第154話 全ての視線
会場の空気が、変わっていた。
さっきまでの静かな職人戦ではない。
ざわめき。
期待。
息を呑む音。
その中心にいるのは――
羽澄京子。
だが。
阿達豪の呼吸は、乱れていなかった。
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(落ち着け)
(相手が変わったわけじゃない)
盤面を見る。
箱の傾き。
摩擦。
橋幅。
すべて、想定内。
阿達は静かにアームを動かした。
横。
奥。
下ろす。
掴む。
箱が、わずかに沈む。
回転。
整う。
無駄のない一手。
「うま…」
「やっぱり阿達強いぞ」
観客のざわめきが広がる。
阿達は表情を変えない。
積み上げる。
ただそれだけ。
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羽澄は、その一手を見ていた。
観客の目線の流れ。
カメラの向き。
阿達の呼吸のリズム。
全部、鏡の世界の中で重なって見える。
(丁寧)
(真面目)
(積み上げるタイプ)
そして。
(……地味)
一瞬、胸の奥が揺れる。
教室の笑い声。
地味子。
振り返られない日々。
透明だった自分。
羽澄は、ゆっくり息を吐いた。
「——だからこそ」
「今、輝きなさいよ」
⸻
アームが動く。
横移動。
観客席から最も映える角度。
奥行。
アームの影が箱の角に重なる瞬間。
下ろす。
掴む。
持ち上がる。
視線が、一斉に追う。
その視線すら、羽澄の操作の一部だった。
箱は――
落ちない。
だが。
空中で、わずかに回転し、
次の一手で決まる位置へ整う。
「うわ…」
「計算じゃない…」
「演出だ…」
⸻
阿達の眉が、わずかに動く。
(最短手じゃない)
(だが…完成形に近い)
理論では説明できない。
だが確実に、完成へ近づいている。
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三手目。
阿達。
整える。
盤面は、詰みに近づく。
四手目。
羽澄。
ボタンに触れた瞬間、
会場のざわめきが止まった。
誰もが、次を待っている。
鏡の世界。
無数の自分が微笑む。
『見てる』
『期待してる』
『あなたを』
羽澄は、小さく笑った。
「じゃあ——」
「最高の瞬間、いくよ♡」
⸻
アームが下りる。
箱の角を、ほんのわずかに押す。
浮く。
傾く。
回る。
時間が、伸びる。
観客の視線が、止まる。
そのまま——
橋を越え、
空中で一度、揺れ、
重力に導かれるように――
ゴトン。
一拍。
遅れて。
会場が爆発した。
「うおおおおお!!」
「今の何!?」
「美しすぎるだろ!!」
「映えすぎ!!」
スマホの画面が、光の海のように揺れる。
⸻
阿達は、静かに盤面を見ていた。
負けた。
だが。
不思議と悔しさだけではなかった。
(魅せる、か)
小さく息を吐く。
羽澄が振り返る。
「……職人さん」
微笑む。
「あなた、すごく良かった」
阿達は一瞬目を見開き、
そして小さく頷いた。
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観客の歓声は、まだ止まらない。
羽澄京子は、カメラのレンズに向かってウインクした。
「——みんな、見てた?♡」
歓声が、さらに跳ね上がる。




