第21話 誰のための笑顔
天秤沙希は、笑うことを教えられて育った。
物心ついた頃から、周囲には人がいた。
大人も、子どもも、知らない誰かも。
「沙希、いつも笑顔でいなさい」
それが、父の教えだった。
天秤教。
その教祖の娘。
沙希は、いつも“見られる側”だった。
笑っていれば、場は和む。
笑っていれば、空気は丸くなる。
笑っていれば、多少の失敗は――許される。
実際、そうだった。
何かを壊しても、
順番を間違えても、
空気を読めなくても。
「まあまあ、沙希ちゃんだし」
その一言で、すべてが流れた。
才能も、あった。
勉強も運動も、そこそこ以上。
初めて触ったことでも、だいたい形になる。
クレーンゲームも、そうだった。
初めてのプレイ。
アームの癖も分からないまま、
なんとなく動かして、
なんとなく持ち上げて。
——落ちた。
そして、
景品口に、吸い込まれるように入った。
「え、今のワンパン?」
「すご!天才じゃん!」
褒められた。
たくさん、褒められた。
それが、バランスキャッチだと知ったのは、後からだ。
でも沙希は、
なぜできたのかを考えなかった。
考える必要が、なかった。
できた。
褒められた。
みんなが笑った。
それで、よかった。
——そう思っていた。
*
三回戦。
ママさんバレーチームのプレイは、静かだった。
派手さはない。
歓声もない。
でも。
誰も、笑っていない。
必死だった。
真剣だった。
一手一手に、迷いがなく、
景品が落ちるたびに、
小さく、深く息を吐く。
——生活の顔。
沙希は、ふと気づく。
(あ……)
自分は、
こんな顔でプレイしたことが、あっただろうか。
勝ちたい気持ちはある。
負けたくないとも、思っている。
でも。
笑顔でいれば、
みんなが喜んでくれた。
笑顔でやれば、
場はうまく回った。
それで、
今まで全部、上手くいっていた。
——はずだった。
盤面が、崩れる。
沙希の一手で、
景品は奥へ転がった。
初期位置じゃない。
整ってもいない。
いつもなら、ここで笑う。
「ごめんごめん、次いこ次!」
そう言えば、
空気は軽くなる。
でも。
「沙希」
すきの声が、飛んだ。
責めるでも、焦るでもない。
ただ、真っ直ぐだった。
「それ、
失敗しても怒られないって
分かってる顔だよ」
——息が、止まった。
胸の奥を、
指で押されたみたいだった。
沙希は、何も言えなかった。
笑おうとして。
でも、口が動かなかった。
初めてだった。
クレーンの前で、
仲間の前で、
笑顔が、消えた。
盤面は、最悪だった。
普段なら、
初期位置からしか使わない技。
ここからじゃ、
成功率なんて、ほとんどない。
それでも。
(……逃げたら)
沙希は、ゆっくりとボタンに手をかけた。
笑わない。
誤魔化さない。
初めて、
何も守らずに、そこに立った。




