ガイドの旗から目を背けるな
町に近づくにつれ、まばらに農家が見えるようになってきた。
家。つまりは延々と続く道ではなく、人の気配である。
馬車が進む地面も、よく通る場所になって固くなっているのか、揺れも静かになってきた。
こうしてぼーっと馬車に揺られているだけでも、初めての感動に満ちているのだから面白い。
「シロ、膝貸してー」
幌の隙間から景色を見るのに飽きたか、ペトルが俺に何かを要求してきた。
「膝?」
「寝るのよー」
ああ、膝枕ね。
一瞬、膝置いてけみたいな恐喝かと勘違いしたよ。
「ペトルさん、そろそろ到着ですよ。もう少しだけ我慢した方が、町でゆっくり眠れるかと」
「ほんと? もう着く?」
「ええ、あとちょっと」
クローネは聖書のようなものを読みながら、ペトルに微笑んだ。
彼女は眼力が強いが、笑うと結構可愛い。というより、美人と言った方が近いだろうか。
「じゃあ、起きてる!」
「まぁ、そうしておけ」
ペトルは眠い目を擦って、らんらんと即興の歌を唄っていたのだが、しばらくすると俺の方へもたれ掛かり、結局眠りこけてしまった。
馬車の揺れが、眠気を誘ったのだろう。
……俺はクローネの手前、さも年上の余裕であると、平然な態度を取っているが……。
実のところ、ペトルからいい匂いがして、ちょっと落ち着かない。
馬車よ、早く目的地についておくれ。
それからたっぷり三十分後、馬車はようやくメイルザムに到着した。
時刻はわからないが、おそらく午後四時か、その程度である。
メイルザムの外観は、白いレンガの建造物が密集する、いかにもファンタジーというか、ヨーロッパな感じの町並みだ。
まだ外側から眺めるだけなので、上手く表すことができないが、その景色は、古いというよりは素敵という誉め言葉が先に出てくるような、独特の風情があるように見える。
少なくとも日本にいる限りは、一生お目にかかることのできない景観であろう。
「さ、二人とも。ここがメイルザムです。ホルツザム中立国の南端に位置する、多少田舎ではありますが良い所ですよ」
クローネは馬車から降りると、白い防壁建造物を背にして、微笑んだ。
ここは彼女の住む町だ。数日ぶりに帰ってきて、安心しているのだろう。
「メイルザムか……最初の町、なんだかワクワクするな」
「ねえねえシロ、町って、バニモブ村よりも大きいの?」
「そりゃ大きいさ。村と町とじゃ、大違い……のはずだ」
これは俺の偏見だが、農村と町とでは、俺の世界のものと大きく意味が異なってくるはずだ。
農村は農村で、ただ作物を育てる場所として同じようにしか見えないだろうけども、町となり人の往来や営みがあるならば、きっとこの世界というものが、はっきりと見えてくるはずである。
バニモブ村では人の暮らしを見ている暇もなかったが、この町では少しくらい、この世界の文化に触れてみるのも良いかもしれない。
「とりあえず、教会へ向かいましょうか。今回の我々の活動を報告しなければなりませんし……ペクタルロトルについても、調べる必要がありますから」
……が、その前に、やるべきことがある。
さて、ひとまずは教会とやらに行ってみよう。
町の中は、異国じみていた。
金髪、白髪、茶髪、緑髪……とにかく色々な頭の人がいて、賑やかな配色だ。
そんな人々が荷物を背負い、杖をつき、剣を差し、あるいは、サンドウィッチのようなものを食べ歩き……レンガ造りの通りを、のろのろと行き交っている。
仏頂面で黙々と、せかせかとオフィス街を早歩きする東京とは大違いだ。
彼らは急いでいないし、誰かと大声で話しているし、歩きも邪魔になるほど遅い。
まったく関係のない、根拠もへったくれもない偏見なのだが……なんだか、インドみたいだなーと思った。当然俺はインドなんて国に行ったことはない。重ね重ね申し上げるが、これは完全な偏見である。
