蜂は二度刺す
蜂の群れは動きこそ遅いが、着実にバニモブ村へと迫りつつある。長居はできない。
俺は手早く虫退治の準備を開始した。
老人からは引き止められたものの、村のためにと聞かない血気盛んな若者もおり、蜂の駆除隊は俺を合わせて七名ほどになった。
減ったが、これだけ残った。本当は一人ででもやろうと考えていただけに、心強い限りである。
「しっかし物好きな奴だなオメエ」
「んむんむ、自分の村でもないのによ」
一人部外者が参戦表明をしたところで、村人の大多数からは特に賞賛もされず、困惑に満ちた眼差しを一身に受けるだけの俺だったが、これから一緒に戦うであろう義勇軍の彼らからは、ちょっとした歓迎の気持ちを感じ取れた。
「まぁ、村の人から色々と、食べ物も恵んでもらったからさ。その御礼だよ」
俺は村人から借り受けた長い木製の物干し竿の先に錆びついた鋤をロープで固定しながら、そんなことを嘯いた。
彼らは俺の答えに、これといって大げさな感動もせず、“おう”などと曖昧に答えて、自身の身支度に意識を切り替えてゆく。
まぁ、他人が一人手伝うといったところで、そこで“凄い!”と褒めてはもらえないのが普通である。
いつの世だって、報酬は後払い。結果を出した者にこそ、賞賛は与えられるのだ。
「シロ、私も一緒についていくわね!」
「お前は来るな」
「そんなー」
俺は結び目を固く絞り、ペトルを軽くあしらった。
「当たり前だ。これから行くのは、蜂の群れだぞ。お前みたいなちみっこいガキがいたからって、どうなるもんでもないだろうが」
「わ、私ちみっこくないよ、神様だもん……」
「はいはい、それは解ってるから」
神様。それ自体は俺も信じている。
だが現実問題、このペトルが一緒に来たところで、助力になるとは到底思えない。
彼女が何かしらのご利益を持っているだとか、何者も寄せ付けない神様バリアーを持っているのなら話は別だが、今のままでは子供同然だ。
正直、ペトルを守りながら戦うのは、俺には無理である。
一人で立ち向かうってだけでも、正直かなり恐ろしいのにな。
「……ヤツシロさん。どうして行かれるのです?」
物干し竿と鋤を合体させた最強武器、“ロングフォーク”の最終調整を終えた丁度その時、背後から声が聞こえた。
振り向くと、そこにはクローネが心配そうな面持ちで立っている。
「シャンメロは、頑丈な屋内にいればほとんど危険はありません。少し待てばいいだけです。作物は仕方ありませんが……」
「それをなんとかするために、俺はこうしているんだよ」
「……何故……」
理由は色々ある。
彼らを助けて、お礼に寝床や食物をいただきたい。
ペトルからも頼られたので、その願いを叶えてやりたい。
ビスケットやキュウリを貰った手前、見過ごせない。
俺の不幸が伝染ったのだとしたら、自分でケリをつけたい。
「決まってる。困ってる人を見過ごせないからさ」
俺は数ある理由の中でも、一番格好いい理由だけを簡潔に言い切った。
「ヤツシロさん……」
クローネにはちょっと響いたようだけど、駄目だ。
自分で言っといておきながら何だけど、こんな武器じゃしっくりこねえや。
「……じゃあ、行ってくる」
まぁ、戦い前のイベントはこれくらいで十分だろう。
後は、蜂を退治した後のお楽しみだ。奴らのスピードはさほど無いが、こっちに迫っているのであれば、さっさとかち合って、後退しながら一匹ずつ始末していきたい。
「ヤツシロさん! ほ、本当にシャンメロは恐ろしいんですよ! 留まるべきかと……!」
「大丈夫、駄目だと思ったらすぐに戻るよ」
右手にロングフォークを持ち、左手に松明を握り、俺はおんぼろの木椅子から立ち上がった。
