第169話 見られたくなかった
試合前。
羽澄京子と神代統が、静かに握手を交わす。
「よろしくお願いします♪」
「うん、よろしくね」
柔らかな笑顔。
羽澄は思う。
(あぁ、やっぱり似てる)
誰にでも優しくて、
誰にでも同じ距離で笑う。
——かつて、自分にSNSを教えてくれた人に。
⸻
試合開始。
羽澄の指が、ボタンに触れる。
観客席のスマホが一斉に向けられる。
カメラ。
照明。
視線。
(みんな見てる)
口元が、わずかに上がる。
「じゃあ――まずは」
横移動。
奥行。
完璧な停止。
アームが降りる。
角を軽く押し、
箱が滑る。
回る。
橋の端へ寄る。
そのまま――
リーチの形にもっていく
一瞬の静寂。
次の瞬間、
「うおおお!!」
「うまっ!!」
「映える!!」
会場が爆発する。
羽澄は軽くウインクした。
「サービスショット♡」
笑いと歓声が広がる。
だがその内側で、
心の声が静かに響く。
統くん、やっぱり似てるよね
初恋の人に。
優しくて。
明るくて。
誰にでも手を差し伸べる人。
かっこいいもん。
優しいもん。
そりゃあ人気だよね。
ねぇ、統くん。
もし私が勝ったらさ。
デート、しよう?
ちょっと不思議で、
すごいマジックが見られるバー、知ってるの。
統くんと行ったら、葉子さん驚くよね。
……うん。
勝とう。
動機は、私らしくていいじゃない。
⸻
羽澄の瞳が細くなる。
「——開いちゃおっかな♡」
世界が反転する。
鏡。
鏡。
鏡。
無限の自分。
観客の視線。
カメラの光。
統の呼吸。
空気の揺れ。
すべてが流れ込む。
(これが、私)
(みんなの視線の中の、私)
すべてが見える。
すべてが繋がる。
その瞬間。
違和感。
(……あれ?)
色が、消えた。
光が薄れる。
白と黒。
静かな世界。
呼吸音だけが残る。
⸻
統が、わずかに目を細める。
「あぁ、そっかそっか」
穏やかな声。
「羽澄さん、扉開いたんだね」
一拍。
小さく笑う。
「……うん、ごめん」
「楽しみたかったけど」
少しだけ視線を逸らす。
「それは、見られたくなくなったなぁ」
⸻
統の手が動く。
一手目。
迷いはない。
アームが降りる。
掴む。
持ち上げる。
静かな動作。
そして——
ゴトン。
会場が揺れる。
「え?」
「一手……?」
「今の何!?」
羽澄の扉が、静かに閉じる。
色が戻る。
ざわめきが戻る。
世界が戻る。
⸻
勝者、神代統。
⸻
羽澄は動けなかった。
悔しさでも、
驚きでもない。
胸の奥に残ったのは、
あの白黒の静けさ。
そして。
歩き去る統の背中。
その背中が、
ほんの少しだけ、
悲しそうに見えた。
⸻
羽澄は何も言わない。
誰にも言わない。
ただ、静かに息を吐く。
(……負けちゃったな)
それでも。
胸の奥で、
恋は、まだ消えていなかった




