雨が降った日
とある国の辺鄙な森に一人の王子が住んでいました。
実はこの王子生まれつき体が弱く、生まれ持つ魔力がとても少ない人でした。
魔力の大きさが身分を左右するこの国で、この王子は大変異質な存在だったのです。
そのため森の中の屋敷にはメイドが二人とコックが一人、兵士が一人という仮にも王家とは思えない粗雑さでした。
しかし王子はさして気にしていません。
この国の方針は生まれたときから身にしみて分かっていましたし、魔力が少ない自分がそんな扱いを受けるのも仕方が無いと思っていたからです。
それにこの森には療養目的で来ましたが、自然溢れる環境で誰の目も気にせず過ごせるこの場所はとても気持ちが良かったのです。
あるバケツを引っ繰り返した様な雨が降る日のことです。
街で買い物をしていた王子は街の片隅でうずくまる濡れネズミの様な少年と出会いました。
「お前も一人なのかい?」
「……」
相手の少年は何も答えません。
ただじっと王子を見つめる青い瞳は、どこか王子の言葉を肯定しているようでした。
「奇遇だね。僕も一人なんだ」
「……」
「…君、僕の最初の友になる気はないかい?そうだ、僕の家に来なよ。温かい寝床ぐらい提供してやれる」
王子はにこりと微笑んで手を差し出します。
少年は少し驚いた様に手を見つめますが、やがてそろりと差し出された手に手を重ねました。
王子は更に笑みを濃くして少年の手を掴みました。
**
屋敷に着くと、王子はまず風呂に向かいました。
濡れたままではこの少年が風邪を引くと思ったからです。
メイドに湯浴みの用意をさせ、少年に入るよう促しました。
「風呂の入り方は知ってる?知らないなら一緒に入ってもいいよ」
「……」
少年はゆっくりと首を縦に振りました。
どうやら風呂の入り方は知っているようです。
「それじゃ、体を綺麗にしてお湯に浸かって温まっててきなよ。風呂から出たらお茶を飲もう」
またゆっくりと首を縦に振ると、少年はくるりと向きを変えて浴室に消えていきました。
王子はそんな後ろ姿を眺めながら、また微笑みます。
初めて自分と同じ境遇の人間と会えた喜びもありますが、王子は少年の深い海のような瞳がとても気に入ったのです。
嘘偽りない純粋な瞳。
自分を卑下せず、ただ淡々と見つめ返してくる瞳。
それが王子には新鮮で、心地良く感じたのです。
メイドにちょっと経ったらお茶の用意を持ってくるよう頼むと、わりかし早く少年が出てきました。
「おや、随分早いじゃないか。ちゃんと暖まったのかい?」
「……」
「それとも水が苦手なのか。まあどちらにせよ髪が濡れたままでは風邪を引くから暖炉の傍に来るといい。こちらにおいで」
暖炉の傍で手招きすると、少年はゆっくりと近づいてきました。
この少年は基本動作がゆっくりしています。
暖炉の傍のソファに腰掛けさせると、王子はタオルで優しく少年の髪を拭いてあげます。
「へえ、君の髪は毛先のほうだけ茶色なんだね。面白いなあ」
「……」
「それにしても…君は細いね」
少年の肩より短い髪の毛が毛先だけ茶色なのも気になりますが、王子にとってはそれ以上に少年の細さに目が行きました。
少年が着ている服は王子のお古なのですが、サイズが大きすぎるのか少年の細さを際立たせています。
見た目的に少年は十一、二歳ぐらいに見えますが、それにしてもあまりに細い。
王子は十八歳にしては低い背丈でしたが、少年は王子と頭二つ分ほど差があるのです。
少年は全体的に小さく儚い雰囲気を持っていました。
「…今度君の服を買いに行こうか。それと栄養のある食べ物をしっかり食べないとね」
「…?」
少年が不思議そうに王子を仰ぎ見ます。
そんな少年に王子は弟が出来たらこんな気分だろうか、と思いながら微笑みます。
そして乾いてきた髪の毛をわしゃわしゃと撫でてやりました。
今度は少年の瞳がびっくりしたように丸くなります。
「君は私の最初の友だ。いや、弟かな?まあどちらにしろ、僕にとって君は大切な存在になったんだよ」
「……」
「そんな君の為ならこれぐらいして当たり前だろう?」
嬉しそうに、楽しそうに、王子は首を傾げながら言います。
そして今思いついたとばかりに、少年を正面に向けました。
「そうだ、君の名を聞きたいんだが、君に名はある?」
少年は伏せ目がちに首を左右に振ります。
それを見て王子はしばし考えた後、良いことを思いついたように笑みを浮かべ少年を見ました。
紫色の神秘的な瞳がきらきらと輝いています。
「そうだな、君の名前はレインにしよう。雨の日に出会ったからレイン。どうだい?」
「……」
少年はまた驚いたように目を見開きましたが、名前は気に入ったようでこくんと頷きました。
それを見た王子が嬉しそうに微笑み、少年の両手をぎゅっと握ります。
王子の白銀の髪がさらりと肩から流れました。
