序章
恋愛、コメディ、そしてホラー要素を含みます。
苦手な方はご注意ください。
「オリオン座の夜に」
プロローグ
茜の空が暮れていく。
歩みを止めたその一歩先には小さな雑草が見えている。
なんでもない、どこにでも生える力強い命は幾ら踏まれても時間をかけて必ず起き上がる。
そして、再び日の光を浴びる。
見つめる双眸は、それをよく知っていた。
強く生きる。明るく、前を向いて生きる。心に決めたその想いは確かなものだった。
だけれども強固なものは時に、不意な来訪者に思わぬ脆さを晒してしまう。
ダイヤモンドですらも欠ける角度があるように。
強く輝く瞳の持ち主は、短く地上に顔を出したその草に目線を落としたまま、その場所を動けなかった。
いつか、いつの日にか超えていけるのだろうか。
君が残した全てを、幾夜の涙を重ねたのならばいつか、全てを良い思い出だったと笑えるようになるのだろうか。
地面に落とした視線の先にある、緑の命は懸命に今を生きていると精一杯の葉を伸ばしていた。
わかってる。
そんなことは、わかっている。……だから。
あの日も、息をして、服を着て、会話をして、ご飯を食べて、今日までずっとそうやってきちんと生きてきた。
胸を張って、生きてきた。恥ずかしくないように。
世界中の誰に何を言われても、顔を上げて真っ直ぐに目を見て。
……あの日から、今日まで。
二人で過ごした時間も、描いた未来も全てが幻のように幸せだった。
交わした会話も笑い合ったことも、一緒にみた映画も全部。まるでさっきの出来事みたいに思えるのに。
赤く染め上げた上から闇夜と星々が少しずつ彩り始める不思議な色をぼんやり見ていた。
夜と昼が混じり合う、奇跡のような時間。
言ってくれたよね、笑った方が良いって。
小さくできるえくぼがいいよって。君はいつもそこにいて、見ていてくれた。
何気ないことのひとつひとつが、こんなにも愛しく思えるなんて知らなかった。
隣に居たときにどうして気づけなかったんだろう。
君を失って初めて大切なことをたくさん知ったわたしは、大ばかだ。
ごめんね、もっと君の話をちゃんと聞けばよかった。
理由もないのに、ずっと一緒にいるような気がしてた。
いつも傍にいたから、こんな風にいなくなると寂しいよ。
届かないとわかってても、君を呼ぶ声を止められない。
無意識のうちに握りしめるのは、胸元のペンダント。
たった一つ残った、君からの贈り物。
『あーちゃんは、笑ってるほうがいいよ』
そう言ってくれた、君の笑顔はすぐ傍にあるような気がしているのに。
君は、どこにもいない。
知ってる。
うん、自分でもそう思う。泣き顔は似合わない。
「ねえ、聞こえる?」
群青に僅かに混じるオレンジのあかり。空に向かって、伝えたかった。
届かない言葉、それでも君に。
「時々でいいから、会いに来て」
そして、たくさん笑わせて。
君なしじゃ、どうしても作り笑いになっちゃうみたい。
交わした大切な約束はちゃんと覚えているけれど、それでも。
一人で過ごす一日は長すぎて、くじけそうになる。
見上げた空には、もう沈んだ太陽の残り香だけが漂っている。
約束の日を待てるだろうか。
会いたい。君に。
今すぐにでも、会いたいよ。
第一章につづく