第161話 奪われない場所
音が支配する空間。
モーター音。
振動。
共鳴。
零が作り出した音の支配が、
ジョーの静寂を侵していた。
呼吸が乱れる。
集中が、削られる。
静止できない。
——そのとき。
ふいに、別の音が蘇った。
笑い声。
ざわめき。
金属音。
段ボールが擦れる音。
誰かが缶を落とす音。
遠慮のない、生活の音。
⸻
転売ズのアジト。
巨大な倉庫。
人が出入りするたび、
両手いっぱいの商品が運び込まれていく。
「お、売田さんお疲れ様です!」
「おう」
次々に声が飛ぶ。
ジョーは周囲を見回した。
(……犯罪集団?)
一人の男が笑う。
通訳アプリ越しの声。
「ははは、こいつ俺たちを犯罪集団だと思ってますよ!」
「なんだそれ!」
爆笑。
倉庫中に笑い声が広がる。
ジョーは戸惑った。
⸻
月末締め日。
恒例の飲み会。
「今月もお疲れ〜!」
一人ずつ給料袋を受け取り、
安い酒を手に乾杯が起こる。
「おいジョー、遠慮するな、飲め!」
「あ、お前未成年か」
「誰かノンアル!」
差し出されたのは、りんごジュース。
ジョーはゆっくり飲んだ。
甘い。
喉を通る温かさ。
騒がしい笑い声。
くだらない冗談。
誰かが酔って転ぶ音。
その音の中で——
ジョーの胸に、懐かしさが広がった。
母国の盗賊団。
古いアジト。
仲間たちの笑い声。
火のはぜる音。
眠りにつく夜。
(……似ている)
気づけば、
肩の力が抜けていた。
その夜。
ジョーはアジトに泊まった。
深く、眠った。
盗賊団を失ってから、
初めての熟睡だった。
⸻
翌朝。
目を覚ますと、
布団が掛けられていた。
「ちょっとあんた!
いつまで寝てるの!」
会計係の中年女性が怒鳴る。
「転売できぬ者、
食うべからず!」
壁に貼られた紙を指さす。
《転売ズの心得》
ジョーは目を瞬いた。
「早く行きなさい!」
通訳アプリ越しに理解する。
「今日は限定プラモデルの抽選日!
10時までに並ぶのよ!」
⸻
指定された場所。
抽選列。
昨夜のメンバーが並んでいた。
「お?ジョーじゃねぇか!」
「加勢に来てくれたのか!」
「抽選は人数勝負だからな!」
流されるまま並ぶ。
抽選。
限定3個。
結果。
当選。
——ジョー。
「うおおおお!!」
「でかした!!」
「神か!!」
1万円のプラモデルが、
10万円になるらしい。
理由はわからない。
だが。
喜ぶ仲間たちを見て、
ジョーは笑った。
⸻
アジトに戻ると、
売田がいた。
「おう、話は聞いたぞ」
「手柄だったな」
売田は5万円を差し出す。
「取り分だ」
ジョーは首を振る。
代わりに、通訳アプリを差し出した。
『お願いがあります』
売田が眉を上げる。
『日本語を、教えてください』
一瞬。
倉庫が静かになる。
そして。
誰かが笑った。
「おいおい、入団希望かよ!」
爆笑。
売田は頭をかいた。
「……しょうがねぇな」
小さく笑う。
「まずは
“お疲れ様です”から覚えろ」
再び笑い声が広がる。
騒がしい。
くだらない。
温かい。
その音の中で——
ジョーは思った。
(……ここは)
(奪われない場所だ)
⸻
静寂は、壊されない。
なぜなら——
静寂は孤独ではない。
ジョーは目を開いた。
呼吸が整う。
世界が、遅くなる。
零の音が遠ざかる。
時間が、止まる。