「僕はハルフェル。これから友達としてよろしく、レイン」
微笑むハルフェルにつられたのか、それとも純粋に名前を貰ったことが嬉しかったのか。
その日初めて少年は微かに笑みを浮かべたのでした。
**
王子が拾ってきた少年、もといレインはそれからハルフェルの屋敷で暮らし始めました。
ハルフェルはレインをとても気に入り、隙さえあればすぐ膝の上に乗せて色々な話をして聞かせます。
最初は驚いて逃げようとしたレインですが、最近は諦めを覚えたのか、大人しく膝の上に留まるようになりました。
メイドも兵士もコックも、最初驚きはしたものの何も言うことはありません。
どうせこの王子のことだから、と特に興味がないことなのでしょう。
「最近体の調子がとてもいいんだ」
「……」
「体の調子が良くなったのはレインが屋敷に来てからだよ。それまで連日で街に行くなんて出来なかったからね」
ふと、ハルフェルが口にするそれは実際事実でした。
確かにレインが来て以来、ハルフェルの体は今までの弱さが嘘だった様に強く、たくましくなりました。
身長も伸び、今では十八歳の平均以上に身長があります。
元々整っていた容姿だったハルフェルはそれはそれは美しい美青年になっていたのです。
そしてハルフェルの膝の上で本を読むレインもまた、美しい少年へと変わっていました。
傷んだ毛先を綺麗に切った髪は墨を引っ繰り返したような黒。
肌は白くなめらかで、深海のような青い瞳を際立たせていました。
目は大きく、中性的な美しさを持った少年です。
手足は相変わらず華奢なままでしたが。
そんなところもまた、レインの美しさを際立たせます。
二人が街を歩けば女性も男性も、老若男女問わず振り返るのです。
さらに驚くことに、ハルフェルのもつ魔力が大きくなり始めていました。
元からハルフェルの魔力の器はそれなりに大きかったようですが、そこに入っているはずの魔力があまりに少なすぎたのです。
それ故、体の細胞の働きも悪く、体が弱かったのです。
生まれつき魔力の量は決まっていますが、稀に成長して魔力が大きくなる人間もいます。
その大きくなる量が、ハルフェルは桁違いだったのです。
今では国の一、二位を争うほどの魔法の使い手となりました。
こうなると、自分の父親である国王も黙ってはいられません。
ハルフェルを何とか城に連れ戻そうと、今までの対応とは打って変わって、”王子”としてハルフェルを扱い出しました。
今までずっと自分に無関心だった両親が今更手のひらを返したように接してくることに戸惑いを覚えましたが、同時に少し嬉しかったのです。
自分が認められた気がして、自らが自立したような気がして。
城に戻ってもよかったのですが、ハルフェルはこの森の屋敷を気に入っているので中々城に戻ろうとしません。
「レイン、君はずっと僕の傍にいてくれるかい?」
そして、自分が城に戻る時レインも一緒に来て欲しくてそう何度か問いかけた事がありますが、レインはいつも少し間を空けて少し悲しげハルフェルを見つめながら頷くので、自分が城に行ったらもうレインとは一緒にいられなくなる気がして、中々決断が下せないのでした。
そんなある日、ハルフェルの元に一通の手紙が届きました。
自分の父である国王からの手紙です。
その手紙の内容を読んで、ハルフェルは自分の心の中で、何かが崩れる音を聞きました。
**
皆が寝静まる深夜。
一つの部屋に二つの人影。
お互いは向き合ったまま微動だにしません。
最初に動きを見せたのは、一枚の紙を握りしめた青年、ハルフェルでした。
「…君は、魔鳥の存在を信じるか?」
その一言で、もう一つの人影、レインは全てを悟ったようでした。
苦しげに顔をゆがめるハルフェルの前で、レインはただ一つこくりと頷きました。
「魔鳥の持つ魔力は、傍にいる者の魔力と同じ色の魔力を作り出し、与える力があると言われている。そんな鳥が生息した記録はないが、それに似た力を持つ人間がいるという」
「……」
「君は魔鳥の特徴を知っているか?…知っているのだろうな」
「……」
「魔鳥の特徴は美しい黒羽に、深海のような青い瞳」
ハルフェルの声が微かに震えた様に聞こえます。
キッとレインを睨み付けました。
レインは微動だにせず、ただその視線を受け止めました。
「君は…魔鳥の者なのか…!」
月明かりに白銀の髪が美しく輝きます。
何故、ハルフェルがここまで怒りを露わにするのか、レインは知っていました。
彼は許せないのでしょう。
初めての友が隠し事をしていたことが。
同じ必要とされない人間だと思っていた者がそうではなかったことが。
両親に認めてもらえた力は自分のものではなかったことが。
レイン自身がハルフェルに、お前は無力だと、一人では何も出来ないのだと、言ったようなものだったのですから。
