ツいてない奴は二度墜ちる
俺は、運が悪い。
ツいていない。
鳥の爆撃、犬の地雷、野球の流れ弾……。
何かと色々なものにやられては、自らの生まれついた星を見上げ、心の中で咽び泣いたものである。
他の人とは一線を画すレベルで、何かと不幸なことを引き当てる体質を持っていたのだ。
それらはほとんど、ちょっと「嫌だなぁ」と思う程度で、まぁ俺の中では大したことはないのだが……。
友達に体験談を話してみると「お前マジで不幸だな」と言われるあたり、俺の不幸感覚は麻痺しているのかもしれない。
だが、不幸は俺にとって日常のようなもの。
俺がこの朝、不幸と遭遇する確率も、決して低い訳ではなかったのだ。
「いってきまーす」
おかんに別れを告げ、いざ外へ。
これから俺は、最寄りのコンビニへと向かう。
コンビニは徒歩2分、ダッシュ30秒の位置にある。
部屋着のまま行ける素晴らしいアクセスのコンビニだが、同じ徒歩2分の業務用スーパーが近くにあるので、よほどの横着をしない限り、こっちに用は無い。
じゃあ何故俺がこっち側に歩みを進めているのかというと、要するに俺は横着なのだった。
スーパーのレジは長いので、コンビニはその点楽である。
本日は快晴なり。
空には雲ひとつ無く、澄んだ青空が広がっている。
今日は降水確率もゼロパーセントなので、こうして出歩いても通り雨にやられる心配はなさそうだ。
が、日常の不幸は、何も通り雨だけではない。
俺たち人間の身近には、思いがけない不幸が待ち受けているものなのだ。
例えばこの横断歩道。
一見、点滅していない青信号は安全そのもので、両脇のガードレールはちょっとした事故から身を守ってくれそうに思える。
だが、それは大きな間違いだ。
「おっと」
とっさに一歩後ろに退く。
すると、10tトラックが俺の目の前を、ガードレールをふっ飛ばしながら横切っていった。
「あぶねー」
トラックはそのまま猛スピードで街路樹のイチョウに激突し、煙を吹きながら暴走を止めた。
ご覧の通りである。
不意の交通事故。これはもはや、定番中の定番と言って良い。
青信号だからといって油断してはいけない。事故はいつだって、ヒューマンエラーから起こるものなのだから。
ラッキーなことに、偶然近くを歩いていた人が通報していたので、俺はそのまま横断歩道を渡り、コンビニへの歩みを再開した。
交通事故なんて日常茶飯事だ。特に騒ぎ立てるほどのことではない。
さて、次は横断歩道もない、極普通の歩道である。
車道もちょっと遠くにあるし、街路樹はなかなか堅実に俺の盾となってくれるだろう。こんな場所では交通事故に遭う心配は、まず無いと言っても良い。
しかし安堵するのは早過ぎる。こんな一見して何の危険も潜んでいなさそうな道の中にも、思わぬ不幸は紛れ込んでいるのだ。
「危なーいッ!」
ふと、大声に呼びかけられて、空を見上げる。
そこには建設途中のビルと、降り注ぐ最中の鉄骨があった。
鉄骨の重さは数十トン。直撃すれば即死できる重量だ。
「ほっ」
俺はそれを、冷静な横飛びで回避する。
鉄骨は俺の居ない場所に落下してアスファルトをぶち砕き、数回だけ危険なバウンドをした後、やかましい音を立てながら静かになった。
「馬鹿野郎! 何してる!」
上の方で、年季の入った怒鳴り声が響いている。
作業者であろう何人かは灰色の幕から顔を出し、こちらに青い顔を向けていた。
建設途中の建物で鉄骨を歩道に落下させるなんて、とんでもない大事故だ。もしかしたら今日のニュースになるかもしれない。
が、おれにとってはこれもまた日々の営みのひとつ。通報もせず被害者面もせず、何事もなかったかのようにその場を立ち去ることにした。
「早く行こう」
なんといっても、俺の目的はコンビニなのだ。
こんなところで時間を取られている暇はない。
お次は最後の難関、車道が近くにない道である。
ここは両隣に住宅があり、高い建物もない。突如としてトラックが襲い来ることもなければ、鉄骨が降り注ぐこともない、至って普通の通り道だ。
こんな場所では何も起こらないと思うだろう。
だがそれは慢心だ。そう抜かす奴から戦場では消えていく。
コンビニまで残り数十メートルだからと言って油断してはいけない。こんな閑静な通りだからこそ、不幸は牙を剥くものなのだ。
「うわぁあああーッ! 恵介君、貴方を殺して私も死ぬーッ!」
ほら来た! 背後から女の子の叫び声!
振り向けばそこには、黒髪ロングの女がナイフを構えてこちらに突進している!
「ふんっ!」
「あっ!?」
振り向いた時には既に距離30cmにも満たなかったが、俺は冷静にナイフを持った手を捻り上げると、襲撃女に関節技を決めて、速攻で無力化した。
「痛っ……!」
ナイフは地面へこぼれ落ちた。これにてようやく一件落着である。
「あ、あれ……? 恵介君……?」
「蘭鉢 八代です」
「あ……」
ちなみに俺は恵介だなんて普通すぎる名前ではない。ヤツシロである。
黒髪の女は俺の顔を見て、なんとも言えない気の毒な表情に変わり、それまでの殺気はどこへやら、ものすごい勢いで俺に頭を下げ始めた。
「ご、ごめんなさい! 人違いでした!」
「いや、いいよ。よくあるよね」
どうやら彼女は、過去に恵介君とやらと何かがあったストーカー気質の女の子らしい。
俺の後ろ姿がその恵介君にそっくりだったのだろう。稀によくあるパターンである。
ストーカー女はもう一度頭を下げた後、包丁を回収して小走りで去っていった。
恵介君が何をしたのかはわからないが、あんな綺麗な子を追い詰めるような事だけはやめてあげてほしい。
あと俺と髪型が似ているなら、どうかすぐにでも変えて欲しい。もしくはさっさと彼女に刺されてほしい。
「はーあ、やっぱり今日もついてないなぁ」
と、まぁ、大体がこんな感じであろう。
俺の日常は、常に危険とスリルに満ちている。
特に古武術や剣道も嗜んではいないのだが、こうして不幸から逃れようと必死になるうちに、自然と感覚が鋭敏になり、体も俊敏さを獲得してしまった。
それが何に活かされているのかというと、これといって何にも活かされていないので、とにかくため息しか出ない話なのであるが。
「ま、いいや。メントス買おう」
こうして「メントスコーラやってみたいからメントス買ってこい」という姉ちゃんの指令を達成できるので、不幸から逃れる特技というのも、それほど悪いものではないだろう。
「うん、今日は調子良いな」
ちょっとヤンデレっぽいけど可愛い子を見れたし、通り雨にも遭ってないし。
今日の俺は、それほど不幸ではないようだ。
「ひょっとしたら、何か良い事が――」
そんな感じで何気無しに青空を見上げると――
「わ」
俺は、真っ青な空から落ちてきた“何か”と目が合って。
「えっ」
前触れもなくやってきたそれだけは、避けられなかった。
……うん。
まぁ、今日もいつも通りみたいっすね。
そんな風に自分を慰めて、俺は頭に強い衝撃と痛みを感じ……。
暗黒の中に、意識を手放したのであった。
「そんなー!」