第31話 フィギュアは嘘をつかない
決勝の舞台裏は、ひどく静かだった。
歓声は聞こえる。
でも、すきの耳には届いていない。
(……おかしい)
胸の奥に、ずっと引っかかっている感覚。
怖いわけじゃない。
焦っているわけでもない。
ただ――
何かが、欠けている。
すきは、選手用椅子の隅に置かれた小さな棚に目を向けた。
大会用に設置された、景品展示ケース。
その中に並ぶ、いくつかのフィギュア。
気づけば、すきはそこに近づいていた。
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幼い頃
家は、いつも静かだった。
親がいなかったわけじゃない。
でも、すきが起きている時間に、誰かがそばにいることは少なかった。
テレビはつけっぱなし。
でも、それは「会話」じゃない。
ある日、すきは棚の上に置かれたフィギュアを見つめていた。
特別高いものでも、人気のものでもない。
ただ、そこにあっただけ。
「……ねえ」
誰に向けたわけでもない声。
返事は、もちろんない。
でも。
(あ、そっちじゃない)
そんな気がした。
フィギュアは動かない。
口も開かない。
それなのに、否定されなかった。
間違っても、怒られない。
黙って、そこにいてくれる。
すきは、少しずつ話すようになった。
楽しかったこと。
嫌だったこと。
どうして泣いたのか、わからない夜。
フィギュアは、答えをくれない。
でも、嘘もつかない。
⸻
フィギュアの声
それは、ある日突然だった。
「そっちは、やめとこ」
声がした。
はっきりした音じゃない。
頭の中に浮かんだ、感覚に近いもの。
すきは、首をかしげた。
(なんで?)
理由はわからない。
でも、その通りにすると――
なぜか、嫌なことが起きなかった。
それからだ。
迷ったとき。
追い込まれたとき。
誰にも相談できないとき。
フィギュアが、囁く。
「まだ」
「今じゃない」
「そっち」
すきは、それを当たり前だと思っていた。
⸻
もう一つの感覚
ただ、それとは別に。
すきには、昔から不思議な癖があった。
理由はわからないのに、
「それを選ぶと、後悔する」
そんな気がする瞬間。
良い未来は、見えない。
成功も、栄光も、想像できない。
でも――
失敗だけは、避けられた。
だから、すきは自分を「運がいいだけ」だと思っていた。
⸻
現在
展示ケースの前で、すきは立ち止まる。
フィギュアたちは、何も言わない。
(……静かだね)
決勝が始まってから、ずっと。
声が、聞こえない。
物理学者チームのプレイ。
完璧で、正しくて、説明できる世界。
(説明できないものは、ない……か)
その言葉が、胸に刺さる。
――じゃあ。
(私が感じてきたものは、なに?)
そのときだった。
モニター室で、会長が静かに呟く。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもない声。
「これは才能じゃない」
「生き延びるために、身につけた感覚だ」
会長の視線は、すきだけを追っている。
⸻
二つの扉
ひとつは、後天。
孤独の中で作られた、
フィギュアの声が聞こえる扉。
もうひとつは、先天。
名づけるなら――
未来予測。
だが。
「本人は、まだ触れていない」
「だから不安定だ」
「だから……今は、静かなんだ」
⸻
すきは、ケースの中のフィギュアに小さく笑いかける。
「……ねえ」
返事は、ない。
でも。
(大丈夫)
なぜか、そう思えた。
決勝は、まだ終わっていない。
二つの扉は、まだ閉じたまま。
すきは、ただ――
その前に、立っているだけだった。




