を動かし続けています。我々人族をはじめとした生物が、それぞれ一定の無信仰の期間を与えられているのも、原神の力によるものです」
最高神って事か。つまり、この世界の神様の関係は……。
原神>上位神>下位神
ってなるわけだな。ははん、段々とわかってきた。
「この世界のありとあらゆる規則や法則を司っている原神の名は、啓戒神ヘスト。かの神によって示された戒めは、何者も覆すことは叶いません」
「啓戒神か……」
「まあ、ですがたまに、そういった世界のルールが存在するというだけで、実際は原神など存在しないのでは、などとのたまう不届き者も世の中にはいるのですけどね……度し難いことです」
神様でさえ覆すことのできないルールを、更に上の神様が定めている。
……俺にバインダーをくれた符神ミス・リヴンも上位神ではあるが、原神よりは下の神様だ。
この世界に無知である俺はもしかしたら、そういった偉い原神様方の気に障らないよう、心がけて生きるべきなのかもしれない。
「クロって、ヘストのこと知ってるの?」
「は?」
俺が神妙な顔をしていると、隣でバインダーを抱えたペトルが、きょとんとした顔でクローネを見つめていた。
「ヘストのこと知ってるなら、後で行き方教えて?」
「え、ヘスト……行き方? って、あ!」
その時、クローネが馬車の外を見て、ガタリと立ち上がった。
「印! ヤツシロさん、印が置いてありました!」
「えっ、本当か!? 意外と早いな! あっ、この山って、こんな低かったのか!?」
「おほ?」
書き写した地図と外の景色を見比べても、それは山らしいほどの山ではない。
森がちょっとテンション上がったくらいの丘陵地帯にしか見えない場所だ。
でも、印はここにあったという。思わぬ不意打ちである。クローネが偶然見ていなかったら、俺達は大変なことになっていただろう。
「す、すみません! ここで降りるので、一旦停めていただけますか!?」
俺達は全力で荷台を牽引している馬さんに声をかけて、馬車を停めてもらった。
少々慌ただしいが、ここからが険しい討伐任務の始まりである。




