表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くれげの世界  作者: ぐろ
47/65

第46話 好きだから

 朝の空気は、少しだけ澄んでいた。


 合宿所の窓から見える山の稜線。

 昨日までのざわつきが、嘘みたいに静かだ。


 部室代わりの広間には、片アームのクレーンゲームが一台。

 逃げ場のない配置。


「じゃ、再開」


 晴谷の一言で、空気が切り替わる。


「今日は“昨日の続き”だ」



 最初に立ったのは、凛だった。


 不規則箱。

 中で重心が動き、予測を拒む音がする。


 一手目。

 外れる。


 二手目。

 修正。

 ――止まる。


 凛は、深く息を吸った。


(閉じるな)


 三手目。


 計算しきれない。

 それでも、手は迷わない。


ゴトンッ


 ――落下。


 小さな音。


「……取れた」


 凛自身が、一瞬だけ驚いた顔をした。


 晴谷が頷く。


「今のは、理論じゃないな」


「……はい」


「でも」

 続ける。

「扉、閉じてない」


 凛は黙って筐体を見つめる。


 開いたまま、耐えた。



「次、沙希」


「はーい」


 沙希は筐体の前に立つ。

 いつも通りの距離。

 いつも通りの構え。


 ――なのに、手が止まる。


「……浅い」


「え?」

 針千が聞き返す。


「海」

 沙希は苦笑した。

「扉の中は、海だった」


 一歩、前に出る。


 いつもより、深く。


 一手目。


 ――失敗。


「うわ」

「珍しい」


 沙希は笑わなかった。


「……もう一回」


 二手目。


 躊躇が消える。


ゴトンッ


 ――落下。


 沙希は息を吐いた。


「……冷たい」


「何が?」

「海」


 でも、足は引いていなかった。



 舞子は、静かに筐体の前に立つ。


 昨日と同じ箱。

 同じ角度。


 刺す。

 押す。


 ――クルッ。


 落下。


 再現。


「……安定してきましたわ」


 晴谷が、少しだけ笑う。


「集中できてるな!」


「はい」

 舞子は頷いた。



 視線が、凛に向く。


 それでも、目線は箱に戻る。



 豚田は、少し離れた場所で立ち尽くしていた。


 景品棚。


 そこにある箱。


 ――『萌たん』。


 見慣れた色。

 何度も画面で見てきたアイドル。


「……俺」


 声が小さい。


「……あれ」


 喉が鳴る。


「取りたいです」


 針千が振り向いた。


「え?」


「……ブヒ」


 深呼吸。


「俺、あれ……取りたいです」


 凛が、静かに聞く。


「理由は?」


 豚田は、少し考えてから答えた。


「……好きだから」


 それだけだった。


「いいじゃん」

 沙希が言う。


 晴谷が、豚田の隣に立つ。


「真似しなくていい」


「……はい」


「見るのは、重心」

「でも」


 一拍置いて。


「考えるより感じる」


「……感じる?」


「うん」


 豚田は筐体の前に立った。


 姿勢が、少し変わる。


 背中が伸び、

 指先が、自然に動く。


 ――トン、トン。


 一定のテンポ。


 まるで、オタ芸のペンライトみたいなリズム。


(……いつもの感じ)


 一手目。

 ズレる。


 二手目。

 引っかかる。


 三手目。

 止まる。


 指先が、同じ間を刻んでいる。


 トン。

 トン。

 トン。


 呼吸と、操作が合う。


「……なんか」

 針千が小声で言う。

「ノってない?」


 四手目。


 角度が、変わる。


 五手目。


 ――落下。


 小さな音。


「……取れた?」


 豚田の声が、震える。


「取れてる!!」

 針千が叫ぶ。


「……ブヒ」


 笑っているのか、泣いているのか分からない顔。

 でも、はっきりしていた。


 プレイしている顔だった。



 針千が、ゆっくり晴谷を見る。


「……あの」


「ん?」


「今の豚田のやつ」


「……あぁ」


「……あれって」


 一拍。


「扉っすよね?」


「もう、開いてません?」


 全員の視線が、晴谷に集まる。


 晴谷は、少し考えてから言った。


「……さあな」


「え?」


「分からん」


「分からん!?」

 針千が叫ぶ。

「今まであんなに説明してたのに!?」


 晴谷は、肩をすくめた。


「理屈に当てはめられるなら」

「それはもう、武器じゃない」


 一拍。


「たぶん、あれは」


 豚田を見る。


「まだ名前がついてない」


「……ブヒ?」


「その反応で十分だ」



 すきは、少し離れた場所から全員を見ていた。


 理論。

 安定。

 執着。

 リズム。


(……扉って)


 名前がつく前に、

 もう人を動かすもの。


(……順番じゃない)


 強さの順番でも。

 開く順番でもない。


 踏み出した順番だ。


 晴谷が、全員を見て言う。


「いいな」


「今日」


 少しだけ声が低くなる。


「全員、一歩は踏み出してる」


 合宿所の空気が変わる。


 重さでも、圧でもない。


 熱だった。


 合宿は、まだ続く。


 でも。


 もう誰も、

 立ち止まってはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