表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くれげの世界  作者: ぐろ
最終章“ 神域編”
199/205

第197話 一条零

中学三年、冬。


体育館の床を踏むたび、

音が整然と反響する。


キュッ。

キュッ。


そのリズムを、

一条零は無意識に数えていた。


一定ではない。

床の歪みでわずかに変わる。

シューズの擦れ方で音の高さが違う。


(左側の床は、少し高い)


誰にも言ったことはない。

言っても理解されないと分かっている。


零は、音の違いを“見て”いた。



「零、頼むぞ」


監督が肩を叩く。


「お前がいれば優勝だ」


チームメイトが笑う。


「今日は30点な」

「手加減すんなよ」


零は短く頷く。


当然の言葉だった。


エース。

絶対的得点源。

県内屈指。


高校スカウトも来ている。


そして今日は——


祖父母が来る。

離れて暮らす両親も。


他県の中学へ推薦入学し、

寮生活を始めて三年。


一度も試合を見せられなかった。


(今日、見せる)


アップのボール音が響く。


ドン。

ドン。

ドン。


革の張り。

空気圧。

床の返り。


完璧だ。


零は静かに息を吐いた。



スタメン発表。


名前が呼ばれていく。


ガード。

フォワード。

センター。


最後の名前。


そこに、

自分の名前はなかった。


一瞬、

音が消えた。


代わりに聞こえたのは、

観客席のざわめき。


「え?」

「なんで?」

「零じゃないの?」


ベンチに目を向ける。


監督の息子が、

コートに立っていた。


零は、

何も言わなかった。


問いかけもしない。


ただ理解した。


(そうか)



試合は崩れた。


パスは乱れ、

ディフェンスは抜かれ、

シュートは外れる。


ドリブルのリズムが狂っている。

足音が揃っていない。

呼吸が合っていない。


耳障りだった。


スコア差が開く。


観客席の奥。


祖父が立ち上がり、

また座った。



残り五分。


「交代だ」


思い出作りのように、

ベンチメンバーが呼ばれる。


零の名前も呼ばれた。


コートへ入る。


床の音が戻る。


キュッ。

キュッ。


(遅い)


残り十秒。


ボールが回ってくる。


祖母が手を合わせているのが見えた。


ドリブル一つ。

踏み込み。

ジャンプ。


世界が静まる。


ブザーのカウント。


4

3

2

1


ぱすっ。


ネットを抜ける音。


その音だけが、

異様なほど鮮明に響いた。


観客の声は遠い。


試合終了。


大差負け。


祖父母は拍手していた。


だが零の耳に残ったのは、

歓声でも、

悔しさでもなく、


ぱすっ


という音だった。


軽すぎる。

空虚な音。


勝利ではない音。

意味のない成功の音。


その音は、

鼓膜の奥に焼き付いた。



翌日。


部室は静かだった。


ロッカーを開け、

シューズを袋に入れる。


背後で声。


「お前のせいで負けたんだよ」


振り返る。


監督の息子。


取り巻きの笑い。


「エース気取り」

「出ない方がマシだったな」


ボールが投げられる。


胸に当たる衝撃。


床に落ちたボールが跳ねる。


ぱん。

ぱん。


音が不快に響く。


誰も止めない。

誰も視線を合わせない。


零はボールを拾わない。


バッグを持つ。


(強い者が勝つんじゃない)


(勝った者が強い)


部室を出る。


振り返らない。



バスケットボールをやめた。


だが音は消えない。


ぱすっ。

ぱすっ。

ぱすっ。


夜も、

朝も、

静寂の中でも。


呪いのように。



ある日。

ゲームセンター。


偶然立ち止まる。


透明なケースの中。

静かな世界。


コインを入れる。


アームが降りる。


持ち上がる。

落ちる。


何度も。

何度も。


そして——


景品が落ちた。


ゴトン。


床が揺れるような、

重い音。


その瞬間。


鼓膜の奥にこびりついていた音が、

静かに溶けた。


ぱすっ、が消えていく。


代わりに残ったのは、


確かな重みのある音。


ゴトン。


これは、

結果の音だ。


忖度も、

投票も、

血縁も、

情もない。


結果。


ゴトン。


零は、もう一枚コインを入れた。



やがて彼は理解する。


この世界には、

言い訳が存在しない。



強さだけが、


結果を決める。



そして零は、

静かに微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