第82話 使いたくなかった
勝敗が告げられても、
すぐに歓声は起きなかった。
観客は、
今見たものをどう受け取ればいいのか、
まだ分かっていなかった。
”理のスライド”
境地に一瞬、触れた凛が得た決め球。
あまりにも静かな決着だった。
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トレ高ベンチ。
凛は、ゆっくりと戻ってきた。
走り寄る舞子が、
思わず跳ねる。
「凛っ……!」
言葉にならない声。
凛は何も言わず、
ただ小さく頷いた。
右手を見れば、
拳の中に萌えたん御守りが握られている。
それに気づいた舞子は、
自分のことのように、
いや――それ以上に嬉しそうに笑った。
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針千は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
(……勝った、よな)
そう思うのに、
胸の奥がざわついている。
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夢幻高校ベンチ。
享楽は、
一歩も動かなかった。
勝敗を告げるアナウンスを聞いても、
表情は変わらない。
だが。
晴谷は、はっきりと感じていた。
(……消えたな)
言葉にはしない。
できない。
協会長も、モニター越しに
わずかに視線を細めただけだった。
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「……なあ」
針千が、空気を破る。
「副将戦さ」
誰に向けたわけでもない声。
「未来潰し、使えば勝ってたよな」
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一瞬、
時間が止まったように感じられた。
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晴谷が、静かに答える。
「理屈の上ではな」
盤面から目を離さず、続ける。
「回数制限。
体力の消耗。
精神的な負荷……」
「“使えなかった”理由は、いくらでも考えられる」
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「なるほど」
針千は腕を組む。
「チート能力に見えて、
案外扱いづらいってことか」
だが、その顔は晴れない。
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そのとき。
すきが、
ぽつりと呟いた。
「……使いたくなかった、ってこともあるのかな?」
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針千が、思わず振り向く。
「は?」
すきは、
自分でも驚いたような顔をしている。
理由は分からない。
根拠もない。
ただ、
胸の奥に引っかかった感覚を、
そのまま口にしただけだった。
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晴谷は、否定しなかった。
肯定もしない。
ただ、
夢幻高校ベンチを見る。
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運命は、
まだ座っていた。
副将戦の盤面を、
一度だけ見返す。
その表情は、
冷静だった。
だが。
背中に、
うっすらと汗が滲んでいる。
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享楽が、
運命の横に立つ。
何も言わない。
何も聞かない。
それでも、
そこにいる。
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凛は、
ベンチに腰を下ろした。
胸の奥が、
妙に静かだった。
(……触れただけ)
境地に至ったわけじゃない。
正しさを捨てたわけでもない。
ただ、
ほんの少し、
踏み外しただけ。
それで、勝った。
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次の名前が呼ばれるまで、
まだ少し時間がある。
だが、
全員が分かっていた。
この試合は、
まだ終わっていない。