「ペトル、ちゃんと手繋いでろよ」
「ふはーい」
俺達二人はそんなスローライフな大通りを、宣教師さんたちの後に続くように歩いている。
宣教師さんたちの姿はそれだけで神の威光があるのだろうか、女性だけの集団にもかかわらず、人波は向こうから勝手に避けていくようで、人混みほどの歩きにくさは感じられない。
後ろにひっついて歩いていれば、なかなか快適に進むことができた。
「旅のお供にカクトナイフ、一本30カロンでキャップ付き! 買うなら今しかないよー!」
「一日使える大蝋燭、明るいリカル油で夜でも文字がはっきりと見えますよー!」
大声で呼びこむ商人らしき人の声も気になる……すごく気になるが……ここではぐれたら、大変だ。
そちらはまた後で、いつか見ることにしよう。
教会の前まで来ると、通りは広く、人もごった返すというほどではなくなった。
先ほどの道は市場に面していたので、あれだけの混雑があったのだろう。
ここは程よく人もいるし、丁度良い。
「ここがメイルザムで一番大きな教会、メイルザム大教会です。奥の神殿には二十種類以上の祭壇があり、日々多くの人々が訪れ、様々な神に祈りを捧げています」
教会は大きく、辺りの家屋と同じ白レンガ造りであったが、他のものが二階建てだとすると、こちらは四階建てほどのサイズがあった。
これといって細かな彫刻やギラギラしたステンドグラスに飾られているわけではないが、とにかく壮大で、立派である。
「さあ、中へどうぞ。教会は光の下にいる貴方を拒みません」
俺とペトルは若干雰囲気に気圧されながら、恐る恐る中へと入っていった。
「わーお……」
「おほー……」
中も中で、すごい。
四階建てだと思って入ってみた内部は、四階分の高さを持った聖堂だったのである。
真っ白に塗られた壁は床から上まで続き、アーチ状に反った先は、多くの天窓で飾られている。
きっと昼間には、真上から煌々と明かりが降り注ぐのだろう。
今は時間も中途半端なので採光もさほどではないが、それでも内部は壁に沢山備えられた不思議なランタンによって、かなり明るく照らされている。
これなら多分、夜でも問題なく読書ができそうだ。
「ひとまずお祈り……は、ごめんなさい、できないんでしたね」
「ああ、ごめん。普通はそういう習慣があるんだな」
「すみません、まさに、そうなのです」
クローネは気まずさを紛らわすように、下手な咳払いをした。
「……ここには多くの祭壇がありますが、真幸神ペクタルロトルの祭壇は、見たことがありませんね。一応後ほど資料も漁ってはみますけど、期待はしないでください」
「ペクタルロトルについての記述は、多分無い?」
「はい。自慢というわけではありませんが、私はかなり読み込んでいます……それでも全く聞き覚えがないというのは、もしかしたら、そういう事も……ん」
聖堂の奥で、宣教師のおばちゃんたちが小さく手を振っていた。
どうやらクローネを呼んでいるらしい。
「すみません、少々報告のために、席を外させていただきます」
「ああ、お疲れ様。……宣教師っていうのも、大変なんだな。遠くに行ったり、報告に行ったりで」
「ええ、まぁ……けど、やりがいはありますからね」
クローネはその時だけはどこか自慢気に笑い、ヴェールを翻して小走りに去っていった。
「ねえクロ、とっても親切な人間さんね」
「ああ……そうだな。ああいうのを、聖女って言うのかな」
優しく、親切、そして見返りを求めない。
絵に描いたような聖女である。
「……ところでペトル、そのクロっていうのは、お前がつけた名前か?」
「うん! 駄目?」
「……まぁ、良いけどな」
シロとクロ。なんだかますます、ペットみたいである。
俺とクローネは、別に二人でワンセットってわけでもないんだがなー。




