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くれげの世界  作者: ぐろ
第二章 高校編
77/205

第76話 ポンコツ

夢幻高校ベンチ。


柚木運命は、

何も言わなかった。


未来は潰せなかった。ずっと舞子の中には

凛に勝つ未来、負ける未来しかなかったからだ。


最後の一瞬舞子の中から凛は消えたが

時既に遅し。


享楽伝は、

唇を噛みしめる。



続いて、中堅戦。


トレ高の台に立つのは、天秤沙希。

夢幻高校は、神咲恵。


会場には、まだ次鋒戦の余韻が残っていた。

努力が肯定された拍手。

「積み上げれば届く」という、あの感覚。


だからこそ。

誰もが、沙希の初手を疑っていなかった。


横移動。

奥行。

呼吸。


――バランスキャッチ。


アームが触れ、箱が浮き……かけたが

失敗。


「……え?」


客席から、間の抜けた声が漏れる。


沙希は一瞬、思考が止まった。

今のは、間違っていない。

角度も、タイミングも、感覚も。


「大丈夫! 次いこう!」


針千の声。


沙希は小さくうなずき、深呼吸する。


二手目。

同じ取り方。


――失敗。


「沙希、少し奥かも」


凛の声。


三手目。

修正。


――失敗。


ざわめきが、はっきりと広がる。


沙希の初手バランスキャッチ。

それは“得意技”じゃない。

前提だった。


けれど、沙希はまだ折れなかった。


扉を開いた今の自分は、

初期位置に頼らなくてもバランスキャッチができる。


四手目。

準決勝で身につけた、爪刺しバランスキャッチ。


――失敗。


「……っ」


五手目。

六手目。

七手目。


すべて、バランスキャッチ。

すべて、失敗。


応援の声が、減っていく。


誰も、正解を言えなくなっていた。

技術の問題じゃない。

そう、全員が気づいてしまったから。


(……できない)


沙希の胸に、冷たいものが広がる。


(私、

 バランスキャッチができなかったら……)


才能。

扉。

全部、嘘だったのか。


それでも。


それでも、沙希は台から目を逸らさなかった。


背中に、気配がある。

声はなくても、離れていない。


――私は、まだ一人じゃない。



神咲恵は、台の前で手を握りしめていた。


「……次、右」


背後から、柚木運命の声。


神咲は、うなずく。


考えない。

考えなくていい。


夢幻高校クレーンゲーム部、唯一の二年生。

それは、実力の証明ではなかった。


生き延びた証だ。


神咲はポンコツだった。


中学時代。

クラスの中心にいた三人。


笑顔。

怒鳴り声。

握られた弱み。


神咲は、その外側にいた。

逆らわず、従い、使われる側。


嫌だった。

でも、逃げられなかった。


父親のことを、知られていたから。


高校に入っても、同じだった。


「楽しそうだから」


その一言で、部活は決まった。

自分の意思は、そこになかった。


――その世界を、壊したのが。


柚木運命だった。


「文句がある人は、退部して」


笑いながら、そう言った。


怒号。

反発。

混乱。


「試す?」


たった一言。


全部員対運命のクレーンゲーム勝負。


圧倒的な差。


「全員私より下手だから私の指示に従え。」

「文句がある人は退部して」


”地獄の選別”と呼ばれた1年前の事件。


その瞬間、

神咲の中で、音を立てて何かが壊れた。


怖かった。

でも同時に、思った。


(……ああ)


(もう、選ばされなくていい)


媚びる必要も、耐える必要もない。

壊されたからこそ、立ち位置がはっきりした。


だから神咲は、決めた。


従うんじゃない。

ついていく。


この人の壊し方なら、

信じていい。



現実に戻る。


試合は、どこまで進んだのか分からない。


沙希は、まだバランスキャッチを続けている。

神咲は、指示通りに修正を続けている。


取れない。

どちらも。


「……何を見せられてるんだ?」


実況の声が、迷う。


手数だけが、増えていく。


五十手。


沙希の失敗は、五十回目。

神咲は、ようやく修正に成功する。


「遅い!」


運命の声。


神咲は、震えながらうなずいた。


それでいい。

ここにいられるなら。



沙希は、歯を食いしばる。


(できない)


(それでも……)


(それでも、私は)


台から、離れない。



コツ。

コツ。


革靴の音。


近づく気配。


コツ。

音が、止まる。


静かな声が、沙希の耳元に落ちた。


「……初期位置に戻しましょうか?」


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