服装はジャージ。布の服よりも防御力は低いだろうが、機動力だけならきっと、この世界でも随一のはずだ。
「じゃあ、ごめん。クローネ、ペトルをよろしく頼むよ」
「……はい」
「ヤツシロ、私も……」
「ちゃんと待ってろよ」
俺はさっさと会話を遮り、村の義勇軍が進んでいった方向へ、急ぎ足で向かっていった。
バニモブから出ると、そこは一面広大な畑である。
剣を携えた若者たちの話を聞くと、どうやらシャンメロこと巨大蜂の群れは、畑の更に向こう側の林からやってくるらしい。
森林地帯を縦断し、南東からゆっくりと、群れで移動を続けているのだとか。
森林地帯は足場も悪いし、視界も最悪だ。
周囲を羽音に囲まれたら、背後からブスリとやられる危険は高い。
なので出来ることなら拓けた場所で戦いたいのだが、林も茂っているし、視界の悪さではにたようなもの。
奴らと戦うのであれば、最寄りの畑の主には申し訳なく思うが……畑自体を利用する他に道はないだろう。
良好な視界と比較的安定した足場を活用し、リーチの長い鋤で安全に突き刺し、一体ずつ処理してゆくのだ。
時には松明に火を灯し、牽制するのも良いかもしれない。
「おうわっ!?」
なんてことを考えながら小走りしていると、突如足元に肥溜めが現れた。
咄嗟の反射神経でどうにか踏ん張り、ドボンを回避。
「あっぶねぇ……」
忘れた頃にやってくる不幸である。
生き死にには関わらないものだったが、このスニーカーは一足限りの快適な履物だ。
肥溜めに突っ込んでいたら、泣くに泣けない状態になっていた事だろう。
今更気づいたが、なかなか凄い異臭を放っている。
「……幸先悪いな」
村に来てからは、目立って悪いこともなかったんだけどな。
まぁ、不幸なんてものは日常茶飯事である。どうせこれから行われる戦いでは、更に悲惨な目に遭うかもしれないのだ。
いつも通り、最悪を覚悟をしながらやっていこう。
「うっしゃあ! どっからでもかかってこい!」
最南端の畑に到着。そこには既に剣を握る若者たちの姿があり、それぞれ雄叫びを上げていたり、剣を素振りしていたりと、闘志に燃えていた。
俺は彼らの様子を眺めて大丈夫だろうかと心配に思いながらも、淡々と準備を進めてゆく。
まず、松明の柄を畑の地面に埋めて、固定する。火は村から貰ってきたので、まだまだ持つだろう。
そして固定された炎に向けて、竿で延長した鋤の刃先を炙る。
松明の炎だ。火力はさほど無いにしても、赤くなる程度までは可能だろう。
例えは現代的になるが、よく危険な昆虫として知られているスズメバチは、高温に弱いと言われている。
ミツバチの一種からは押しくらまんじゅうのような攻撃を受け、高温状態で蒸し殺されることもあるほどだ。そんなミツバチでさえ、摂氏100℃の熱湯までは耐え切れない。
蜂でなくとも、虫は熱には弱い。かの頑丈な黒光りするアレだって、熱湯の前では一撃で無力化してしまう。
だから今回、俺の用意した炎は無駄にはならないだろう。
そんな確信がある。
「……よし」
この真っ赤に熱せられた鋤で突かれれば、傷自体は浅かろうとも、熱は内部に残るはず。
虫は脚をもいでも死にはしないが、熱が加わればそうはゆくまい。
俺はその場でじっくりと刃先を赤く炙り、村の若者たちの挑発的な雄叫びを聴きながら、じっと林を見つめ続けた。
林が、騒がしくなってきた。
向こう側から、風が吹いている。
葉はひらひらと舞い、土埃がうっすらと立ち込め、枝は揺れていた。
男たちの怒声が止む。威勢の良い声が途絶えると、異音はますます大きくなっていった。
耳障りな翅の音。木々の葉を揺する暴力的な風。
