第155話 スタートライン
歓声は、まだ揺れていた。
だが台の前では、
もう次の空気が流れ始めている。
羽澄京子は、静かに息を吐いた。
鏡の世界は消え、
現実の光景が戻ってくる。
照明。
カメラ。
観客。
そのすべての視線が見えた。
「……ふぅ」
小さく笑う。
「開いちゃった♡」
⸻
控え席。
すきは、言葉を失っていた。
「……今の」
胸の奥が、わずかに震えている。
見えた。
確かに。
羽澄の背後に、一瞬だけ現れたもの。
扉。
それが、静かに開いた。
「羽澄さん……」
自分でも気づかないほど小さな声。
「……扉、開いた」
その言葉に、
九條全が目を丸くする。
「は? マジかよ」
売田が腕を組む。
「だから言ったろ。あのバズ子、ただの映え女じゃねぇ」
ジョーは黙って、台を見ていた。
まるで時間の流れを測るように。
⸻
Sランク席。
一条零は、つまらなそうに視線を外した。
「……所詮、Bランク同士の試合だ」
隣のスタッフが息を飲む。
だが零は続ける。
「派手なだけだ。完成度は低い」
言葉は冷たい。
まるで価値を測る秤のようだった。
⸻
その横で。
神代統は、満面の笑みで拍手していた。
「いや〜いいねぇ!」
周囲が少し驚く。
「今のは魅せられたなぁ!」
腕を組みながら頷く。
「やっぱ羽澄さん、いいなぁ」
統の声には、純粋な楽しさが混ざっていた。
勝敗ではない。
上も下もない。
ただ、
面白い。
それだけだった。
⸻
控え席に戻る羽澄。
スマホの通知が止まらない。
だが彼女は画面を見ず、
静かに座った。
すきが声をかける。
「バズ子さん」
羽澄は顔を上げる。
「はい?」
すきは、少し迷ってから言った。
「……さっき」
「すごく、綺麗でした」
一瞬。
羽澄の目が丸くなり、
そして柔らかく笑った。
「ありがと♡」
少しだけ照れながら。
「でもね」
小さく肩をすくめる。
「やっと、スタートラインかも」
すきは頷いた。
それが本音だと、分かったから。
⸻
遠くで、アナウンスが響く。
「——次の試合の準備を開始します」
歓声の余韻は、まだ消えない。
だが、
確かに何かが変わった。
羽澄京子。
彼女の中で、
そして——
この戦いの空気の中で。




