殺す覚悟は省いても良い
「ぐぁあ、目がぁ……!」
最終奥義、砂かけ。
やり方は簡単。地面の砂を掴んで相手の顔面に思い切りぶつけてやるだけだ。
意表さえ突ければ当てやすく、上手くいけば相手の視覚を完全に奪える上、強い痛みによって怯ませることも可能という、手が器用な人間にとっては野生生物が相手であってもかなり有用な攻撃である。
しかし使うには砂や土の多い場所である必要があるし、人間相手だと訴えられた時のダメージが大きい、ハイリスク・ハイリターンな技でもある。
が、こうして情け容赦なく殺しにかかってくる野郎が相手なら、何ら躊躇する必要はない。
むしろ潰す。目は潰す。相手が失明しようがなんだろうが知った事か。
「ふんっ!」
「な」
怯んだ隙に、男の右腕を捻り上げる。
本当は容赦なく玉に膝蹴りを叩き込んでやりたかったが、相手の鎧によっては効果がない。
「ぐぁ!? いで、いででで!」
だから関節技を使う。コレも鎧によっては限界がありそうだったが、相手の腕の可動域がかなり広そうだったので、難なく仕掛けることが出来た。
「刃物持ち相手にはコレが一番だな」
鎧男の右腕は背中側に大きく捩れ、痛みによって身体が低く蹲る。
同時に、手から離れた黒い曲剣は煙になって消滅した。どうやらこの黒い武器はいつでも出すことはできるが、少しでも手元を離れると消えてしまうようだ。
つまりは投げられないということである。良い事を知った。
「てめ、剣士のくせにっ……武術だとっ……!?」
「騙して悪いな。俺は無職なんだ」
ベストは、このまま俺が関節を決めたまま捕縛し、その隙に誰かが剣か何かで突き殺す流れだ。
しかし俺の味方は全員女の子だし、誰一人として戦闘用の刃物は握っていない。もっと言えば手にしているのは俺さえ巻き込みかねない武器ばかりである。
「ヤツシロさん、そのまま! 『ホーリー・ライト』!」
「ぬぉ、おおお……!?」
しかしクローネはこれを好機と、こちらへ走り寄って光のスキルを照射した。
強い輝きは鎧男を中心に辺りを照らす。この周囲にはこいつの仲間はいないようだ。
「ぁあああああッ! やめろぉおお!」
クローネの手が放つ白い輝きは、男が纏う『闇夜の鎧』をジワジワと焼くように削ってゆく。
濃紺の煙が鎧から吹き出し、霧散する。そして苦悶の叫びを上げる様は、どこか残酷な拷問にかけているように見えなくもない。
「よしナイス! 二人ともそこから動かないで!」
いや、しかしこれはこれで拷問に近いのかもしれない。
クローネが強烈な光スキルによって鎧を焼き続ける最中、コヤンまでもが杖を抱えて参戦してきた。
「くそっ、やめろ、やめろッ! てめえら殺されたいのかッ!」
「ここまで鎧が消耗してればいけるわ! 『レイ・ストライク』!」
「やめッ……!」
男は抵抗するが、もはや慈悲などない。
コヤンが男の胸に杖を向けてそのスキル名を唱えると、クローネの光とは違った閃光が迸り……鎧男の身体が一度だけ、ビクンと跳ねた。
その衝撃は男の後ろ手に拘束する俺にまで伝わってきた。
だからすぐにわかった。この男今、死んだのだと。
抵抗する力が根こそぎ消失した男を解放してやると、身体は何に抗うこともなく土の上に倒れた。
恰幅の良い身体を包む闇夜の鎧はそっくり霧散し、粗末で臭いボロ着の姿が現れる。それこそが、男の本当の姿だったのだろう。
顔は見えないし、脈も計ったわけではないが、土の上に流れるおびただしい量の血が、男の死を何よりも克明に表している。
「危なかったわね。ありがとうヤツシロ、正直助かったわ」
正直ちょっとグロい死体だったし、闇の信徒とはいえ一応は人間だから、誰かしら抵抗があるのでは……と思ったのだが、コヤンは心底助かったというような、朗らかな笑みを浮かべていた。
「おほー、やな感じ消えた」
後ろの方からのんびりと歩いてきたペトルも、男の死体には興味無さそうだ。
むしろ男が居なくなって、やや上機嫌ですらあるかもしれない。
……まぁこいつは女神様だし、コヤンは結構場数も踏んでそうだから、こういう人殺しにも抵抗はないのかもな。
だとすると心配なのはクローネだけだが……。
「闇の信徒がっ、そのまま、消えなさいっ、穢らわしいっ」
底の硬いブーツが、うつ伏せに倒れた男の後頭部を踏みつける。
何度も何度も、執拗に。
「クローネさん?」
「ヤツシロさん。ありがとうございました。まさかヤツシロさんに、あのような武の心得があったとは」
「あ、うん、まぁね……」
クローネが死体の頭を何度も蹴りつけながらお礼を言ってくる。
死体蹴りするシスター。
その絵面が怖すぎて、俺は頭に浮かんでいた返事が上手いように出てこなかった。
……まあ、クローネも闇の信徒相手なら全く問題ないということか。
