夜の闇にこそ魔物はいる
「賊が出たぞ!」
馬の大声が響き、俺達の間に張り詰めていた緊張が一気に極限にまで達した。
賊。夜になった途端に賊。
当然、ただの山賊や強盗などとは思わない方がいい。
このタイミングで来るのだ。
見たことはないが、これは間違いなく……“闇の信徒”に違いない。
その確信を抱くとほとんど同時に、遠くから人の叫び声が聞こえてきた気がした。
「あんたたち、降りるよ!」
「は、はい!」
「わかってる!」
真剣なコヤンの掛け声と同時に、俺達は荷台から飛び出した。
外に盗賊がいるのであれば、薄い幌の中で籠城している意味など皆無。俺はコヤンが声をかけるよりも早く、ペトルの手を引いて地面に降り立った。
――暗い。
隙間から見えていたしわかってはいたことだが、街灯のない夜がこんなにも暗いとは。
辺り一面は闇に包まれ、ちょっと離れた場所にはもう何があるかもわからない状態だ。
「やな感じ……」
「離れるなよ」
悪寒は既に、最高尾のこっちにまで伝わって来ている。
何せ、隊商の先方から悲鳴が聞こえるのだから。
「な、何が起きているのでしょうか……」
「クローネ、スキルの準備はしておけよ」
「あ……は、はい」
現状確認も良いが、とにかく身の安全の確保が再優先だ。
遠くから聞こえてくる悲鳴は確かに無視できないものであるし、どう考えても緊急事態だ。しかし備えも無しには動くこともままならない。
最悪の状況を考えて、とにかく保身を図ることが先決だ。
そのためにまずやるべきことは……。
「なあ、馬の旦那」
「俺のことか、坊主」
俺はバインダーを片手で開き、乗っていた馬車を牽いていた馬に声をかけた。
「もし前のほうが大変なことになってるとして、進んだらほとんど間違いなく死ぬとしたら……あんたの一存で、ここからとんぼ返りすることはできるか?」
「できる。と言いたいところだが、馬車はもってけねえな。差し迫った時には、こいつを捨てて逃げることになるだろう。他の運び屋も同じことを考えるはずだ」
……なるほど。ああ、車輪だもんな。そう簡単に方向転換なんてできるはずもないか。
それに、こっちは最後尾だからまだ反転することも可能だけど、前を走っている馬車はそれも難しい。
元々あまり考えたくはなかったことだが、このまま俺たちだけでも馬車に乗って素早く離脱、ということはできないようだ。
……いや、そもそも後方が安全とも限らないか。
前の方でトラブル、賊が出たということは、向こうさんは前もって俺たちを待ち伏せしていたということだ。
だったら挟み撃ちをするために後方にも仲間を配置しているということだって十分にあり得るだろう。
路上の賊なら待ち伏せし、かつ集団で来る。
退路を断つのは当然のことだ。つまり……。
「参ったな。まさかマジでこいつを使うことになるかもしれないとは」
俺は左手にカードバインダーを持ったまま、腰に差したロングソードを布の鞘から引き抜いた。
刀身は銀色に煌めき、僅かな馬車に灯した僅かな灯りを受けて輝いている。
切れ味は良さそうだが、使い勝手がわからない。こいつを振ってどうなるかが全く想像できなくて、ちょっと怖くなる。
「みんな、急襲に備えて!」
「は、はいっ!」
コヤンの鋭い声で、クローネもようやく杖を構える。
モビーロッド。木製の杖の先についたいくつかの葉に魔法を封じ込めた、回数限定の魔法の杖だ。
中に封じられている魔法は、強力な風によって相手を吹き飛ばす『エアー・ボム』。
威力や殺傷力自体は大したことはないが、『レイ・ストライク』のように小さな弾を射出するような、命中精度を求められる類のものではない。これならばクローネでもどうにか上手く扱えるだろう。
「ああもう……なんだってこんなことに……!」
コヤンはというと、彼女もまたその手に杖を握っていた。
だがクローネが握るような素朴な杖ではなく、もっとしっかりした造りの、そこそこの装飾が施された杖である。
見てくれからして、それはきっと彼女が取り扱っているような“祭器”なのだろう。
こんな場面で手にするのだからそれなりに扱えるのだろうが、それでもコヤンの手は震えているように見えた。
「賊だーっ!」
「闇の信徒だ! 皆武器を……うわぁあっ!?」
やがて、前方から聞こえていた叫び声が徐々に聞き取れるようになってくる。距離が近づいているのだ。つまり、押されているということか。
悲鳴から聞き取れる言葉の中には、やはり“闇の信徒”があった。この闇に乗じた襲撃は、やはりそいつらが関わっていたようだ。
……橋が落ちていたのも連中の仕業だったのだろう。
わざわざでかい橋をぶっ壊し、俺たちの進路を限定させた上で……袋叩きにする。
単純だが対処の仕様がない、冴えた手口だと言える。褒めたいわけではないが、完璧にお手上げだ。
「おっと!? まさかこんな良い女がいるとは……ヘヘヘ」
「!」
頬を伝う冷や汗を鬱陶しく感じていると、道の後方から下卑た声がやってきた。
姿は夜闇の中にあって全く見えないが、声色を聞いただけで簡単にわかる。こいつはデブで、ゲスな野郎なのだと。
「……! あんたたちは下がってなさい!」
「ひっ……わ、私も宣教師として、闇の者には……!」
「足手まといになるでしょうが! あんたは後ろから光のスキルで援護して!」
「は、はい……!」
醜い男の笑い声は聞こえる。遠くはない。あくまで距離は近い方だ。方向もわかる。
しかし肝心の姿は全く見えてこない。まるで相手が夜の闇と一体になっているかのように、朧気な輪郭さえもつかめないのだ。
絶対に、すぐ近くにいるはずなのに。
……姿さえ見えてれば、かなり楽なんだが。




