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くれげの世界  作者: ぐろ
最終章“ 神域編”
171/205

第169話 見られたくなかった

試合前。


羽澄京子と神代統が、静かに握手を交わす。


「よろしくお願いします♪」


「うん、よろしくね」


柔らかな笑顔。


羽澄は思う。


(あぁ、やっぱり似てる)


誰にでも優しくて、

誰にでも同じ距離で笑う。


——かつて、自分にSNSを教えてくれた人に。



試合開始。


羽澄の指が、ボタンに触れる。


観客席のスマホが一斉に向けられる。


カメラ。

照明。

視線。


(みんな見てる)


口元が、わずかに上がる。


「じゃあ――まずは」


横移動。


奥行。


完璧な停止。


アームが降りる。


角を軽く押し、


箱が滑る。


回る。


橋の端へ寄る。


そのまま――


リーチの形にもっていく


一瞬の静寂。


次の瞬間、


「うおおお!!」


「うまっ!!」


「映える!!」


会場が爆発する。


羽澄は軽くウインクした。


「サービスショット♡」


笑いと歓声が広がる。


だがその内側で、


心の声が静かに響く。


統くん、やっぱり似てるよね


初恋の人に。


優しくて。

明るくて。

誰にでも手を差し伸べる人。


かっこいいもん。

優しいもん。

そりゃあ人気だよね。


ねぇ、統くん。


もし私が勝ったらさ。


デート、しよう?


ちょっと不思議で、

すごいマジックが見られるバー、知ってるの。


統くんと行ったら、葉子さん驚くよね。


……うん。


勝とう。


動機は、私らしくていいじゃない。



羽澄の瞳が細くなる。


「——開いちゃおっかな♡」


世界が反転する。


鏡。


鏡。


鏡。


無限の自分。


観客の視線。

カメラの光。

統の呼吸。

空気の揺れ。


すべてが流れ込む。


(これが、私)


(みんなの視線の中の、私)


すべてが見える。


すべてが繋がる。


その瞬間。


違和感。


(……あれ?)


色が、消えた。


光が薄れる。


白と黒。


静かな世界。


呼吸音だけが残る。



統が、わずかに目を細める。


「あぁ、そっかそっか」


穏やかな声。


「羽澄さん、扉開いたんだね」


一拍。


小さく笑う。


「……うん、ごめん」


「楽しみたかったけど」


少しだけ視線を逸らす。


「それは、見られたくなくなったなぁ」



統の手が動く。


一手目。


迷いはない。


アームが降りる。


掴む。


持ち上げる。


静かな動作。


そして——


ゴトン。


会場が揺れる。


「え?」


「一手……?」


「今の何!?」


羽澄の扉が、静かに閉じる。


色が戻る。


ざわめきが戻る。


世界が戻る。



勝者、神代統。



羽澄は動けなかった。


悔しさでも、


驚きでもない。


胸の奥に残ったのは、


あの白黒の静けさ。


そして。


歩き去る統の背中。


その背中が、


ほんの少しだけ、


悲しそうに見えた。



羽澄は何も言わない。


誰にも言わない。


ただ、静かに息を吐く。


(……負けちゃったな)


それでも。


胸の奥で、


恋は、まだ消えていなかった

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