出るとこ出ないと大変なことになる
「小さな町に住む男、バルディナスは、剣の神ガシュカダルに全ての信仰を捧げる剣士でした」
筒状の竹のような木材の水筒からこまめに水分を補給しつつ、クローネは語る。
「剣にのみこの身を捧げ、町を守る……それがバルディナスの望みでした。彼はその覚悟に応じた輝かしい活躍により、町の人々から大いに尊敬されます」
「ふむ」
俺はフレークス・ビスケットを齧りながら、彼女の隣で静かな相槌を打つ。
「バルディナスは大人になり、美しい花嫁も得て、彼の人生は何もかも、全てが順調でした」
「おほおほ」
俺の隣では、ペトルもビスケットを齧っている。というか、頬張っている。
「しかし、そんな時でした。バルディナスに突然、不幸が訪れたのです」
「おほ?」
「まぁ、言っちゃなんだが、そろそろ何か起こるタイミングだよな」
このままめでたしめでたしされたのでは、ビスケットも喉を通らなくなるというものだ。
「バルディナスの妻が、彼の武具を整備している最中に、誤って腕を切り落としてしまったのです」
「えええええ!?」
「ああ、この時に絵本の挿絵では、壁に立てかけてあった斧が倒れてるんですよ」
「あ、なんだ、そういうことか、びっくりした」
いきなりお嫁さんの腕が取れて何が起こったのかと思った。
絵本の暗唱。すごいけれど、やっぱり絵も大事である。
「……バルディナスの妻は大怪我によって倒れ、さらに大病を患い、余命幾ばくもない身となってしまいます。バルディナスは、妻の病を治すための薬を得ようと仕事に励みますが、霊薬エリクサは非常に高価で、彼が働いただけでは、とても手に入るものではありませんでした」
「あう、かわいそう……」
確かに、災難だ。
現代なら、腕が切れても、そこから病原菌が侵入しても、素早い処置と抗生物質でどうにか生きていけるだろうけども。
「バルディナスは教会に駆け込み、聖者達に救いを求めますが、彼の妻を治せる者は誰もいません。癒しの神に祈ろうにも、彼の信仰する神は剣の神ガシュカダルだけであり、生涯それを違えることは叶いません。バルディナスは失意のあまり、その場に泣き崩れてしまいます」
「……やばいな」
拝一信仰はたったひとつの神を信仰し、生涯変えることが許されない。
そうすると、自分の大切な人の命が懸かったいざという時、神頼みができないのだ。
形だけでも縋れないというのは、実に苦しいことである。
「そんな時、神殿長がやってきて、彼の前に立ち、こう言いました。“私達に奥方を救う力は無いが、慈聖神には、あるはずだ。もしも貴方が何も恐れないのであれば、慈聖神に乞い願うが良いだろう”」
「……祈るではなく、乞い願う、か」
「はい」
祈りは、信仰故の行為である。
対する願いは、それとはちょっと違う。とりあえず自分の要求を先に突きつける、なかなかに身勝手な行いだ。
……地球にいた頃は幾度と無く五円玉をぶつけ、神様仏様と願い事を繰り返した俺ではあるが……実在する神様にそんなことをしても、大丈夫なのだろうか?
