第151話 当然
試合の余韻が残る会場。
ざわめきは戻りつつあるが、
空気の奥にはまだ、何かが揺れていた。
ランク戦は、ただの順位争いではない。
価値観が、
静かにぶつかり始めていた。
⸻
観客席上段。
一条零は、
肘掛けに腕を置いたまま
無表情で会場を見下ろしている。
その視線の先へ――
一人の男が、ゆっくり歩いてきた。
下衆田下僕。
足取りは重い。
だが止まらない。
零の前で立ち止まり、
深く頭を下げた。
「……申し訳ございませんでげす」
返事はない。
「不甲斐ない戦いをしてしまいましたでげす」
静寂。
観客のざわめきだけが遠くにある。
「零様の名に泥を塗る結果に――」
「……」
零は視線すら向けない。
ただ、会場を見ている。
下衆田の額から汗が落ちる。
「次は必ず――」
零が、ゆっくり立ち上がる。
下衆田の言葉は途中で止まった。
零はそのまま通り過ぎる。
一言もなく。
視線すら与えず。
足音だけが遠ざかる。
残された下衆田は、
しばらく動けなかった。
やがて小さく笑う。
「……当然でげすね」
唇を噛みしめる。
「まだ足りないでげす」
頭を下げたまま、
誰にともなく呟いた。
⸻
その様子を少し離れた位置から見ていたすきは、
静かに息を吐いた。
「……厳しい人ですね」
隣に立つ神代統は、
柔らかく笑う。
「ですね笑」
少し間を置いて。
「でも、嘘はつかない人だと思います」
すきは視線を零の背中へ向ける。
「売田さんの試合、どう思いました?」
統は迷わず答えた。
「面白かったです」
すきは、少し驚く。
統は続ける。
「上手いとか、強いとかじゃなくて」
「最後まで“勝負”してた」
すきの胸の奥で、
小さく何かが揺れる。
「……はい」
⸻
統が笑う。
「それに」
「売田さん、途中からすごく楽しそうでしたよ」
すきも、思い出す。
最後の一手。
あの表情。
「……そうですね」
⸻
会場モニターが点灯する。
《次試合選手入場》
ざわめきが再び広がる。
⸻
羽澄京子は、
ステージ裏で深呼吸していた。
「ふぅ……」
スマホには、ファンからの通知が鳴り止まない。
《バズ子がんばれ!》
《今日もかわいい!》
《勝ってね!》
彼女は画面を閉じ、
小さく笑う。
「よし」
鏡の前で頬を軽く叩く。
「インフルエンサーは」
一拍。
「負け顔、見せられないからね♡」
⸻
対戦台の前。
阿達豪が腕を組んで立っていた。
無駄のない姿勢。
冷静な目。
すでに盤面のすべてを計算している。
⸻
アナウンスが響く。
「第二試合――」
「羽澄京子 vs 阿達 豪」
会場の空気が引き締まる。
⸻
すきは静かに呟く。
「始まりますね」
統が頷く。
「はい」
そして、少し楽しそうに言った。
「羽澄さんかぁ。楽しみだなぁ」
⸻
羽澄がステージへ踏み出す。
ライトが当たる。
歓声が上がる。
彼女は手を振る。
だが、目はもう盤面を見ていた。
⸻
阿達は一歩前へ。
静かにボタンへ手を置く。
⸻
開始ブザー。
鳴動。
⸻
次の価値観が、動き出す。




