第158話 初心
翌日
「次の試合を開始します」
アナウンスが静かに響く。
会場の空気が、
少しだけ柔らいだ。
派手な対決ではない。
だが、
誰も席を立たなかった。
⸻
高橋桜。
Dランク、三期生。
胸の前で両手を握りしめている。
(震えてる……)
止めようとしても、
指先が言うことを聞かない。
目の前にいるのは——
Aランク
昏華すき。
一期生。
トップ層のプレイヤー。
(私が……この人と……)
怖い。
でも。
胸の奥には、
別の感情があった。
(ここに立てた)
(私、ここまで来たんだ)
⸻
「よろしくお願いします!」
声が少し裏返る。
それでも、
深く頭を下げた。
観客席から、
小さな拍手が起きる。
すきも丁寧に礼を返す。
「よろしくお願いします」
⸻
試合開始。
桜の操作は、
ぎこちない。
けれど、
丁寧だった。
横移動。
慎重に合わせる。
奥行き。
呼吸を止める。
アーム下降。
持ち上がる。
——落ちる。
「……っ」
小さく息を呑む。
それでも、
姿勢を整える。
祈るように次の一手を入れる。
⸻
観客席。
「三期生だよな」
「でも丁寧だ」
「いいプレイする」
小さな声が広がる。
桜の耳には入らない。
ただ、
箱を見ている。
⸻
すきの操作は静かだった。
横。
奥。
下降。
掴む。
寄せる。
無駄がない。
「やっぱAランク」
「精度が違う」
そんな声が漏れる。
⸻
桜は、
その言葉を遮断していた。
クレーンゲームなんてやらせる為に
育てたわけじゃないぞ!
いいから父さんの言うことを聞いて
大学に進学しなさい!
あの日の言葉が蘇る。
それでも。
諦めなかった。
(私は——)
アームを下ろす。
箱が、
大きく揺れた。
「おおっ!」
会場がどよめく。
あと少しで落ちる位置。
桜は目を見開く。
(届くかも……)
胸が、
跳ねる。
「……ここに立てただけで、嬉しいです」
思わず、
声に出ていた。
⸻
その言葉に、
すきの指が止まる。
胸の奥が揺れた。
(……あ)
初めて取れた日のこと。
家族で行ったゲームセンター。
景品が落ちた瞬間。
胸が跳ねるほどの喜び。
(あの気持ち)
遠くに置いてきていた。
⸻
桜の一手。
箱がさらに傾く。
観客が前のめりになる。
桜の手が震える。
(お願い……)
⸻
すきは盤面を見る。
(いい形だ)
(届く位置にいる)
胸の奥が、
静かに温かくなる。
(初心のままじゃ届かない)
(でも)
(初心を忘れたら、進めない)
ボタンを押す。
横移動。
奥行き。
下降。
アームが箱を捉える。
ゆっくり持ち上がり——
橋の外へ滑る。
落下。
ゴトン。
⸻
静かな音。
「決着!」
⸻
桜は動けなかった。
悔しい。
でも。
胸がいっぱいだった。
ゆっくり頭を下げる。
「ありがとうございました!」
声が震える。
すきは静かに答える。
「こちらこそ」
本心だった。
⸻
桜が去るとき。
三期生の仲間が駆け寄る。
「桜すごかった!」
「あと少しだった!」
「泣くなよ!」
桜は笑った。
涙で滲みながら。
「……楽しかった」
⸻
すきは台を見つめる。
(まだ足りない)
雪平。
晴谷。
あの背中。
自分はまだ届いていない。
でも。
胸の奥に、
確かな感触が残っている。
(私は)
(進みたい)
⸻
観客席。
統が楽しそうに拍手する。
「いいねぇ〜!
桜ちゃん最高だったよ!」
「初心って大事だよねぇ」
隣で零は腕を組む。
「所詮、力量差のある試合だ」
だが視線は外していない。
⸻
通路の壁にもたれた全が、
小さく笑う。
「いい顔してたな」
ぽつりと呟く。
「負けても、ああいう顔できるなら
まだ強くなる」
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すきが通路へ戻る。
全と目が合う。
「昏華。」
「ん?」
短い沈黙。
「……楽しかったか?」
すきは少し考え、
小さく頷いた。
「うん。」
全は笑った。
「ならいい。」
⸻
その瞬間。
すきの胸の奥で、
ドクン
小さく、
鼓動が響いた。
まだ遠い。
だが確かに——
何かが、
扉の奥で動いていた