戦うこと自体は腰が引けているところがあっても、闇の信徒を殺すのには抵抗はない、と。
なら良い。
こんな切羽詰まった場面で躊躇したり参られたりしたらたまったもんじゃないからな。
俺は地球にいた頃に色々あって大丈夫だけども。
「……さて」
俺たちを狙った一人は返り討ちにした。
近くに他の奴は潜んでいないだろう。このまま街道を逸れてどこかに落ち延びるなり、街道沿いに引き返していくなりと、最悪を考えた逃走手段は色々ある。
未だに悲鳴が聞こえているということは、前の方の隊商はまだ襲われているのだろう。そちらへ行けば襲われることになるので、俺としてはあまりそちらへ行きたくないのだが……。
「シロ、シロ。あっち、人間さんが苦しんでるわ……」
「……どうしましょう。どうすれば……」
行きたくない。逃げたい。のだが……。
クローネは強く葛藤しているし、ペトルは縋るような目で俺を見てくる。
わかってる。わかってるんだ。
考えてるから、裾引っ張らないでくれ。
「なあコヤン、この襲撃……どれくらいの人数いると思う?」
「……ごめん。私も正直、はっきりとは言えない」
コヤンは悲鳴の響く方を悔やむように眺め、額の汗を拭った。
「ただ、多いとは思う。日が落ちてこんなすぐに襲撃に遭うなんて出来過ぎてるもの。リブラ橋が落ちていたのが隊商を襲うためだったとするなら……何十人かいても可笑しくないわね」
何十人。うわ、帰りたい。
……けど、今から戻っても近くに村は無いんだよな。
目的地はあっちの、悲鳴が轟く方角だ。
もうじき着くくらいの距離だったはずだけども、待ち伏せがいないとも限らない。むしろ村のすぐ近くにまで待ち伏せがいると思ったほうが良いだろう。
魔獣が潜むようなところで、野営はしたくない。
そこでの生存率だってどんぐりの背比べみたいなもんだ。
だったら……。
「助けたいけれど、相手が多すぎるわ。かなり厳しいけれど、馬に四人乗せてもらって引き返した方が……」
「『バインダー・オープン』」
「……何してるの?」
俺は閉じていたバインダーを展開し、手元に呼び戻した。
赤い表紙の分厚い本。結局のところ、俺はこいつに頼る他に手はないようである。
「あの、ヤツシロ。さすがにこの状況はスキルカードじゃどうにもならないわよ。私の魔法だって、せいぜい『レイ・ストライク』と『守護霊のオーロラ』とあと何個かってところだし……」
コヤンは呆れるように肩を竦めるが、俺にはこの状況さえ乗りきれる存在に心当たりがあった。
「ヤツシロさん、まさか」
「ああ」
バインダーを開き、カードを確認する。
その中で燦然と煌めくレアリティ5の超レアカード。
■「コーリング・ガシュカダル」スキルカード
・レアリティ☆☆☆☆☆
・刀装神ガシュカダルが降臨する。多分、一緒に戦ってくれる。駄目でも怒らないでね。
あと本人の都合もあるから、来るのに時間がかかるかも。カードオリジナルスキル。
『コーリング・ガシュカダル』。
刀剣の神ガシュカダルを降臨させるという、まんま文字通り神頼みの切り札だ。
もし神様が全面的に俺に協力し加勢してくれるのなら、こんな状況だってなんとかなるだろう。戦の神ともなれば強いに決まってる。
ていうかこの人、イラスト見る限り腕6本あるし。めっちゃ強そうな剣6本持ってるし。人間相手に負ける絵面がこれっぽっちも想像できない。
「ちょっと、まさかって一体何……が……え……?」
俺が『コーリング・ガシュカダル』を取り出して見つめていると、それを覗き込んだコヤンの時が停止した。
気持ちは解かる。俺もこれが当たった時はしばらく呼吸が止まったからな。
「えっえっ、ちょっ、なにこれ、なんなのこれ……!」
「テキストには“駄目でも怒らないでね”とかふざけた文言が書いてあるが……
ダメ元で使ってみるしかないだろうな」
「はい。ヤツシロさん、私も今この時を置いて他に、使う場面はないかと」
コヤンは狼狽えていたが、俺とクローネはお互いに向き合って深く頷きあった。
つられてペトルも“うんうん”と頷いている。
「え、使うの? それ使っちゃうの……!?」
「ああ。さすがに手段があるのに見殺しにするってのは、目覚めが悪いからな」
俺はカードを掲げ、決心を固めた。
決めた。使う。『コーリング・ガシュカダル』。これを使うのは今しかない。
……まあ実を言うと、本当はドラゴンとかラスボスとかそんな奴ら相手に使いたかったんだけどな。
けど仕方あるめえよ。やっぱ状況が状況なんだからな。
「……『コーリング・ガシュカダル』、発動!」
俺がスキルカードの発動を宣言すると、手元の札は今までのそれらよりも格段に強い輝きを放ち、光の柱となって天へと駆け上った。
『……ほう?』