「で、出たぞーッ! シャンメロだーッ!」
そいつらは、木々の上からゆっくりと姿を現した。
木の葉などとは比較にならない巨躯。
黄色いペンキで塗りたくったような、王者を思わせるド派手な色合い。
そして、その身体を浮かせるほどの風を生み出す巨大な翅。
そんな連中が、群れを成して、林の上を抜けてやって来たのである。
彼らは畑に食料を見つけたか、それとも俺らを敵と認識したのか……高度を下げながら、たゆまぬ進軍を続けている。
その数、三十以上。
予想通り、虫にしては数自体はそれほどでもなかった。
だが……。
「く、来るぞ!? こっち来る……!」
「降りてくるぞー!?」
クローネさん……あなた、両腕一杯に広げてましたけど……あんなもんじゃないっすよ……。
あいつらの身体、確実に俺よりもデカくないっすかね……。
……まぁ、この程度の計算違いは許容範囲内だ。
要は、俺よりも向こうが遅ければいいのである。サイズは特に重要ではない。
「どう、どうする!?」
「やべえよ、多すぎるっ! あ、相手にできねえよお!」
しかし迫力満点な蜂の群れを見て、義勇軍は既に戦意喪失だ。
けど、気持ちはよくわかる。威勢の良いさっきまでの様子を見た上で、なお言える。彼らの気持ちは、俺にはわかる。
だって、あんな横並びになって、畑の土を風で巻き上げながら向かってくる巨大な群れを……たかが剣一本で、どうにかできるはずなどないのだから。
「やばいと思った奴はさっさと戻れ! 死んだら元も子も無いぞ!」
俺は刃先を煌々と赤熱させた長い鋤をシャンメロの大群へと構え、怯える若者たちには声を荒らげる。
「畑と命、どっちが大切かを考えろ!」
内心で“命です!”と宣言しながら、そう叫んだ。
「……だ、だめだぁ、あんなのじゃ太刀打ちできねえよ!」
「俺もッ!」
「逃げろ、早く逃げろー!」
「うわ、お前ら、腰抜けぇ!」
義勇軍6人のうち、戦う前から3人が脱落。
仕方のないことである。初期段階で既に戦力差が五倍以上なのだ。
そのうち一体だけでも倒せるかどうかわからないのに、わざわざ無謀な戦いに身を投じて虫のエサになろうって方がおかしい。
辛うじて踏み留まっている彼らも、ほとんど内心では白旗を揚げており、退かないのはそれが格好付かないからに過ぎないのだ。
戦う前から結果は見えている。
「……いくぞぉ!」
そう、俺以外はな!
「っセイッ!」
俺は逃げ惑う若者たちを振り返る事無く前進し、向かい来る蜂の一団の先頭に向けて、鋭いフォークの先を突き立てた。
巨体、そして無防備。奴らは避けようとする素振りもなければ、迎撃しようという動きもなかった。
無防備。それは、自身の強さや頑丈さに対する自信の現れか。
だが鉄製のフォークはキチン質の分厚い鎧をなんとか突き破り、奴らの一匹に深く突き刺さっている。
瞬間、そのシャンメロは甲高い声で叫び、翅を乱雑に動かし、浮力を失った。
俺は素早くフォークを抜き取って後退し、構えたまま様子を窺う。
「……よし!」
突き刺したシャンメロは脚や翅をばたつかせているが、起き上がる様子が見られない。
熱を宿したフォークの刺突が、相手に効いたのである。
「……って、おっとっと」
しかし、それがまずかった。
一匹を殺したことによって連中の標的が俺一人に絞られ、横並びになっていた蜂の群れが高度を変えつつ、一斉に襲いかかってくる。
「くそっ、 動きが遅いのが唯一の救いだけど……」
一旦、迎撃は中止だ。ギリギリの攻防ができるほど、俺に運は味方してくれない。
ひとまず、逃げながら体勢を立て直さないと……捕まったら、数十秒のうちに食い殺されちまう。