第162話 ミサンガ
音が、消えた。
零の支配していた振動も、
共鳴も、
機械の唸りも。
遠ざかる。
ジョーの視界は、白く霞んでいく。
霧。
境地。
世界は彼を置き去りに時間は進む。
だが、ジョーにとっては時計は止まったまま。
静止。
すべてが、遅い。
アームの軌道。
光の反射。
空気の揺らぎ。
零の呼吸。
すべてが、スローモーション。
(……見える)
反撃の一手。
ここから逆転できる。
その確信が生まれた瞬間だった。
ポトっ
小さな音。
視線が、落ちる。
霧の中。
ジョーの手首から——
ミサンガが切れていた。
クレアがくれたもの。
小さな布の輪。
ゆっくりと回転しながら、
霧の底へ沈んでいく。
(……クレア)
掴もうとした。
だが指は届かない。
霧は深く、
世界は遅く、
落ちていく。
ポトっ。
その瞬間。
現実の世界で——
ゴトンッ。
零の台が鳴った。
会場が揺れる。
時間が戻る。
霧が晴れる。
ジョーの手は、空を掴んでいた。
⸻
「……勝者、
一条零!」
歓声。
どよめき。
静かなざわめき。
だがジョーは動かなかった。
ただ、手首を見つめていた。
そこにあったはずのもの。
失われた、証。
⸻
「……よくやった」
最初に声をかけたのは売田だった。
乱暴な口調のまま、
肩を軽く叩く。
「最後まで食らいついたじゃねぇか」
すきが、静かに頷く。
「……すごかったです」
バズ子がにっこり笑う。
「世界一かっこいい負け方♡」
全が腕を組む。
「胸張れよ。
あれは負けじゃねぇ」
雪平が、やさしく言った。
「あなたの気持ち、
ちゃんと届いたわ」
ジョーはゆっくり息を吐いた。
小さく頷いた。
⸻
「零様、お疲れ様ですでげす」
下衆田が駆け寄る。
だが零は、
視線すら向けず歩き続けた。
下衆田は固まる。
⸻
そこへ神代統が近づく。
にこやかな顔。
「一条さん」
零が足を止める。
「今、本気出しましたよね?」
その声は、
少し嬉しそうだった。
零は、わずかに鼻を鳴らす。
「……ふん」
それだけ言って歩き去った。
統はその背中を見送りながら、
小さく笑った。
⸻
会場の奥。
ガラス越しの会長席。
会長は遠くの盤面を見つめていた。
「……やはり」
静かな声。
「神域への門を、
最初に開くのは——」
一瞬の沈黙。
「一条か」
隣で晴谷が目を細める。
だが、何も言わなかった。
会場のざわめきの中、
次の戦いへと空気は移り始めていた




