第36話 届かなかった背中
放課後の校舎は、昼間よりも音が少なかった。
雨瑠凛は、階段を下りながら腕時計を一度だけ確認する。
――無駄はない。
時間も、選択も。
そう判断できるようになってから、もう長い。
それでも足は、自然と旧校舎とは反対側へ向かっていた。
大会が終わってから、凛の中には“正しい式”がある。
勝つための理論。
壊れないための判断。
間違ってはいない。
けれど、どこか未完のままだった。
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「……こちらでしたのね」
背後から聞こえた声に、凛は足を止めた。
振り返る必要はなかった。
その声は、記憶の奥に冷たく残っている。
「お久しぶりですわ、凛」
銀泉舞子は、背筋を伸ばして立っていた。
制服の着こなしは完璧で、立ち姿には一切の無駄がない。
――ああ。
この人は、ずっと見てきた人だ。
「同じ高校になるなんて……偶然ですわね」
「……ええ、偶然ね」
凛の返答は短い。
偶然、という言葉だけが、やけに胸に残った。
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「覚えていらっしゃいます?」
舞子は静かに続ける。
「あなたが全国を制した大会。
わたくしは、二位でしたわ」
凛は否定しない。
「悔しくなかったと言えば、嘘になります」
舞子は、ほんの少しだけ目を伏せた。
「けれどそれ以上に……
憧れておりましたの」
はっきりとした声だった。
「あなたの滑り方に。
あの迷いのなさに」
二位でもよかった。
上には、凛がいたから。
「……次の大会」
声が、わずかに低くなる。
「ようやく、勝てるかもしれないところまで
仕上がっておりましたの」
完璧だった。
努力のすべてを注いだ。
「ですが」
舞子は凛を見た。
「あなたは、いらっしゃらなかった」
空気が、凍る。
「……意味のない一位でしたわ」
「それでも、私は正しい選択をした」
凛は、静かに言う。
「あなたに勝つことより、
自分を壊さないことを選んだ」
「理解しておりますわ」
舞子は即答した。
「頭では」
そして、続ける。
「けれど、納得はしておりませんの」
凛は答えず、その場を去った。
⸻
――数分後。
凛が教室に戻ると、扉の前に二人の影があった。
「凛ー、帰ろ」
天秤沙希が、当たり前みたいに言う。
「……部室、もう人いるよ」
昏華すきが、少し照れたように続けた。
凛は一瞬だけ目を瞬かせ、それから頷く。
「……分かった」
三人は並んで歩き出す。
それを、廊下の角から見ている視線があった。
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一人じゃ、ない?
舞子は、その光景から目を離せなかった。
中学時代。
リンクの上でも、降りても、
凛は常に一人だった。
呼び止められることもない。
迎えに来る人もいない。
それが、今は。
三人。
並んで。
迷いなく。
舞子は、無意識に後を追っていた。
⸻
旧校舎。
仮部室の前。
中から、楽しげな声が聞こえる。
舞子は、扉の隙間から中を覗いた。
筐体の前に立つ凛。
横で口を出す沙希。
少し離れて見守るすき。
――あの凛があんな顔で、、
床が、わずかに鳴った。
「……誰?」
扉が開く。
視線が合った。
「覗いておりましたの」
舞子は、隠さなかった。
「あなたが、今力を入れていらっしゃる“競技”を」
筐体へ視線を落とす。
「クレーンゲーム……?
べつになんでもいいですわ」
凛は、舞子を見る。
氷の上で果たせなかった勝負。
それを、ここで続けようとしている。
「ですから」
舞子は一歩、前に出た。
「入部いたしますわ。
クレーンゲーム部」
沙希が目を丸くする。
「……即決?」
「3人しかまだいないのでしょう?」
舞子は微笑む。
「それでも――
あなたには、勝ちたいですの」
凛は、しばらく舞子を見つめてから、答えた。
「……歓迎するわ」
⸻
その日。
クレーンゲーム部には、“終わっていない勝負”が加わった。
まだ、和解はない。
ただ、同じ場所に立っただけ。
背中は、まだ重ならない
キャラ紹介
銀泉 舞子
•髪:銀に近い白髪、長めで手入れが行き届いている(まとめることが多い)
•表情:穏やかで上品だが、芯に強さを秘めている
•服装:清楚で上品、動きやすさを重視した服装
•話し方:お嬢様口調、丁寧で落ち着いた言葉遣い
•元フィギュアスケート選手
•回転感覚と集中力に優れている




