第2話 声が聞こえる
放課後のゲームセンターは、
昼間より、少しだけ騒がしかった。
電子音が重なり合い、
どこか落ち着かないリズムを刻んでいる。
景品が落ちる乾いた音が、
奥のほうで、遅れて響く。
その中で。
昏華すきは、
昨日と同じ台の前に立っていた。
フィギュアケースの中。
透明な箱に入った小さな人形が、
今日も橋の上で、
わずかに傾いている。
昨日と同じ。
でも。
どこか、違う。
目で見ているのに、
目だけで見ていない感覚。
「……この子、今日は左が重い気がする」
独り言のつもりだった。
感覚を、そのまま言葉にしただけ。
理由はない。
説明もできない。
ただ、そう“聞こえた”。
「え、なにそれ。フィギュアと会話してる系?」
背後から、軽い声。
振り向く。
昨日、見た顔。
ポニーテールが、軽く揺れる。
指先で百円玉を弾く、小さな金属音。
「あ、昨日ずっと見てた子だ」
「……ワンパンで取ってた人」
一瞬だけ、間。
言葉が、少しだけ噛み合わない。
それでも。
「私は天秤沙希。よろしくね」
「……昏華、すきです」
名前を口にする。
少しだけ、喉が詰まる。
声が、ほんの少しだけ小さい。
嘘はない。
「すき、ね。覚えた」
沙希はそう言って、
もう台を見ている。
距離は近いのに、
視線はあっさり離れる。
「今日はプレイするの?」
「……うん」
すきの返事は、小さい。
迷いはない。
沙希はコインを入れる。
カチ、カチ。
短く、正確に位置を合わせる。
止まる。
ほんの一瞬。
そのまま、下降。
アームが降りる。
箱の一点を、掴む。
持ち上がる。
落とした。
箱は斜めに傾き、
橋の上で止まる。
ギリギリ。
落ちそうで、落ちない。
「はい、初手バランスキャッチ」
「……え」
すきの声が、漏れる。
無意識に。
「まあ、置いてある位置が優しかっただけ〜」
軽い口調。
でも。
その一手には、
一切の迷いがなかった。
すきは、箱を見る。
じっと。
瞬きも、少ない。
「……今、右じゃなくて、ちょっと奥だった」
「ん?」
沙希が振り向く。
「掴んだ場所。真ん中より、少しだけ奥」
言葉にするのは、難しい。
しかし。
“違和感”ははっきりしている。
「……よく見てるね、すき」
名前を呼ばれる。
胸が、わずかに跳ねる。
理由は分からない。
少しだけ、嬉しい。
「じゃあ、次どうする?」
「……左から、押したほうがいい」
根拠はない。
でも、
箱の中で何かが
そう“動いた気がした”。
「ふーん。じゃ、やってみなよ」
あっさりと、場所が空く。
逃げ場も、一緒に消える。
すきはコインを入れる。
硬貨の音が、少しだけ大きく聞こえる。
ゆっくり、位置を合わせる。
慎重に。
慎重に。
下降ボタンに触れる指が、
わずかに震える。
息を、止める。
押す。
アームが降りる。
箱の側面に触れる。
押す。
ずれる。
落ちない。
「あ……」
あと一歩。
橋を越えきらない。
そのまま、止まる。
すきの肩が、わずかに落ちる。
ほんの少しだけ。
視線も、下がる。
箱の中。
何かが、
わずかに残っている気がする。
「今の、全然悪くないよ」
すぐ隣から、声。
軽い。
でも。
ちゃんと見ていた声。
「角、ちゃんと浮いてた。あれ、できてない人多い」
「……ほんと?」
「ほんと。私より勘いいかもね」
すきは顔を上げる。
目が、少しだけ開く。
そんなふうに言われたのは、
初めてだった。
胸の奥が、
少しだけ、温かくなる。
「ね、もう一回。今度は一緒に考えよ」
沙希が、隣に立つ。
距離が、近い。
同じ画面。
同じ目線。
逃げられない距離。
でも。
嫌じゃない。
「次、右?」
「……ううん。今だけ、左」
「今だけ、ね」
小さく笑う。
コインが、落ちる。
下降。
アームが降りる。
箱に触れる。
押す。
その瞬間。
すきの中で、何かが“通る”。
重心が、動く。
音ではない。
言葉でもない。
ただ、
「今だ」と分かる。
ほんの、わずかに。
ゴトン。
落ちた。
音が、少しだけ大きく聞こえる。
景品口に、吸い込まれる。
「……取れた」
「でしょ」
沙希が、軽く拳を握る。
すぐに、ほどく。
笑う。
いつも通り。
「やっぱさ、すきっておもしろい」
「……そう、かな」
「うん。また一緒にやろ」
すきは、フィギュアを取り出す。
さっきまで橋の上にあったもの。
今は、手の中。
重さは同じ。
形も同じ。
でも。
ほんの少しだけ。
違って見える。
「……次は、ちゃんと自分で取れるようにしたい」
ぽつり。
でも、確かに。
「いいね。じゃ、私が隣にいる」
沙希は、肩をすくめる。
軽く。
当たり前みたいに。
その距離は、
もう昨日とは、違っていた。
そして。
すきは、気づいていなかった。
自分が見ているものが、
“普通じゃない”ということに。




