第17話 一人の時間
凛は、昔から浮いていた。
「それ、意味ある?」
「今やる必要ある?」
「非効率じゃない?」
悪気はなかった。
ただ、正しいと思ったことを、そのまま口にしていただけだった。
けれど教室では、正しさは歓迎されない。
「また始まった」
「空気読めないよね」
笑い声に紛れて、
自分の名前が、軽く消費されていく。
だから凛は、喋らなくなった。
喋らなければ、嫌われない。
一人でいれば、傷つかない。
——そう思い込むことで、
自分を保っていた。
氷の上は、静かだった。
初めて見たフィギュアスケート。
回転の軸。
重心。
速度。
音楽と動きの一致。
(美しい……)
そこには、曖昧さがなかった。
正しい動きは、正しい結果を生む。
一人で完結する世界。
誰かに合わせる必要もない。
凛は、迷わなかった。
中学から始めたフィギュアスケート。
努力は、すべて数値に変えた。
回転数。
踏み切り角度。
成功率。
始めて二年。
凛は、日本トップレベルにいた。
「すごいね」
「天才じゃん」
そう言われても、胸は動かなかった。
リンクの外では、
相変わらずだったからだ。
同じリンクに通う生徒たち。
表面上は普通。
けれど、背中に刺さる視線があった。
陰口を、聞いてしまった日もある。
「上手いけどさ……」
「なんか、近寄りがたいよね」
正しいのに。
結果を出しているのに。
(……何が、いけないんだろう)
ある日、母が机に小さな袋を置いた。
「みんな付けてるって言ってたでしょ?」
流行りのストラップ。
凛は、しばらくそれを見つめていた。
可愛いと思った。
付けてみたいとも思った。
でも——
(また、何か言われるかもしれない)
結局、それは引き出しの奥にしまわれた。
欲しい。
でも、欲しがる自分が怖い。
正しくありたい。
強くありたい。
その二つは、
少しずつ歪み始めていた。
「学生はな、友達作るのも大事だぞ」
コーチの言葉に、凛は即答した。
「フィギュアスケートに、友達は必要ありません」
本心じゃなかった。
でも、そう言うしかなかった。
ある日の練習。
いつも通りの助走。
いつも通りのルーティン。
——なのに。
一瞬、
“考えて”しまった。
(私、このままでいいのかな)
踏み切りが、わずかに遅れた。
鈍い音。
視界が歪み、
氷が遠ざかる。
それが、最後だった。
引退が決まった日。
「先輩に、憧れてました」
そう言って泣いた後輩がいた。
「本当は、尊敬してた」
俯いたまま、告げてくれた同級生もいた。
凛は、何も言えなかった。
(……遅い)
少しだけ、歩み寄っていれば。
少しだけ、弱さを見せていれば。
未来は、違っていたのかもしれない。
でも——
氷の上には、もう戻れなかった。
——二回戦、中盤。
凛は、盤面を見つめていた。
転売ズは、正確だった。
感情を挟まず、効率だけで景品を取る。
モニター越しに、協会長の声が響く。
「中盤戦は転売ズ有利。
正しさを、正しく積み上げている」
昏華チームも、互角だ。
だが——使用金額には、差が出ている。
(正しい……全部、正しい)
なのに、勝てない。
胸の奥が、ざわつく。
(また、同じことをしている)
一人で考え、
一人で抱え、
一人で正解を選ぼうとしている。
ふと、仲間たちを見る。
すきは、黙って盤面を見ている。
沙希は、笑顔だが軽口を叩かない。
成宮は、不安そうに手を握っている。
誰も、答えを押し付けない。
——逃げ場が、ある。
「ね〜ね〜、優等生」
軽い声が、空気を裂いた。
詠だった。
「あんたずっとさ
正しい手、選び続けてるよね」
凛を見る。
「でもさ」
にやっと笑って、続ける。
「それ、楽しい?」
言葉に、詰まる。
「正解踏むときってさ」
一拍。
「脳汁、出る?」
凛は、答えなかった。
盤面を見る。
正しい手は、変わらずそこにある。
でも——
失敗するかもしれない一手も、見えてしまった。
レバーを握る。
胸が、少しだけ熱い。
今度こそ、遅れないために




