第171話 埋まらない
翌日
第三ラウンド、続いての試合。
Aランク 昏華すき
対
Aランク 椎名剛志
ざわめきは大きくない。
だが、プロ達の視線は集中していた。
「椎名か……」
「二期生Aランク」
「零の元相棒だ」
すきは静かに礼をする。
椎名は無駄のない動きで返礼した。
感情の見えない目。
「……あなたが昏華すき」
低い声。
「零が興味を示した理由を確かめる」
すきは首を傾げる。
「え?」
「俺は、零を止める」
会場がわずかにざわつく。
「零は強すぎる」
「だが強さは、人を遠ざける」
一瞬だけ視線が揺れる。
「俺は隣に立てなかった」
沈黙。
「だから」
「俺が勝つ」
「零の暴走は、俺が止める」
開始の合図。
静まり返った会場の中央で、
椎名剛志は盤面を見据えていた。
無駄のない呼吸。
迷いのない視線。
Aランク。
二期生。
かつて一条零の隣に立っていた男。
(ここで勝つ)
それが目的ではない。
(零を止める)
そのために、ここまで来た。
⸻
椎名 一手目
横移動。
奥行。
掴む。
箱は、わずかに傾く。
落ちない。
だが——
完璧な布石。
観客が頷く。
「うまい」
「次で落ちるな」
椎名は静かに下がる。
⸻
すき 一手目
ボタンに触れる。
その瞬間。
世界の音が、遠のいた。
箱の重心。
橋の摩擦。
アームの遊び。
そして——
分岐する未来。
落ちる未来。
止まる未来。
弾かれる未来。
無数の可能性が重なり合う。
(……違う)
すきは、ほんの数ミリ位置をずらした。
観客には分からない微調整。
アームが降りる。
掴む。
持ち上がる。
箱は——
止まる。
縁で揺れて、静止。
「惜しい!」
「次で確定だ!」
ざわめき。
だが。
すきはボタンから手を離さない。
(ここじゃない)
視線は盤面ではない。
その先。
未来の一点。
⸻
椎名 二手目
確定手順。
角度修正。
理想位置。
落とす。
——はずだった。
アームが触れる。
箱が揺れる。
止まる。
落ちない。
一瞬、椎名の眉が動いた。
(……なぜ)
確率でも技術でもない。
説明できないズレ。
観客席がざわめく。
⸻
すき 二手目
静寂。
すきの呼吸だけが静かに落ちていく。
世界が遠ざかる。
残るのは、
落ちる未来だけ。
ボタンを、ほんの一ミリ。
アームが降りる。
掴む。
持ち上がる。
箱は抵抗しない。
導かれるように、
橋の外へ滑り、
落ちた。
ゴトン。
⸻
静寂。
一拍遅れて、
「……決着!!」
⸻
「え?」
「もう終わり?」
「速すぎるだろ……」
観客のざわめきは困惑に近かった。
盤面を見れば分かる。
椎名も、完璧だった。
だが——
届いていない。
⸻
椎名は盤面を見つめたまま動かなかった。
自分の手順に誤りはない。
読みも、技術も、最適だった。
それでも。
(選ばれていない)
自分の未来は、選ばれなかった。
視線を上げる。
すきは静かに頭を下げていた。
勝ち誇るでもなく、
安堵するでもなく。
ただ、
そこに立っている。
⸻
椎名は小さく息を吐いた。
「……そうか」
零の隣に立っていた頃、
理解できなかった差。
今、ようやく分かった。
技術ではない。
経験でもない。
——到達点の違いだ。
椎名は深く一礼した。
「……零は、任せた」
すきは驚いたように目を上げる。
椎名はもう振り返らなかった。
⸻
観客席の上段。
一条零の口元がわずかに歪む。
「……なるほど」
その隣で神代統が笑う。
「いやぁ、えげつないねぇ」
⸻
すきは盤面を見つめる。
勝った。
だが、
埋まったわけではない。
晴谷との距離。
雪平との距離。
そして——
その先。
胸の奥で、静かに鼓動が鳴る。
ドクン。
ドクン。
⸻
圧倒的な差は、
勝利の形ではなく、
到達点の違いとして
そこに残った。