「…先日、隣国の城で保護下にあった黒髪青目の人間が逃げ出したそうだ。隣国は必死でそれを探している。そしてその追っている者が伝説の魔鳥の人間だと知ると、僕の父親も必死にその存在を探し出した。あわよくば自分のものにと思っているんだろう」
ハルフェルは自嘲的な笑みを浮かべます。
今までに見たことがないくらい、悲しくて、苦しくて、悔しくて、憎しみの籠もった笑みでした。
その全ての感情が目の前にいるレインに向けられます。
「…僕と同じ人間だって?とんだ笑い話だ。君は国中、いや世界中の人間が必要とする人間。一人じゃ何もできない僕が、弱くて脆い僕がさぞ滑稽だったろう?」
「……」
「何だ、結局、僕はひとりじゃないか」
その一言で、今まで無表情だったレインの顔が歪みます。
何か痛みに耐えるように、苦しみを受け止めるように。
何か言おうと、口を開けますが、その口は何も言わず閉じられます。
ハルフェルはそんなレインを見て、また乾いた笑いを溢しました。
「今度は同情か?やめてくれ。これ以上僕を惨めにしないでくれ…。もう、君とはいられないな、出て行ってくれないか」
その目はもうレインを写していません。
悲しくて、泣きたいのに、レインは涙が出てきません。
涙の流し方など、遠の昔に忘れたのです。
レインに再び笑顔を、感情を戻してくれたのは紛れもないハルフェルなのです。
そんなハルフェルに拒絶され、レインはこの世が終わる時と等しいぐらいの絶望を感じました。
そしてレインは意を決して、口を開きます。
「…私は、」
「!」
ハルフェルはおもわず自分の耳を疑いました。
鈴を転がすような、少女の声。
それは紛れもなく、目の前の、レインの声だったのです。
喋れないと思い込んでいたレインの、声でした。
「私は、貴方を愛しています、ハルフェル」
レインの頬を、一筋の涙が伝いました。
その瞬間、大きな風と共に黒いローブ姿の人が四人、その部屋に現れました。
ローブのボタンに刻まれているのは、隣国の紋章でした。
皆フードを深く被り、表情は見えません。
「やっとみつけたぞ」
「言の葉封じの呪か」
「探しても見つからないはずだ」
「まあいい、見つかったのなら連れ戻す」
四人が隠す様にレインを囲みます。
レインは最後にハルフェルを見て微笑みました。
涙を流しながら、それでも優しく。
「ありがとう、さようなら」
そう、言い残して。
**
それから、幾ばくの時が経ったでしょう。
ハルフェルは城に戻り、政治について熱心に勉強しました。
その途中で、言の葉の呪について知りました。
言の葉の呪とは、自らが言葉を発さない限りは己にかけたどんな魔法も決して見破れないというものだったのです。
あのとき、レインがかけていたのは自らの魔力を探知出来なくさせる魔法でしょう。
しかしあのとき、あの場所で、ハルフェルにあの言葉を伝えるため、自ら呪と解いたのでした。
レインが本当は女性だったことも、文献を調べる内に知ったのです。
代々魔鳥の一族は女性しか生まれない遺伝子を持っているのです。
男性特有の遺伝子は魔鳥の遺伝子と子を成すことができず、胎児のうちに死んでしまうことがわかりました。
そして、政治を勉強するうちに、隣国の魔鳥の一族に対する扱いの問題点が浮かび上がって来ました。
隣国は彼女を敬うどころか、人間以下の扱いをしていたのです。
監禁して、ただの道具として、実験体として扱うという事実に直面したとき、彼女が隣国の城を脱走した理由がわかりました。
初めて会った時、彼女はきっと心を壊していました。
それでも生存本能に従って城を逃げたのでしょう。
そしてハルフェルに出会い、心を、少しずつながら取り戻していったのでしょう。
そんな彼女を、自分は拒絶してしまった。
きっと彼女の唯一の理解者であった自分が。
ハルフェルはそんな過ちを二度と繰り返さないために、立ち上がったのです。
「ハルフェル様、準備が整いました」
「ああ、今行く。一応、兵を数名配備しておいてくれ」
「はっ」
世界中の主要人物が集まる会議で、隣国の悪事を暴く、暴く、暴く。
隣国への非難が高まり、信頼が地に落ちる。
外堀からしっかりと埋めて、逃げ場所をなくした。
これで隣国に味方はいなくなる。
やっと、助けにいける。
隣国の地下、薄暗い螺旋階段をハルフェルは急いで下りる。
どうか無事で、もしまた心が壊れてしまっていたら、また一緒に拾い集めて行こう。
何度でも、何度だって。
地下牢の一つの前に立ち、鍵を開ける。
汚れてはしまったが、相変わらず美しい容貌のまま。
目を見開く相手などお構いなしに、ハルフェルは思い切り相手を抱きしめた。
「助けにきたよ、レイン」
あの日とは違うと信じたい涙が、彼女の頬を伝った。
END
初投稿です。
初めて故、至らない点が多かったと思いますが、読んで頂きありがとうございました。




