第48話 たしかな成長
最終日の朝は、やけに早く来た。
合宿所の廊下に、足音が響く。
眠気の残る顔。
けれど、誰もだらけてはいなかった。
広間の片隅には、古びた筐体。
昨日までと同じ場所に、同じように置かれている。
「最後は、自由でいこう」
晴谷が言った。
「課題も、順番もなし」
「取ってもいいし、取らなくてもいい」
「……逆に難しくないですか」
針千がぼやく。
「だろ?」
晴谷は笑った。
「だから最後だ」
⸻
凛は、筐体の前に立った。
不規則箱。
中で、重心がわずかに動く音。
だが、凛は操作しなかった。
箱を見る。
音を聞く。
一歩、下がる。
(今日は、やらない)
その判断が、自分の中から出てきたことに、少しだけ驚いた。
沙希が隣で言う。
「今、入らなかったね」
「……うん」
「いいじゃん」
沙希は笑う。
「ちゃんと、自分で決めてる」
凛は、小さく息を吐いた。
扉は、閉じていない。
でも、踏み込みすぎてもいない。
⸻
沙希は、少し離れた位置から筐体を見ていた。
安定した距離。
安定した立ち方。
けれど、昨日までとは違う。
海の手前
浅瀬
中層
初期位置からのバランスキャッチ
片アームで成功。
「よし!ワンパンできなかったけど
感覚掴めたかも!」
⸻
舞子は、箱の角を見つめていた。
刺し回し。
「シングル……」
昨日より、確信はある。
再現性も、少しずつ上がっている。
それでも、完成ではない。
(技は、逃げない)
血豆の跡に、そっと指を当てる。
凛を見ない。
結果も見ない。
ただ、箱だけを見る。
それで、十分だった。
⸻
豚田は、萌たんの箱の前に立っていた。
トン。
トン。
いつものリズムを刻みかけて、止める。
「……今日は、いいです」
「え?」
針千が振り向く。
「もう、分かったから」
「何が?」
豚田は、少し考えてから言う。
「……好きな気持ちの、出し方です」
「抽象的!」
「でも」
沙希が言う。
「分かってる顔してる」
「……ブヒ」
「それ、満足だよね?」
「はい」
豚田は、少し照れたように笑った。
⸻
すきは、皆の背中を見ていた。
合宿中、一度も触らなかった筐体。
それでも。
見えなかったものが、
確実に見えるようになっている。
(……扉)
開け方でも、壊し方でもない。
立ち方。
そう思った、そのとき。
⸻
すきは、一人で部屋に戻っていた。
荷物は、もうまとめてある。
あとは出発を待つだけ。
部屋の隅に置かれた、合宿用の片アーム筐体。
誰もいない。
(……最後)
すきは、しばらく立ち尽くしてから、深く息を吸った。
そして――
意識的に、目を閉じる。
⸻
――ざわり。
音がした。
機械音ではない。
クレーンの電子音でもない。
『……やっと』
かすれた、小さな声。
「……!」
すきは、目を見開いた。
『今までは』
『勝手に、開いてただけ』
フィギュアの声。
はっきりと、聞こえている。
「……今は?」
『今は』
『あなたが、開けてる』
胸の奥が、熱くなる。
意識を向けると、
景色が一瞬だけ、ずれた。
箱の位置。
アームの動き。
――その先。
落ちた後の未来が、薄く重なる。
(……見える)
でも、怖くない。
「……閉じられる?」
『できるよ』
すきは、意識を引いた。
景色が、元に戻る。
声が、消える。
静かになる。
「……自分で、やった」
勝手じゃない。
暴走でもない。
選んだ。
⸻
「……やっぱり、ここだったか」
振り向くと、晴谷が立っていた。
「聞こえたか?」
すきは、少し迷ってから頷く。
「……はい」
「見えたか?」
「……少しだけ」
晴谷は、何も驚かなかった。
「合宿で」
静かに言う。
「よく我慢して観察したな。」
「見るのも楽しかったですよ。」
「そうか?」
苦笑いの晴谷が続ける
一歩、近づく。
「大会では扉持ちもいるだろう」
「才能に胡座をかいていては勝てない相手だ」
すきの胸が、ぎゅっと熱くなる。
「わたし、早く試合したい。」
「みんなとクレーンゲームしたい。」
「うん」
晴谷は笑顔で言った。
「その気持ちが大事だ。」
⸻
バスが、走り出す。
窓の外、合宿所が遠ざかっていく。
誰も、振り返らなかった。
すきは、そっと目を閉じる。
――聞こえない。
でも。
聞けることを、知っている。
未来は、まだ一つじゃない。
だからこそ。
すきは、
自分の意思で扉を閉じた。
合宿は、終わった。
そして――
大会は、もうすぐ始まる。




