無聊。 〜閻魔の俺からみると人間はエノキである〜
人生で初めて完結した掌編。
高い高い、天の上で。
そこは、黒い霧に包まれており、たまに紅の光がちらつく。
遠くの方ではざわざわと声が聞こえる。が、それは明らかに人間のものではない。
耳を澄ませば、その声を誤魔化すように途端に聞こえなくなる。雑音みたいに聞こえてしまうのだった。
見慣れない、非現実的で不気味な光景に、背筋は凍った。人ではない何かが蠢く。
黒いフードとマントを羽織っている。目を凝らすと、その黒い何かが動いている気がした。気のせいだといいが。
頬を汗が伝った。
ふと、顔を上げて「それ」を見上げた。
人間よりも何倍も大きい体。
鉄塊のようにどっしりとしたガタイ。
燃えるような赤い肌。
豪華な飾りがついた服。
尖った耳。
そして、睨みつける漆黒の目。
……閻魔様。
その言葉が、ぴったりだった。
体は金縛りのように硬直していて、指一本動かない。まるで明晰夢のようだ。
その時僕は直感的に悟った。ここは地獄だ。妙に納得していた。
僕は、生きているうちにたくさんの罪を犯した。そうだ、だからきっと、こんなところに来てしまったんだ。
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そこにいる人間を見おろす。手元の資料に目を移した。
「ふうん……」
どうやらこの男は、いや、この男「も」自殺したのだそうだ。
経歴に目を通す。この男もやはり、いつもと同じような経歴だ。
こういう奴は、特段なにかしたわけでもないのに、すぐ勘違いする。
まったく人間は、我らの命を無駄にしおって……。
その上、こいつは俺に怯えている。
「あの、ユウメイヌシノミコト様……」
俺の膝下にも及ばない大きさの専属伝達係に呼ばれた。
ユウメイヌシノミコトとは、俺の名である。
幽冥主命と書く。
「なんだ」
「もうすぐ冥界会議が……」
「ああ、そうだったな」
つまり、この尋問を早く済ませろということである。
伝達係は小さく頷くと闇に消えていった。
我々閻魔の仕事は通常の死因とは異なる「自殺」した人間を事情聴取し、天国行きか地獄行き、どちらかを判断し、送ることだ。
早く終わらせようと、人間に向き合う。
「貴様は自ら命を絶ったと聞いている。それは本当か?」
人間は、俺に話しかけられていることに驚いているように見える。俺のこの見た目に衝撃を受けたか。別に普通だが。いや、そんなこと俺には関係ない。仕事に取り掛からねば。
「驚かせてしまったようで申し訳ない。この通り、危害を加えたりしないから安心しろ」
手をひらひらと振って見せる。少し気が緩んだ気もするが、人間は動かない。
これは面倒くさいタイプの人間だ。
英語の部ならば数人でやるが、俺が配属されたのは日本語の部である。
日本は人口も死者数も多くはないだろうに、何故俺一人に任せられているんだ……。まあ、これに関しては仕方がない。
ため息をつくと、その人間を凝視した。
やはり変な形とか色をしているものだ、人間は。白くて細いから、まるでエノキタケである。
その小さな体から僅かな音を感じた。
やっと喋る気になったのだろうか。なんだろうと思い、ぴくりと耳を動かす。
「もう一度聞く。自ら命を絶ったのは本当か?」
「え、は、はい」
今にも消え入りそうな声を、頭の中で反芻した。
記録用紙に情報を書き込んでいく。
空いた手で首筋を撫でた。
閻魔審問官は一日中下を向く仕事だ。
だから首は常に痛い。だがずっと弱音を吐いていてもなにも解決しない。手をそっと用紙の横に添えた。
「貴様は生前にやり残したことはあるか?」
ペンを滑らせながら滲むインクを眺めた。
返事はない。
どうしたものかと顔を上げた。人間は口をもごもごさせている。
「……もう一度、両親の顔を見たいです」
よくあるやつである。
「じゃあ、幽霊として向こうに送ってやる」
既に死んだ人間を人間界にほいほい送ったからと言って、こちらに危害は加わらない。
まあ、送った人間があちらで何かやらかした場合は別であるが。
ぽかんと口を開けた人間を横目に立ち上がって、人間界へと通じる縦数十メートルにも及ぶ扉へと歩く。
足元の靄が退いた。
装飾錠を握り、腕に力を込める。
重い扉を完全に開くと、冷たい日本の風の匂いがした。
この匂いをこれまで何度嗅いだだろう。
「期限は三日、それを過ぎたら地獄行きも検討するからな」
人間、「高橋」はこの扉の向こう側を放心状態で見つめているように見えた。
この扉の向こうには「高橋」の最後の地、東京の街並みがずっと下に見える。
何万、何億ものビルの光が規則的に並んでいた。
上を見れば、飛行機やヘリコプターの赤い光と数粒の星が見えていた。
この光の数は、逆のほうが相応しい。
上が何億もの光に満たされたなら、どう見えるだろうか。そう思ったのは、俺だけだろうか。
「さあ行け。ここにいる時点で幽霊なんだから、空飛べるぞ。絶対に命ある者には見つかるなよ。お前は人にゃ見えねぇが、電気機器に反応する場合があるから気をつけろ」
「高橋」に目を合わせて頷いた。
その次の瞬間には、「高橋」は空を舞っていた。
冷たい空気が肌にまとわりついて快い。
ふうっ、とため息を吐くと、扉に体重を乗せた。
扉が閉まったのを確認して、見慣れたこの暑苦しい闇へと目をやる。
俺等のもう一つの仕事。
それは、我々閻魔の持つ無限と言える命を人間らに分け与えること。
生を与えると同時に、死を与えること。
死が生を創るってことだ。
閻魔は死を知らない。
生きているのかもわからない。
限りある時間と、終わりが来ない時間。
……どっちがいいのやら。
終わりが来ない時間に生きる俺は、退屈で仕方ない。
だから、俺は人間界に幽霊を送る。
禁断の刺激、罰を求めて。




