第68話 嘘
ゲームセンターの明かりは、昼でも夜でも変わらない。
ここでは時間の感覚が、少しだけ狂う。
ミスター初期位置は、クレーンゲームの前に立っていた。
腕を組み、画面だけを見ている。
アームが降りる。
箱が揺れる。
取れない。
「……」
昔から、こうだった気がする。
——いや。
同じに見えるだけで、本当は違うのかもしれない。
そんなことを考えるようになったのは、
いつからだっただろう。
⸻
身体が弱かった。
それは言い訳にもならない事実で、
同時に、説明する必要もない理由だった。
走るのは遅く、
長く立っているのも苦手で、
体育の時間は、いつも最後列だった。
できないことが多いと、
やらないことが増える。
やらなければ、
失敗もしない。
教室では、特別なことは何も起きない。
声をかけられることもないが、
無視されているわけでもない。
——ちょうどいい。
そう思うことで、
自分の居場所を決めていた。
高校生になっても、それは変わらなかった。
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あの日も、ただ帰り道を歩いていただけだった。
道端に、小さな袋が落ちていた。
テレビで見たことのある、アニメのストラップ。
未開封。
欲しかったわけじゃない。
好きでもない。
ただ、
「誰もいないな」
そう思って、拾った。
制服のポケットに入れたとき、
少しだけ重さを感じた。
それだけだった。
⸻
翌日。
授業が終わり、席を立った瞬間。
ポケットの中で、何かが滑った。
床に落ちたストラップを見て、
心臓が一拍、遅れて鳴った。
「それ、クレーンゲーム限定のやつだよな?」
声をかけてきたのは、晴谷蓮だった。
クラスの中心。
笑っていれば、人が集まる男。
「すげぇな。
俺、三千円使っても取れなかったんだけど」
視線が集まる。
——違う。
拾っただけだ。
言えば、それで終わる。
たぶん、誰も気にしない。
でも、口が動いた。
「……あぁ。
こないだ、自分で取った。百円で」
言った瞬間、
胸の奥がひやっとした。
嘘だとわかっているのに、
もう引き返せなかった。
「マジで!? すげぇじゃん!」
晴谷は疑わなかった。
屈託なく笑った。
「今度、取り方教えてくれよ!」
その言葉が、
思っていたよりも深く刺さった。
——すごいって、言われた。
それだけで、
教室の景色が少しだけ違って見えた。
同時に、
怖くなった。
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放課後。
なぜか晴谷のグループと一緒に歩き、
なぜか新聞部の聞見も付いてきていた。
ゲームセンターの前で足が止まる。
「よし、見せてくれよ山口!」
コインを渡される。
断る理由はいくらでもあった。
でも、どれも口に出なかった。
——理屈は、知っている。
動画も見た。
説明も覚えた。
だから、
取れないはずがなかった。
一手目。
箱は、思ったより動かない。
二手目。
角度がずれた。
三手目。
橋の上で、止まる。
「あれ……?」
五手目。
十手目。
周囲がざわつき始める。
「……マグレだったんじゃね?」
誰かの声。
笑い混じりで、悪意があるのかもわからない。
聞こえないふりをした。
でも、
胸の奥に、刺さったまま抜けなかった。
——違う。
マグレじゃない。
そう言い切れなかったことが、
一番苦しかった。
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十五手目。
もう、音がうるさく感じる。
二十手目。
背後の気配が、消えていることに気づいた。
さっきまであった声が、もうない。
残っているのは、
台の前の自分と、
横に立つ晴谷と、
少し離れた場所の聞見だけ。
——まずい。
やめたら、嘘になる。
続けても、取れない。
逃げ場は、なかった。
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そのときだった。
いつからそこにいたのか、
わからない。
画面の横に、
人の気配があった。
「……ここまで、よく頑張りましたね」
低い声。
反射的に、顔を上げる。
店員だった。
でも、なぜか、
責められている気はしなかった。
「このまま続けると、
正直、かなり厳しいです」
胸が、きゅっと縮む。
——やっぱり、そうだ。
「初期位置に戻しましょうか?」
初期位置。
聞き慣れない言葉だった。
「最初から、やり直す位置です」
山口は、少しだけ迷った。
それは、
今までの二十手を、なかったことにする選択。
逃げじゃないのか。
ズルじゃないのか。
でも。
「……お願いします」
声は、思ったより小さかった。
店員は何も言わず、
箱を持ち上げる。
ゆっくりと、
橋の中央に置いた。
——最初から、
そこにあったみたいに。
配置が整った瞬間、
胸の奥のざわつきが、少しだけ静まった。
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二十一手目。
アームが降りる。
箱を包み、
上がる。
途中で、
ふっと力が抜けた。
音がした。
何の音か、すぐにはわからなかった。
画面を見る。
橋の下に、箱がある。
——取れた。
理解する前に、
息が遅れて出た。
「……あ」
声にならなかった。
「すげぇ!!」
横で、晴谷が跳ねるように喜ぶ。
その瞬間。
——カシャ。
聞見のシャッター音が鳴った。
反射的に、そちらを見る。
晴谷は、
子どもみたいに笑っていた。
きっと、
その顔はちゃんと写っている。
じゃあ。
その横にいた自分は、
どんな顔をしていただろう。
驚いていたはずだ。
口も、きっと開いていた。
でも、それだけじゃない。
喜んでいいのか、
わからない顔。
信じていいのか、
疑っている顔。
——さぞ、変な顔だっただろうな。
聞見のカメラには、
その一瞬が、残ったはずだった。
初期位置に助けられた。
その事実だけが、
胸に残っていた。
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