「バルディナスは神殿長の言葉に強く頷くと、慈聖神の祭壇に縋って、強く叫びました。“神よ、私は妻を治す霊薬を求めている。私は神に、あらゆるものを差し出そう。その代わりに、どうか妻の病を治してはもらえないだろうか”」
「……それで?」
「神は神聖なる声で答えました。“ならば、私の差し出す三つの試練を乗り越えよ”と……」
「三つの試練……」
神が人に与える試練、そんなもの、全く想像もできないぞ。
「……で、それで? バルディナスは? 試練っていうのは何なんだ?」
「バルディナスのお嫁さん、どうなったの?」
俺とペトルはクローネに詰め寄り、続きを促す。
気づけばすっかり、物語に入り込んでいた。他人事の気がしないのだから、仕方ない。
「……バルディナスは……厳しい三つの試練を見事に乗り越え、慈聖神から霊薬イリクサを授かり、めでたく妻の病と怪我は治ったのでした。おわり」
「え、おわり!?」
「おほー、良かったぁー」
映画館で見てる最中に一時間くらいフィルムが飛んだレベルで驚愕する俺と、手を叩いて喜ぶペトル。
物語に抱いた感想は、それぞれ違ったようだ。
いや、でもだって、おかしくない。
いやいや、ラストは良いんだ、うん。きっと薬は手に入るだろうなっていう流れだったからさ。
ただ、その試練を全部飛ばすのって、どうなのよ。
「仕方ないでしょう。このお話は有名なもので、それだけに沢山の解釈や、亜種が存在するのですから。聞いたことありませんか? 試練の剣士バルディナス」
初耳です。俺とペトルは一緒になって首を左右に振った。
今のは、こっちでいうところの竹取物語みたいなものなのだろうか。
「前半部分はどれも共通で、神から与えられた試練については、諸説あります。霊薬の材料を探すために旅に出るとか、闇の剣士らを三人打ち倒すだとか……過激なものだと、慈聖神が剣士の身体の一部を要求するだとか、ありえないものもありますね。嘆かわしいことです」
クローネは目を鋭くさせて、今にも背信者を呪い出しそうな顔でそう言った。
邪道的解釈について本気で怒っているあたり、彼女は真剣に神様と向き合っているのだろう。
「ねえねえ、クロ。ビスケット、もう無い?」
「クロって……ああ、もう無いですね。全部食べてしまったのですか」
「そんなー」
「食ったのはほとんどお前だろが」
「ひーん」
「……ったく、神様でも食欲はあるんだなぁ」
馬車は夕暮れちょっと前に宿場町へと到着し、今は宿前の長椅子で横並びに座り、クローネのありがたいお話を聞きながら軽い食事を摂っている。
もちろん、ビスケットのみなどという、質素すぎて餓死しそうな食事ではない。これは食後のデザートで、既に固い黒パンのような主食を胃袋に格納済みだ。
この黒パンの、様々な穀物が混ぜられた生地はなんとも言えないカオスな色で、はっきり言って見てくれと味は、よろしくない。
だが生き抜くだけの栄養素は豊富らしく、こういったパンは、わりと普通に流通しているのだとか。
パン生活になるだけでもちょっと不安な気持ちになるのに、このパンをメインに食べていくなんて……という思いも正直あったが、今は生きているだけで幸せな状況だ。
贅沢は敵である。神様も近くにいることだし、わがままを考えるのはやめておくことにした。
「……ヤツシロさん」
「ん?」
「先程は諸説あると言いましたが……神は、人の願いに試練を与える。それは、おそらく本当のことだと、私は思います」
クローネは夕空を見上げながら、言う。
「世界には神にまつわる様々な物語が存在し、中には神に願う人の姿も多く描かれています。神に対して対等な取引を持ちかける姿は異質ではありますが……その多くは実在した人物で……史実なのです」
「……神に願うことは、よくある事だ、と?」
「とは、言いません。が、決して物語の中だけのことではないということです」
「……俺にも何か、試練が与えられるんだろうかね」
「……それは、符神ミス・リヴンの気の向くまま、ですね」
結局のところ、神様頼りになるわけだ。
俺は苦笑いし、逆にクローネは柔和に微笑んだ。
「きっと大丈夫ですよ。ミス・リヴンが恐ろしい神であるという話は、聞いたことがありません。きっと、ヤツシロさんの願いを聞き届けてくださるでしょう」
「だと、いいんだけどなー」
カードバインダー。
これがなければ、俺が手に入れたカードを持ち歩くことができない。
今は俺のカードをクローネのバインダーに預けてあるが、常にそうしておくわけにもいかないだろう。
カードは、俺がこの世界で生きていく中で、生命線になり得る道具である。
なんとしても、そのミス・リヴン様とやらから、バインダーをもらわなくてはならない。
でないと、化け物イノシシや巨大蜂が跋扈するこの世界で、一月も生き延びる自信がない。
「外も、暗くなってきましたね。闇の神々に目をつけられる前に、そろそろ宿へ入りましょうか」
「そうだな。おい、入るぞ、ペトル」
「はーい」
そんな風に、宿場町での夜は更けていった。
明日は、メイルザムに到着だ。




