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くれげの世界  作者: ぐろ
61/62

第60話 洗練

副将戦。


 台の前に立つ二人に、会場の視線が集まる。


 トレトレ高校――雨瑠凛。

 かもめ高校――賭良詠。


「来たね」


 詠が、口角を吊り上げる。

 挑発的で、荒くて、危うい――

 いつもの賭良詠の笑み。


 けれど、その奥にある熱は、どこか違っていた。


「ええ」


 凛は短く答えた。


 目は、台だけを見ている。

 相手も、観客も、意識の外。


 合宿。

 不規則な重心。


 理論が通じず、何度も立ち止まった夜。


 それでも凛は知っている。


 正しさは、完璧でなくていい。


 アームが降りる。


 一手目。


 凛は、迷わなかった。


 力を入れすぎない。

 角度を主張しない。


 アームは箱に触れ、

 そっと離れる。


 箱が、わずかに揺れた。


「……冷静だ」


 針千が、ぽつりと呟く。



 詠は、まだ動かない。

 凛の手を、じっと見ている。


 二手目。


 同じ。

 余計な音がしない。


 箱が、確実に――

 取れる形へ近づいていく。


 その瞬間。


 凛の中で、感覚が切り替わった。


 扉は、開いている。

 それはもう、特別な状態じゃない。


 けれど――


 今日は、違う。


 凛は、一歩、踏み出した。


 扉の中。


 そこにあったのは、

 終わりの見えない階段だった。


 上も、下も、見えない。

 何段目にいるのかも分からない。


 一段、上がる。

 息がわずかに乱れる。


 それでも、次の段がある。


 立ち止まらなければ、落ちることはない。


「……入ったな」


 晴谷が、低く呟いた。


 誰に聞かせるでもない。

 確信だけの声。


「入った? どこに?」


 針千が怪訝そうに振り返る。


「凛は今、

 開いた扉の“中”にいる」


 晴谷の視線は、凛から外れない。


「才能の先で、

 まだ登り続けている」


 三手目。


 アームが箱の角に触れる。


 力は、足りている。

 でも、押しつけない。


 箱が、自然に傾いた。


「……っ」


 詠の目が、わずかに見開かれる。


(なに、それ)


 壊していない。

 賭けてもいない。


 なのに――

 盤面が、整っていく。


 そのとき。


「……なあ、舞子」


 針千が、今さらみたいに口を開いた。


「中学のときさ。

 フィギュア、回転だけなら

 一番評価高かったんだろ?」


「……は?」


 舞子が、じろりと睨む。


「今それ聞きます?

 デリカシーって言葉、ご存じ?」


「いや、今の見てて思っただけで」


 舞子は、小さく息を吐いた。


「……私は、たしかに回転だけなら勝っていましたわ」


 視線は、台の前の凛へ。


「でも凛は――」


 凛の四手目。


 迷いがない。

 最初から、最後までの流れが一本だ。


 積み上げたものが、崩れない。


「全部が、”洗練”されていた」


 舞子は、はっきりと言った。


「技術だけじゃない。

 判断も、間も、覚悟も」


 箱が、また一段、前に出る。


詠の指が、わずかに震えた。


「……ねえ優等生」


 詠が、凛に声をかける。


「中学のときさ。

 あんた、こんな取り方、してなかった」


「そうね」


 凛は、初めて詠を見る。


「合宿したから」


「……それだけ?」


「それだけじゃない」


 凛は、静かに言った。


「一人で、やらなくなった」


 詠は、言葉を失う。


 賭ける。

 壊す。

 全部、自分で背負う。


 それが、強さだと思っていた。


 でも凛は――


 正しさを、他人に預けている。


 視線の先。

 雪平が、静かに頷いていた。


 それは指示じゃない。

 信頼だった。


「……ちっ」


 詠が、笑う。


「やっぱさ。

 そういうの、嫌いだわ」


 でも、その笑みは――

 はっきりと、悔しさを含んでいた。


 副将戦、序盤。


 終わりの見えない階段を、

 凛は、確かに登り始めていた。


 そして流れは――


 雨瑠凛の側に、乗り始めていた。


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