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くれげの世界  作者: ぐろ
最終章“ 神域編”
155/205

第153話 鏡の世界

扉に入った瞬間。


世界が――


静かに、割れた。


音はしない。

衝撃もない。


ただ、空気の層が一枚剥がれたように、

現実の輪郭がわずかにずれる。


羽澄京子の足元から、

透明な波紋が広がった。


次の瞬間。


景色が反転する。



そこは、無限の鏡の世界だった。


前も、後ろも、左右も、上も下も。


果てのない鏡。


映っているのは——


無数の自分。


笑っている自分。

不安そうな自分。

無表情な自分。

昔の、地味だった頃の自分。


「……わぁ」


声が、反響する。



鏡の中の一人が言う。


『見られてるよ』


別の一人が笑う。


『ずっと見られたかったんでしょ?』


また別の一人。


『地味子って呼ばれてた頃の分まで』


胸の奥が、熱くなる。


逃げたい?


違う。


羽澄京子は、ゆっくりと微笑んだ。


「うん」


「見てて」



鏡の表面に、景色が映り始める。


観客席。

カメラのレンズ。

スマホを構えるファン。

固唾を呑む受験者たち。


阿達豪の視線。


すべての「見る」が、像となって重なる。


その中心に——


自分の台。


自分の手。


自分の角度。


死角が、消える。


盤面が、立体として把握される。


重心。

傾き。

落下軌道。


すべてが、同時に理解できる。



現実世界。


羽澄の瞳に、光が宿る。


アームが動く。


横移動。


止める位置は、観客の目線から見て最も美しく映る角度。


奥行。


アームの影が箱の角をなぞる。


下ろす。


掴む。


持ち上がる箱。


観客の視線が、一斉に追う。


その視線の流れすら——


羽澄には見えていた。


「……なんだ今の操作」


「見せ方が違う…」


「え、魅せてる?」



箱は落ちない。


だが。


完璧な位置に整う。


観客席が、ざわめき始める。


阿達は初めて、明確な違和感を覚えた。


(盤面が変わった…?)


違う。


整い方が違う。


理詰めではない。


だが最短距離で完成へ向かう流れ。



羽澄の唇が、小さく動く。


「ねぇ」


「見えてる?」


鏡の世界の自分たちが微笑む。


『全部』


『全部、あなた』


『全部、味方』



次の一手。


空気が、明らかに変わった。


静かな職人の試合だったはずの舞台に、


熱が灯る。


観客が前のめりになる。


スマホの録画ランプが一斉に点灯する。


羽澄京子は、微笑んだ。


「——ここからよ♡」


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